第7話 悲劇の母

 キヴィパ国王が娘であるヴィヒレア王女に殺された。王女は森へ逃走した可能性。


 その文字は翌朝の新聞に大きく書かれていた。


 国王を殺すとはどれほど異端なことか。貴族はそう叫び、方や一般国民である華族や平民は、王女は森を危機から救った救世主と崇めた。国は混沌を極めていた。


 両者とも王家の説明を待っていたが、その日は城の門が閉ざされ、王家は沈黙を守った。


 その翌日。戴冠式が行われた。ラーハの弟であるコルヴィキーが王位に就くことになったのだ。


 コルヴィキーは王位継承後、すぐに城内で議会が開かれた。王と貴族で構成された中央議会。つまりヴィヒレアを王殺しの魔女と蔑む人々の集まりだった。彼らは魔女の母親であるマーの国外追放、そして森への魔女討伐を提案した。コルヴィキーはそのような貴族の反対を押し切り、マーの城内保護と森へのヴィヒレア捜索を実行した。


 しかし、ヴィヒレアの捜索は成果が出ないまま七日が経過していた。


 マーに与えられた新たな部屋の窓辺からはメッツァの森がよく見えた。今日もマーはそこから森を眺めている。

ヴィヒレアはどうしているのだろう。きっと生きているに違いない。生きているに違いない? まるで一瞬でも最悪を考えたみたいではないか。ああ、どうして守ってあげることが出来なかったのだろう。


 あの夜から、マーの心は後悔で一杯だった。


『もちろんいつまでも同じやり方じゃいけないのはわかってる。でも過去を無視していいわけじゃない!』

『ヴィヒレア、お前はまだ子供だからわかっていないんだ』

『じゃあ、大人に聞いてみましょうよ! お母様は?』

『私は……』


 「私もそう思う」、と答えてあげることが出来なかった。あなたは間違っていない、森は開拓しない方が良い、と言えなかった。


 マー自身もキヴィパの発表に驚いたのだ。彼を信じてここまで生きてきた。皆からの信頼は厚く、そして優しく。どこか野心を燃やすような目が好きだった。


 しかし瞳の奥の炎は野心ではなく邪心だった。


 裏切られたとは思わない。自分が見誤ったとも思わない。ただ、悲しかった。


 積み上げてきた生活が崩れていく音が聞こえた。


 まただ。そう思った。


 マーはメッツァの東にある小さな村で生まれた。城下町が広がる西とは真逆だ。


 戦争を終え、父親が戦場から帰ってきた。平和な生活が始まると思ったら、彼はすぐに流行り病で死んだ。母は職を転々としながらマーを一人で育てた。やがて父の戦場での功績が認められ、一家に名誉華族の称号が与えられた。おかげ母の職は安定し、平民として暮らしていた頃に比べれば幾分か生活しやすかった。しかし名誉華族は元平民のためか、純粋な華族と同等に扱われることは少ない。母は毎日朝から夜まで働き続けていた。そして母は過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。一人残されたマーは自力で生きていくしかなかった。


 彼女は思い切って西へ行くことにした。西の方が職の選択肢が多いし、新たな土地で挑戦をしてみたかったのだ。そして彼女の境遇に同情してくれた人が特権階級向けの酒場で雇ってくれた。汗水垂らしながら毎日懸命に働いた。気づけば店で一番の踊り子に、それどころか町中で噂になるほどの看板娘へと上り詰めた。「今日はマーはいないのか」「マーに会いに来た」そう言うお客さんが毎日来る日々。


 ある日、噂を聞きつけた貴族が来店することになった。その中には王族もいるとのことだ。店主から最高のパフォーマンスをするように言われたマーはそれに応えた。貸切で貴族しかいない店は拍手で一杯になった。さらに追加で注文が入り、店主はいつもに増してご機嫌であり、マー自身も達成感で満たされた。


 次々と飲み続ける貴族の群れから一人の青年が姿を表した。その身なりからすぐに王族の人物だとわかる。彼は手をこちらへ差し出しながら、


「やあ、素晴らしい踊りだったよ」


 と。微笑んだ。「光栄です」とマーもお辞儀する。しかし彼の名前が出てこない。普段から働くことに懸命すぎて時事に疎かったのだ。彼はそれを察したようで、


「悪い! 自己紹介がまだだったな」


 王族らしく上品に頭を下げた。


「キヴィパ・キエロ。今の王様の次男だ」

「マー……、マーです」


 マーも自己紹介をしようと試みたが、上手く苗字が出てこなかった。決して忘れたわけでも、隠したかったわけでもない。ただ、この街で新たな人生を歩んでいた自分にとって、前と同じ名前を名乗れるだろうかと疑問に思ったのだ。


「大地か。素敵な名前じゃないか」

「ええ、母なる大地のように力強く、優しく、強かに逞しく生きてほしいと。そう願いを込めて父から頂いた名前です」

「お父様の願い通りになっているようだ。そうだ。君が良かったら一緒に飲まないか」


 マーは賑わっている席の方を見る。王様と一人の青年を囲う貴族たち。随分と盛り上がっているようだった。

キヴィパはマーの視線の先に気が付くと、苦笑いを浮かべた。


「私は構わないよ。向こうはこっちの事なんて気にしない。父は次期の王である兄に挨拶をさせるので忙しいんだ」

「良いのですか?」

「ああ。好きなものを頼むと良い」

「では、ヴィーナを、お願いします」


 貴族や華族の間でよく飲まれるメッツァの蒸留酒・ヴィーナ。普段からテーブルに運んでばかりで、華族になってから一度も飲んだことがなかったのだ。


 透き通るように美しい金色の液。浮かぶ氷が暖かい照明の光を反射する。綺麗な飲み物だと思った。少量を口に含み、喉を通らせる。するとすぐに視界がぼんやりとし、酔いが回ってきていることがわかった。


「おいおい、大丈夫か」


 と、彼はマーの背中に手を当て支えた。


「すみません、ご迷惑をおかけして」

「迷惑だなんて全然。ヴィーナは初めてだったのか」

「ええ、そうなんです」

「そうかそうか。君の初ヴィーナに立ち会えて光栄だよ」


 アルコールが入ったマーは自分の生い立ちについて語り始めた。真剣に話を聞いてくれた彼は、彼自身の生活の悩みも打ち明けてくれた。


 王は兄を次の王にしようと鍛えているが、優しすぎる兄にその資質はないであろうこと。王は兄に再び戦争をさせようとしていること。彼は周囲の国を支配し、土地を広げるのではなく今ある土地を大切にしたいこと。特に森に恵まれた土地の特性を活かし、国を発展させたいこと。外国と交流し、友好関係を築いていきたいこと。


 優しい声持ちながらも野心に満ち溢れたその目が好きだった。いつかその中に輝きがなくなるとは知らずに。


 やがて王家に三男のコルヴィキーが生まれた頃、彼の兄が王位に就いた。しかし、上手く政治ができなかった彼は父に見放され、彼自身はすぐにキヴィパへその座を譲った。その際、キヴィパはマーを王妃として迎えようとした。中央議会の貴族たちからは大反対を受けた。当然のことだ。酒屋に勤める踊り子の娘。ましてや名誉華族。王族に迎え入れる人として相応しくないのはマー自身も理解していた。しかしキヴィパの意思の強さ、彼の兄の進言もあり、晴れてマーは王族へ迎え入れられることになった。


 それからキヴィパは理想通り、メッツァを経済大国へと成長させていった。森の幸を活かした政策は国内外から高く評価された。メッツァクリスマスフェスティバルを完成させたのも彼だ。元々メッツァには冬に森へ感謝する伝統的な祭りが行われていたが、彼が国全体で祝う大きなものに変えたのだ。その甲斐あってか、その祭りを見に国外からも見物客が来るようになっていた。


 どうしてそれがあのような結果をもたらしてしまったのだろう。


 メッツァの町を大きく発展させたい。その意思は何も変わっていないはずなのに。何かが彼を変えていた。


 それに気がついていた。それなのにヴィヒレアにも、愛するキヴィパにも救いの手を差し伸べられなかった。


 後悔の念は治らない。

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