第4話 演説(後編)

 それにも腹が立ったが、ヴィヒレアはマーに連れられ上手袖へ来た。


「ヴィヒレア、一旦落ち着きましょう。ここではパーティーに来てくださった方にも迷惑よ」


 マーは平手打ちをされた頬に手を当てようとしたが、ヴィヒレアはその手を優しく掴んだ。


「やめてよ、お母様」


 優しい母親には感謝していた。慰めようとしてくれているのはヴィヒレアもわかっていた。しかし、それでは彼女の怒りは収まらない。


「私はまだお父様に聞きたいことがあるの。国民が集まっているからこそ、今ここで聞かなくちゃならないの」

「……ヴィヒレア」


 ヴィヒレアの目を見たマーは、自分では彼女を止められないと悟った。マー自身もキヴィパの発表に戸惑いがあったからかもしれない。去り行く背中にもう一度「待ちなさい」と言うことはできなかった。


 再びが舞台に現れたことで、空気が変わる。上手に背を向けクラフトと話していたキヴィパだが、娘の気配を察知した。


「お父様、もう一度聞くわ。本当に森を開拓するの? メッツアを良くするって言ったけど、今のメッツアがあるのは何のおかげかしら」

「もちろん今までメッツアを支えてくれた森には感謝している。でも昔のままではいかないんだ」


 両者とも一度落ち着いたせいか、静かに、言葉を選びながら話していた。しかし、熱はすぐに戻ってきてしまう。


「もちろんいつまでも同じやり方じゃいけないのはわかってる。でも過去を無視していいわけじゃない!」

「ヴィヒレア、お前はまだ子供だからわかっていないんだ」

「じゃあ、大人に聞いてみましょうよ! お母様は?」

「私は……」


 上手袖に残るマーに問いかけるも、彼女は言い淀む。ヴィヒレアは答えを待てずに、次はクラフトを指差した。


「あなたは!」

「そ、それは国王陛下が判断することだ」


 突然の指名に一瞬噛んだが、彼は答えて見せた。しかしその答えも人任せな答えであり、「話にならない」と、ヴィヒレアは言い捨てた。続けて、舞台中央から一部始終を見ていた国民に話しかける。


「みんなはどうなの? 本当に森を捨てる気?」


 王女の言葉に俯く者。周りと目を合わせる者。様々だった。しかし声を挙げる者はいない。


「ほら! 誰一人イエスって言わない!」

「沈黙は肯定だ」


 ヴィヒレアを凌ぐ大声。空気の振動が肌で感じられるほどだった。


 ヴィヒレアは深く溜め息をつくと、父親の言動を嘆いた。


「お父様がこんな人だったなんて。私悲しいわ」

「それは私が言いたいね。年に一度の祝いの宴を、しかも今年は特別な宴であるにも関わらず、お前にその空気をぶち壊されている」

「お父様のせいでしょ……。私はお父様のこと信じていたのよ? お父様はこのメッツアの街を愛してるって、大切に思ってくれてるって……」


 感情も涙も溢れ出すと止まらない。しかしキヴィパはヴィヒレアに寄り添うどころか、理解しようとする姿勢も見せなかった。いや、全く理解が及ばなかったのだ。キヴィパからすれば、ヴィヒレアの言動一つ一つが疑問なのだ。


「言っていることがわからないな。私はこのメッツアの街を第一に考えているつもりだが。そしてこの案件もメッツアが大好きなお前なら喜んでくれるに違いないと信じていたが、何が不満なんだ?」

「何よそれ……。お父様はこのメッツアの街のことを何も考えていない! メッツアは森に助けられてきたんでしょ? 山菜も魚介も、全て森が私たちに授けてくれるのよ? その森を無くすなんて……」

「半分だけだぞ」

「何ですって……」


 ヴィヒレアは絶句した。


「その半分にどれだけの命があるか……。どんな食べ物が採れて、どんな動物が住んでいるか、お父様は知っているの?」

「……」


 不意に投げかけられた問いに、キヴィパは気まずそうに黙り込む。ヴィヒレアはどのくらい待てば答えるだろうか、と考えたが待つことはできなかった。本来、国王ならすぐに答えられて当然だからだ。


「本当に知らないのね! 私悲しいわ。お父様が森へ感謝もせずに生きてきただなんて」

「国王陛下、これは一体何なんですか!」


 痺れを切らしたクラフトまで入ってきた。キヴィパは冷静を装いながら、


「いやすみませんね。まだ社会を知らない馬鹿娘の戯言ですよ。今すぐ静かにさせますから、少々お待ちください」


 と、再び馬鹿娘と言った。それに更に腹が立ったヴィヒレアは「何ですって!」と、彼に詰め寄る。それに合わせ、キヴィパも顔を寄せた。


「お前はまだ社会を知らないって言ったんだ。いつまでも森に頼っていては他の国に遅れをとってしまう。時代が変わりつつあるんだよ。メッツアが商業の中心となるんだ」

「それは森を排除する理由にはならない!」

「なるさ。不要な森を捨て、新たな時代を迎え入れる器を作る。十分な理由だ」

「おかしい……おかしいわお父様。そんなの馬鹿げてる」


 ヴィヒレアは一歩、また一歩と下手袖へ後ずさる。父親が化け物のように見えた。変わり果てたのか、本性を表したのか。とにかく今のヴィヒレアには恐ろしいものにしか見えなかったのだ。


「ああ本当に馬鹿げてやがる」


 その声は下手袖から聞こえてきた。


「けどな、俺にはずっと自分は関係ないって顔してるお隣の大臣さんにも腹が立つんだよ!」

「ちょっと!」


 キサが止めるよりも早く、ケトゥは飛び出す。ヴィヒレアを追い越し、クラフトに飛びついた。


「ひっ狐だ!」

「どうしてこんなところに狐が!」


 キヴィパはすぐにクラフトからケトゥを引き剥がそうとしたが、思いの外ケトゥの力が強く離れない。キヴィパは諦め、兵士を呼ぼうと一度袖に隠れた。


「俺は頭が良いからわかるんだぜあんた」


 ケトゥはそう話し始める。


「最近はおたくが機械産業で発展してるから、今一番のメッツアと手を組んで、利益をメッツアとセウラーバで総なめしようとしてんだろ。それが一番安全で最大の利益を生むからな。クズな野郎だぜ」


 無論、しかしクラフトに彼の言葉は届かない。鳴き声にしか聞こえないのだ。


 キヴィパが呼んだ兵士二人がケトゥを力づくで引き剥がす。かなりの力で引っ張ったので、勢い余ってケトゥは床に転げた。そのケトゥにとどめを刺すように、キヴィパは彼の腹を蹴りつけた。


「どこから入り込んだんだ、狡猾な狐が!」

「ケトゥ!」


 ヴィヒレアに続いて、キサやコーラたちも袖から現れる。動物達はケトゥをゆっくりと起こし、ヴィヒレアはキヴィパを鋭く睨んだ。とても父親を見る目ではなかった。


「どうした? まさかお前が連れてきたのか? 王女ともある人間が下等生物を連れてくるとは。動物の分際で人間に楯突くのだぞ。こんなのが森にまだたくさんいると考えたら吐き気がするな。半分どころか全て焼き払っても良いくらいだ」

「……謝って」

「は?」

「ケトゥに謝って!」

「どうして人間より下の生き物に頭を下げねばならぬのだ。ましてやずる賢い狐だぞ」


 キヴィパはそうケトゥに指を差す。彼はまだ痛むのか、蹴られたお腹に手を当てたままだった。


「酷いわ……本当に酷い……」

「どうしてこんな子になってしまったんだ。おい、剣を寄越せ」


 と、キヴィパは側にいた兵士に何もない手の平を出す。その言葉と行動から、彼が何をしようとしているかは明白だった。


「ちょっと、お父様?」

「早く寄越せ! 王の命令だぞ!」


 躊躇っていた兵士も、そう言われては渡すしかない。短剣を受け取ったキヴィパは鞘を投げ捨てると、ケトゥに剣先を向けた。


「やめてお父様!」


 ヴィヒレアはキヴィパの腹目掛けて突進をする。ぶつけられたキヴィパは「うっ」と声を漏らし、短剣を落とした。ヴィヒレアはそれを見逃さず、短剣を拾い上げる。そそいて迷いなくその先端をキヴィパの腹に突き刺した。


 会場から上がった悲鳴が響き渡ると一気に静寂に包まれる。誰もが目の前の光景に疑った。頭で整理しようとした。そういう時間だった。


 そこでヴィヒレアは自信が犯した過ちに気が付く。震える手から短剣が落ち、金属と床が音を立ててぶつかる。その音で初めて兵士が動いた。


 倒れているキヴィパに近づき、呼吸と脈を確認する。


「流血が酷い。意識もない。まずいぞ、誰か衛生兵を連れてこい!」


 「俺が行く」とすぐにもう一人の兵士が動いた。それを皮切りに次々と皆の時間が動き出す。残った兵士が応急処置を始めようとすると、その手をクラフトが止めた。


「おい兵士何をやってる! 先にあの娘を捕らえろ!」

「し、しかし!」

「いいから!」

「はっ!」


 クラフトに命じられてヴィヒレアに向かおうとする兵士を、次はマーが止める。


「ちょっと待ちなさい!」

「あなたは先に来客の俺を避難させるべきじゃないのですか!」

「何を言う無礼者!」

「無礼者だと?」


 と、クラフトがマーに手をあげようとする。高く上がった彼の右手にコーラが噛み付いた。


「おばさんに触んなペテン師!」


 コーラを引き剥がそうとする左手にはキサが噛み付く。


「ヴィヒレア突っ立ってないで逃げて!」

「私……」

「早く!」


 どこへ逃げればいいかもわからない。しかしキサの声で、今はとにかくこの場を離れなければならないと思った。ヴィヒレアは国民が集まる会場へ飛び降りると、ドレスのまま人並みを掻き分け走った。国民の中もヴィヒレアの逃げ道を作ろうとする者。彼女を捕らえようとする者と様々だった。両者の間で新たな争いも始まる始末だ。


 王立劇場を抜け、大通りに出る。城に戻るわけには行かない。反対側を向くと、あの森が見えた。

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