第12話 蕾

 クッカはエルヴィクスの背中に乗ったまま、コーラやリントと森の中を奥へ奥へと進む。しばらくすると、突然木の門が目の前に現れた。木の蔓で細かく編まれたアーチ状の門を潜ると、木が生い茂っていない円形の広場があった。さらに視線を奥へ移動させると、城のような巨大樹がそびえ立っていた。あれほど大きな木であれば、森の外からもわかるはずだが、なぜ気が付かなかったのだろうとクッカは思った。


「ちょっと待っててね!」


 と、コーラが飛び出すと、どこから取り出したのか木の椅子を持って帰ってきた。


「これに座って」

「私はクァンニを呼んで来るわね」


 リントが飛び去っていくと、エルヴィクスは木の椅子の前で屈んだ。


「降りられるか?」

「ええ」


 クッカはそう答えたが、エルヴィクスはかなりの巨体。脚を曲げて座っていても、背中から地面まではかなりの高さがあった。


「僕に乗ってもいいよ」


 コーラが椅子とエルヴィクスの間に入ってくる。彼は階段を作ってあげたつもりなのだ。


「大丈夫?」

「クッカみたいに小さい女の子なら平気さ」


 尻尾を振りながら答えるコーラ。クッカは彼に感謝しながら、一度コーラの背中に足を置き、それから椅子の上に座った。


「ありがとうコーラ」

「お礼を言われるようなことじゃないよ」


 やがて、ペルシャネコとユキウサギの二匹と共にリントが帰ってきた。ユキウサギはティーポットとカップを持っている。コーラが言っていたクァンニという子に違いないとクッカは思った。


「エルさん、久しぶりですね」


 エルヴィクスに丁寧に挨拶するペルシャネコに対し、


「キサまで来たのー?」


 と、コーラは頬を膨らませる。


「あんたからクァンニを守らないといけないからね」

「まるで僕がクァンニにちょっかいかけてるみたいに言うなよ」

「ちょっかいかけてるじゃない」


 二匹のやりとりを見かねたエルヴィクスは静かに一度咳払いをした。するとコーラ達も口を閉じ、エルヴィクスの方を見た。


「人間のお客様がいらっしゃているのだ。先に挨拶をしたらどうだ」

「エルさんの言う通りね」


 ペルシャネコは頷きながら、自己紹介を始めた。


「私はキサ。よろしくね」


 綺麗な灰色の毛並み。コーラと話す時はともかく、丁寧で落ち着いた口調。リントやコーラと比べて、随分と大人のようにクッカは見えた。


 キサはユキウサギの方に顔を向け、「彼女はクァンニ」と紹介を続ける。


「クァンニです。よろしくお願いします」


 と、気弱そうな声で挨拶をしながら彼女は頭を下げた。それに釣られてクッカも「よろしく」と会釈をする。


「ヴィヒレアは?」

「『すぐに準備するから、先に行っておいて』って言われました」


 エルヴィクスの問いにキサが答える。少し口調が変わっていたところは、おそらくヴィヒレアという人物の真似をしたのだろうとクッカは感じた。


 「そうか」と、エルヴィクスとキサが話している間に、クァンニはカップにお茶を注いでいた。ポットから流れ出るそのお茶は一般的な紅茶の色をしているが、金色の輝いているようにも見えた。その光沢のせいか、特別美味しそうだった。


 注ぎ終えたクァンニはカップをクッカに差し出す。


「この森で採れた花を使ったブレンドティーです。お気に召すといいのですが」

「ありがとうございます」


 受け取ってすぐ美味しそうなティーの香りが漂ってくることにクッカは驚いた。温かさをカップ越しに感じながら、ゆっくりと口へ運ぶ。


「……美味しい! すっごく美味しいわ!」


 そのクッカの反応を見て、クァンニは頬を綻ばせた。他の皆もその様子に心を和ませる。


「それは良かったです」

「今まで飲んできたものの中で一番美味しい。それに元気も出てきた気がする」

「リコリスの薬草も少しブレンドしているんです。そのせいですかね」


 リコリスは疲労や筋肉の痛みなど多くの症状に効く万能薬だ。クッカはリントから事情を聞いていたので、このブレンドを選んだのである。


「元気が出たなら良かったぜ」


 まるでコーラが淹れたかのように胸を張るので、すかさずキサが「あんたがブレンドしたんじゃないでしょ」とツッコミを入れた。それによって、再び場は笑いに包まれる。


「いくら即効性が高いと言っても、一口飲んだだけで元気が出るとは。その元気の源は君の心の強さだよ」


 笑いが収まってきたエルヴィクスがそうクッカを見つめる。


「心の強さ?」

「私はうつつの者ではない、神に近い存在だ。それ故、クッカの姿を見たときに身分や生い立ちはすぐにわかったよ。そして心の強さも。君は強い子だ」

「ごめんなさいエルさん、さっきから言っていることがよくわからなくて」

「君はこれから、この地で力強く咲く花の蕾だ、という意味だよ」


 エルヴィクスはそう言い換えたが、クッカは首を傾げた。


「うーん……。やっぱりよくわからないわ」

「今はわからなくても、いつかわかる日が来るさ」


 本当にその日が来るのだろうか、とクッカは疑問に思った。しかし難しいことを考え続けられるほど、クッカはまだ大人になっていない。彼女はすぐに思考を諦めた。


 クッカがもう一口、お茶を飲んだ時だった。


「ごめんなさい、遅れちゃって」

「みんなちょっといいか」


 と、二つの声が同時に広場に聞こえてきた。


 前者は広場に姿を表していた。彼女が身に纏っている豪華なドレスは森に溶け込むような美しい緑色で、手袋やお腹には木の根が張っているような装飾がある。また襟や裾にも赤い花の装飾があり、ドレスそのものが植物になっていると言っても過言ではない。その彼女の姿に似合う言葉があるとしたら『森の女王』であろう、とクッカは考えた。


「ケトゥもちょうど今来たのかしら。隠れていないで出てきて? お客様よ」


 動物たちからヴィヒレアと呼ばれた彼女は、もう一つの声の主にそう声をかけた。木の影に隠れ、獣の耳だけを覗かせる彼—–ケトゥは、


「別に隠れているわけではないんだが……。町が少し面倒な状況になっている。そのお客様のことでな」


 と、耳を揺らした。


「クッカのことで?」

「……私?」


 キサがクッカの方を見たので、彼女は自分を指差す。


「貴族の娘が行方不明になったということで捜索隊が結成されてる。クッカと言ったか? 身なり的にお前を探してるんだろうな。既に森に入ってきている。この付近に来るのも時間の問題だろう。門を消しておくべきだ」

「そうだったの。じゃあ門は消しておくわ。あと、この子も返さなくちゃね」

「私が連れて行こう」


 ヴィヒレアは立ち上がるエルヴィクスに「ありがとうございます」と感謝を述べると、クッカの前に視線が合うように屈んだ。


「全くお話ができなくて残念だわ。あなたのことを最初に聞いた時、仲良くなれそうな気がしたのに」

「仲良く?」

「ええ。理由はわからないけれど、不思議とそんな気がしたの」


 ヴィヒレアはクッカの手を優しく握る。


「いつかまた会えることを祈っているわ。本当は会うことなんて無い方がいいんでしょうけど。私はヴィヒレア。このメッツァの森を守っている女王よ」

「もうお別れするって時に名乗るなんて」


 リントの突っ込みにヴィヒレアは「そうね」と苦笑いする。一方、クッカは、


「森の女王……。素敵ね!」


 と胸を高鳴らせた。


「せっかくの自己紹介の後に申し訳ないが、彼女の記憶は消させてもらうよ」


 温かくなっていた雰囲気がエルヴィクスの一言で、少し冷える。彼の意図を問うように、一同揃ってエルヴィクスの方を見た。


「それは、どうして?」


 疑問符を浮かべるヴィヒレアに、エルヴィクスは丁寧に説明した。


「もちろん善意を持っての行動だが、我々は彼女を助けた。これは事実だ。しかし我々、特にヴィヒレアはその力で森を守る役目がある。この優しさは『脅威』という抑止力を弱めるだろう」


 皆その説明に納得はしたようだが、どこか寂しげでもあった。それもそのはずだ。


 『森の女王』という肩書きを持つヴィヒレア。その使いである動物たち。魔法によって永遠の命を得た彼女らだが、元は普通の人間と動物だった。ある事件を機に魔法の力を得て、森を守る使命を与えられて、およそ百年。彼女らにとって人間に会うのは久しぶりのことだったのである。


「クッカも悪く思わないでくれ」


 エルヴィクスはそうクッカの方を見ると、大きな角を青く光らせ始めた。光を溜めた角が一気にそれを解き放つと、辺り一体が真っ白になる。クッカはあまりの眩しさに目を瞑った。


 瞼越しに光が収まったことを感じ取り、ゆっくりと目を開く。


「え……」


 目の前に広がっている光景にクッカは唖然とした。青白い光の粒をゆっくりと放ちながら倒れている女性や動物たち。助けに行くべきか、とも考えたが異常な景色への不気味だという気持ちが勝っていた。


「力の加減を間違えて、彼女らへも魔法の力が響いてしまった……、と言ってもわからないか」


 クッカの顔の横に後ろからエルヴィクスが顔を覗かせる。しかし、彼女はそれに驚かされた。エルヴィクスのことさえも忘れてしまっているのだ。


「鹿が喋ってる?」

「君へはちゃんと効いているようだね。さあ、お眠り。君を探している人の元へ連れて行こう」


 エルヴィクスはもう一度淡く角を光らせる。すると次第にクッカの意識は遠のき、眠りについてしまった。

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