第8話 フォーエバー・グリーン
メッツァの森。ヴィヒレア城。
ヴィヒレアは巨大樹の最上部にある自室で、洗面台の鏡と睨み合っていた。濡れた顔と前髪。鋭く刺さるような瞳。しかし、すぐに面白くなって笑ってしまう。
ヴィヒレアが森の女王となった後、エルヴィクスから言われたこと。
『森を守るためには森への畏怖の心が大切だ。多少、手荒くても森には怖い魔女がいるというイメージ作りをするんだ』
怖くしようなど、簡単にできることではない。険しい顔をしようとしても慣れていないので、自分がすると変顔にしか見えない。それに手荒くする、というのも心が痛むものだった。誰かを傷つけることは望まない。毎日のようにあの夜の夢を見る。その度に手の感触も思い出すのだ。
しかし犠牲無しには何も成し得ないことはわかっている。森を守ることが自分の使命であり、望みでもあると理解している。だから森の女王として、それに相応しい行動を取るべきである。ただし、なるべく傷つけないようにする。怖い印象を作ればいいのだ。傷つける必要はない。
そう考えていると、ヴィヒレアの部屋の窓がノックされる。そちらに目をやるとリントが嘴で窓を叩いているのがわかった。ヴィヒレアが窓を開けてあげると、
「またあんたの捜索隊が来たよ。今回はいつもより深いところまで来てる」
と、言いながら窓縁に留まった。
「また来たのね……。私が魔法を解かない限り、ここが見つかることはないでしょうけど、やらなければならないわね」
ヴィヒレアは置いてあった木の冠を取ると、頭に載せる。少しでも気持ちの切り替えをするためだ。
「リント。コーラとケトゥは?」
「コーラはケトゥを呼びに行った。あいつ、今日は森にいるはずだから。すぐに戻るはず」
「じゃあリントは先に森の鳥たちに協力を呼びかけておいて」
「あいあいさ!」
元気の良い返事をするとリントは小さな羽を羽ばたかせながら飛び立っていく。
こんな状況になっても明るくしてくれている彼女にヴィヒレアは感謝していた。コーラもそうだ。二匹は自分達から森のパトロールを名乗り出てくれた。おかげで異変があればすぐに気づけるようになっている。ケトゥはケトゥで、隔絶されたこの城で暮らすヴィヒレアたちのために、定期的に街へ情勢を調査しに行ってくれる。それも非常に助かっていた。
クァンニとキサは城におり、ヴィヒレアの身の回りの世話などをしてくれていた。
扉の方を振り返ると、そのキサが目の前に立っていた。
「キサ」
「大丈夫? 無理してない?」
下からヴィヒレアを覗き込むキサに対し、彼女は悲しそうに笑って答えた。
「大丈夫よ。だって私は魔法使いの森の女王よ。すぐに終わらせてくるわ」
「ヴィヒレア……」
立ち去る背中に、キサは名前を呼びかけることしかできなかった。森の女王となり、深緑のドレスを身に纏っても、その背中は今までと変わらない。だからこそ背負っているものの負担は計り知れない。動物たちで最大限のサポートをしようとキサは思った。
ヴィヒレアが城を出て、門の手前まで着くと、リントが鳥たちを集めて門の上で飛び回っていた。そしてすぐにケトゥを連れたコーラも現れる。コーラはなんとケトゥだけでなくモグラやイタチ達も引き連れていた。
「みんな準備はいい?」
「おう!」
そう答える動物たちを前に、ヴィヒレアは門を隠す結界を解いた。
「出陣!」
その声と共に動物達は門を飛び出す。ヴィヒレアも門を出るとすぐに再び結界を貼り、その場で待機した。
動物達がヴィヒレアを探す人々に奇襲を仕掛ける。ヴィヒレアはこの場所から魔法でサポートする。それがいつもの戦法だ。
ヴィヒレアは早速、メッツァの森の至る所に赤く光るポインセチアを咲かせた。そのポインセチアを通して、周囲の森の様子を見ることができる。魔法の応用だ。
一つの花が城の兵服を着た人々に襲いかかる鳥の群れを捉えた。上空からの奇襲に慌てふためく兵士たちの様子が見える。しかし、その中に弓矢を構える兵士がいた。
「させない」
ヴィヒレアが祈ると、地面から生えた蔓がその兵士の足首を掴んで持ち上げた。悲鳴を上げる兵士たち。彼が落とした弓矢は周囲の木の根が地面の中へと取り込んでいく。
さらに勇気ある兵士が短剣を取り出した。蔦を切って男を助けるつもりなのだ。すぐさまヴィヒレアももう一本の蔓を出し、短剣を取り上げる。さらにもう一本の蔓を生やし、その短剣を二度と使えないよう折り曲げた。
また、別の花が兵士の隊列を捉えた。次は騎馬隊だ。こちらはケトゥやコーラが応戦する。木の上に待機していたケトゥとコーラが小石の礫を騎馬隊に向かって投げつける。頑丈な鉄の鎧を着た兵士たちだ。小石が飛んできたくらいで怪我一つしないが、頭上からの攻撃には驚いたようだ。何名かが落馬し、それを避けようとしてバランスを崩した兵士たちがさらに落馬する。地面に落ちた兵士たちに追い討ちをかけるように、モグラやイタチたちが顔に向かって砂を撒き散らした。
「ぐあああっ」
と、いう兵士たちの声が花を通してヴィヒレアまで聞こえてくる。顔も当然鎧で覆われているが、砂は覗き穴から入り込んでくる。しばらくは起き上がれまい。
しかし白い馬に乗る兵士は石も砂も華麗に避けて、さらに森の奥へと進もうとする。おそらく今回の捜索隊の隊長だ。彼を見逃さなかったヴィヒレアはすぐに馬の足元に蔓を生やす。しかし華麗に躱されてしまう。
「素早い!」
何度やっても躱される。気がつけばすぐ近くまで迫ってきていた。彼がヴィヒレアの姿を発見するのも時間の問題だろう。
彼は自分を見つけたらどうするのだろうか、と考えた。
王を殺した罪は免れない。ここで殺されるのか。それとも城に連れ帰られ首を切られるのか。どうせならもう一度、母親の顔を見て死にたい。しかし死ぬことはできない。今のヴィヒレアには森の女王としてこの森を守る使命があるのだ。ここで見つかるわけにはいかない。
しかし遂に目の前に白馬に乗った悪魔が現れた。こちらに弓矢を向ける仮面の奥に見える瞳。その目には見覚えがあった。
ヴィヒレアの父・キヴィパ。その弟・コルヴィキーの息子。つまりヴィヒレアの従兄弟にあたる青年だ。
名前は確か、テホア。
「見つけたぞヴィヒレア!」
「危ないヴィヒレア!」
テホアの横の草陰から飛び出すケトゥ。
ケトゥがテホアの鎧にぶつかり、放たれた矢の軌道がわずかにズレる。
ケトゥとテホアはそのまま地面に転がり、彼の矢はヴィヒレアの頬を掠めた。
「お前、あの時の狐だな!」
テホアはすぐに立ち上がると、ケトゥの尻尾を掴んだ。あまりの反射速度にケトゥも対応しきれなかったようだ。
しかしヴィヒレアも負けていない。先端を鋭利にした蔓をテホアの目の前に生やす。
「ケトゥを離しなさい」
「脅しのつもりか。ただの草じゃ、このセウラーバ製の鎧は切れぬぞ」
「その覗き穴は何のためにあるのかしらね」
テホアは鼻で笑うと、ケトゥの尻尾を離す。地面に落とされたケトゥはヴィヒレアの側まで駆けて来る。
「見逃してやるが文句の一つは言わせてもらおう。お前のせいでメッツァは百年の遅れを取るだろう。キヴィパ叔父さんが掴んだチャンスをお前が駄目にしたんだ。セウラーバとの交易関係も悪化した。前より輸出を制限するそうだ。しかしお前のせいで我が国で機械業のきの字も営めない。剣も鎧も前より貴重になったんだ。それにも関わらず、お前はここ複数回の捜索隊の鎧と剣を駄目にしている。これ以上メッツァを侮辱する気か魔女め」
「私は文句なんてない。その代わりあなたと会話する気はない。見逃しもしない」
「何?」
ヴィヒレアは手の平に力を込めると、魔力を込めた球をテホアに放った。もろに食らった彼は、その場に倒れ込み動かなくなる。
「ヴィヒレア、お前やりすぎだ!」
横にいたケトゥがこちらを向いたが「大丈夫」と手で制した。
「気絶させただけ。命に別状はないはずよ。さあ、元いた場所へ返しましょう」
ヴィヒレアは蔓で森の外に繋がる道を作ると、バケツリレー方式で彼と馬を運び出した。それと入れ替わりにリントやコーラも帰ってくる。
「ヴィヒレア?」
コーラの投げかけに、ヴィヒレアは最大限の笑顔を作った。
「私たちの城へ戻りましょう」
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