第13話 斜陽と曙光
「クッカー! クッカー!」
自分の名前を呼ぶ声でクッカは目を覚ました。大きな木にもたれているクッカ。周りにも木々ばかり。朝からずっと森にいたのか、ラーハから森に連れてこられた後の記憶がクッカにはなかった。暗くなっている森の中。朝からこの時間までずっと眠ってしまっていたのか。疑問ばかりが出てくるが、暗闇の中から灯りが近づいていることが今は嬉しかった。
次第に灯りが照らし出している、その人の姿もわかってくる。彼もこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「クッカ! こんなところに!」
「……ヴァロー」
いつもの少し汚れたシャツに、やや大きめなブーツ。一つだけ歳が上の、彼のいつもの姿だ。
クッカは所属しているメッツァ劇団で初めて彼を見た。劇伴で参加しているジキア音楽隊に彼は在籍していたのだ。メッツァ劇団とジキア音楽隊の大人たちが何か楽しげに話している中、子供たちは子供たちですぐに打ち解け駆け回っていた。しかし、一人座って他の子供たちを見ていたのがヴァローだった。
「良かった。僕のこと覚えていてくれたんだね」
「覚えてるわよ。私から話しかけたんじゃない」
彼はみんなと遊ばないのだろうか。そう思いクッカはあの時ヴァローに話しかけた。多くの人がいる場は苦手なんだ、と答える彼。それに対し、二人なら話せるかしら、とクッカはヴァローの横に座った。
「怪我はしてない?」
彼は優しい。そして周りのことがよく見えている。二人で話した時もジキア音楽隊のメンバーを一人一人丁寧に性格や癖を教えてくれた。本人曰く、周りを気にしているだけだとのことだった。そうだとしても、周りに目をやることができるということは素敵なことだとクッカは思った。
「大丈夫。痛いところはないし、怪我はしていないと思うわ」
「なら良かった」
「私を見つけてくれてありがとう」
ヴァローはクッカを立ち上がらせると、ゆっくり首を振った。
「君が最初に僕を見つけてくれたんだ。そのお礼だよ。君とまた話すきっかけも欲しかったし」
真面目な顔をして答えたのが本人は恥ずかしかったのだろう。「さあ」と気持ちを切り替えた声音で、クッカの腕を引っ張る。
「歩ける? 森の外に戻ろう」
歳は一つしか変わらない。背丈もほとんど同じ。身分は貴族と平民という大きな差がある。しかしクッカの手を引く背中は大きく見えた。さらにそこには優しさがあった。
クッカは彼に聞こえるか聞こえないくらいの大きさで、
「ありがとう」
と、もう一度呟いた。
ヴァローについていくと、クッカが戻って来られなかった道に出た。月明かりに照らされ青白く光る蝶にすれ違う。クッカらが来た方向へ飛んでいくその蝶が無性に気になったが、その理由はわからない。
「クッカが見つかりました!」とヴァローが言いながら道を辿っていたので、続々とクッカを探してくれていた人々と合流しながら森の出口を目指した。
「大丈夫でしたか」「ご無事で良かった」
そう声をかけてくれた人々の中にクッカの見知った顔もあったが、知らない人もいた。多くの人が自分を探してくれていたのだな、とクッカは心から感謝した。
ようやく森を出ると、一人の女性が駆けてくる。クッカはすぐにヴァンリだとわかった。
「クッカ! 良かった!」
勢いよくクッカを抱きしめるヴァンリ。彼女の目から溢れる涙がクッカの服を濡らした。
「ヴァンリや、走ったらいかんよ」
と、マーもクッカの元へやってくる。
「お母様に、マーお婆様も。セウラーバへ行ったんじゃなかったの?」
「クッカがいなくなったって知らせを聞いて、急いで戻って来たのよ!」
それを聞いたクッカは彼女の背中に両腕を回し、体全体でヴァンリの温かさを感じた。
長い抱擁を終え、ヴァンリはクッカから離れると側にいた少年に目を向ける。
「あなたがクッカを見つけてくれたのね」
「ヴァローと言います」
「ヴァロー君、本当にありがとう」
「僕はクッカさんにお礼をしただけです」
ヴァンリとヴァローが話している間、クッカはラーハと祖父にして現メッツァ国王のテホアの姿を見つけた。何度もテホアに頭を下げるラーハ。そして彼を叱りつけるテホア。
クッカはわかっていた。ラーハの父親として相応しくない行動にテホアは怒っているのではない、と。テホアもまたラーハと同じような人間であるとクッカは知っていた。
二人からあまり距離が離れていないせいか、彼らの会話がクッカらの元にまで聞こえてくる。
「もし森へ置いていくお前の姿が見つかっていなかったらどうするつもりだったんだ?」
「申し訳ありません!」
「お前は次期国王としての自覚がないようだな。就任前からこのように問題を起こされては、私の面子にも関わる!」
「はい! 感情に身を任せ、判断を誤ったこと! 深く反省しています!」
テホアはラーハの胸ぐらを掴み、顔を近づける。
「私たちはかつてのキヴィパとは違う! 二度とあのような失態を起こさないために、親子二代かけて準備しているんだ。お前にかかっているんだぞ、いいな!」
ラーハの目には涙が滲んでいるように見えた。クッカが初めて見たラーハの涙だった。しかし、だからと言って彼女が父親への思いを変えることはなかった。どれだけ彼に彼の事情があろうと、母親を苦しめた事実は変わらない。自分が森に置き去られた事実は変わらない。クッカのラーハへの嫌悪心はむしろ揺るぎないものとなっていた。
時は経ち、クッカが16歳になった年の秋。部屋の窓を揺らす木枯らしに、クッカは当時のことを思い出していた。あの後、ヴァンリの容態は日を追うごとに悪化していった。次のクッカの誕生日を迎える前に行われた葬式で、ずっと泣いていたのをクッカは覚えている。
振り返ってみると「森の女王」伝説が無性に気になり始めたのもあの一件からだった気がした。理由はわからない。ただ、あの日を境にクッカは伝説に興味を持った。
机の上に置かれた緑の本の表紙を手の平で優しく撫でる。そこには「森の女王」の文字があった。一体何の巡り合わせだろうか。この冬、メッツァのクリスマスフェスティバルでクッカが所属するメッツァ劇団は舞台「森の女王」を上演する。
なんと、伝説の発端となったキヴィパ国王の殺害事件からちょうど百年。
「クッカ。馬車の準備が出来たわ」
「わかった。すぐに行く」
扉の向こうから侍女の声が聞こえる。
クッカは目の前の台本を鞄にしまうと、広くなった自室を後にした。
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