第2話 森の危機

 ヴィヒレアは深緑のワンピースに、青い幾何学模様が施された白いエプロンを着た。長い髪は二本の三つ編みに。靴はくるぶしよりも高さがある革のブーツだ。ヴィヒレアのお気に入りのコーデである。ただ、それでは少し寒いのでマフラーとコートも身につけておいた。


 コーラとキサを連れて部屋を出る、忙しなく城の従者たちが行き交う廊下を抜け、城門を出ると祭りの準備が進むメッツァの街並みが彼女の前に広がった。


 夜のステージに向けて照明などの確認がされている王立劇場の野外ステージ。それらに出演するジキア音楽隊の演奏。色んな家々が店前に出す屋台。メッツァの郷土料理が振る舞われたり、バザーが行われたりするのだ。


 ヴィヒレアはこの準備の期間がたまらなく好きだった。祭りの開催が近づいてきている、それだけで心が踊るのだ。


「ヴィヒレア王女!」


 ジキア音楽隊の前を通りかかると、クラシックギターを引いていた男が演奏を止め、ヴィヒレアに声をかける。民間音楽隊の創設者であるジキア・タイドだ。


「ジキアさん! コンサート楽しみにしているわ!」

「王立楽器隊よりも素晴らしい演奏をしてみせますよ!」


 と、彼は白くなった髪を掻き上げ手を振った。皺のよった笑顔からは人の良さが伝わってくる。


 屋台の並ぶ石畳の道を通り始めると、四方八方から声をかけられるようになった。ヴィヒレアは一人一人に丁寧に挨拶をしていく。


「すごい人気だなあ」

「これでも一応、王女だからね」


 呆気に取られるコーラに、キサは前を向いたまま答える。コーラよりもヴィヒレアとの生活が長いキサにとって、この光景はもう慣れたものだったのだ。


「ヴィヒレアおうじょーっ」


 と、今までよりも一際可愛らしく高い声が聞こえる。一つの屋台の影から三人の女の子が出てきたのだ。


「あら、皆さんおはよう」

「おはようございますっ! あの! ことしも、おみせ、きてくれますか!」

「ええ、もちろん。あなた達のお店のカーリカーリュレート、とっても美味しいもの」

「やった! ありがとうございますっ」


 より一層笑顔になった女の子たちは両手を上げながら、店の中へ戻って行った。その後ろ姿を見ながら、


「知り合いが多いね」


 と、コーラはヴィヒレアを見上げた。


「キャベツ農園の子供たちよ。ここのカーリカーリュレートは正直、城のシェフが作るものよりも美味しいわ」


 カーリカーリュレートはメッツァの郷土料理の一つだ。甘いソースをかけたロールキャベツであるこの料理はヴィヒレアのお気に入りでもある。


 街を抜け、石橋を超えると草原が広がる。その先にはメッツァの雄大な森が広がっていた。シラカバやトウヒ、マツが群生するこの森には多くの動物たちが生息している。森の中を流れる川も様々な魚が住処に使っていた。


 雪が積もっていても、鳥の囀りがあちこちから聞こえてくる。そのような森に入ると、ヴィヒレアは大きく伸びをした。


「森の空気はいつ来ても美味しいけど、冬は格別ね」

「ヴィヒレアは昔から本当に森が好きよね」


 キサの言葉にコーラも大袈裟に頷いた。


「森への愛はヴィヒレアがメッツァ一だよ」


 ヴィヒレアは川岸に生えていた大きな木の根に腰を掛けると、釣り針を川の中へ下ろした。


「だって子供の頃からずっと、この森と一緒に育ったんだもの。友達もたくさんいるし、家族のように大切な存在だわ」


 ヴィヒレアの森好きは幼い頃からだった。何度も城を抜け出しては、キサやコーラと、時には一人で森へ遊びに行った。キヴィパもマーも王女でもある娘が危険な場所に行くことを心配したが、あまりに森へ通うのをやめない様子を見て、ついに許してくれるようになった。毎度、必ず帰って来ていたことも理由だろう。


 ヴィヒレアは動物たちと話すこともできたので、すぐに森の動物たちとも仲良くなった。そして大きくなってからも、頻繁に森を訪れては、ひもすがらここで過ごしていた。


 釣りを始めてから、コーラは小動物と追いかけっこをして遊んでいた。一方、キサはやはり寒かったのか、ヴィヒレアの脚の上で丸くなっていた。

水面が揺れ、竿が引っ張られる。「来た!」と勢いよく引き上げると、立派なクチマスだった。大きな尾鰭を揺らし、水が跳ねる。それと同時に背後から草木が揺れる音が聞こえた。


「おや、誰かと思ったらヴィヒレア達じゃないか」

「ケトゥ、クァンニ!」


 ヴィヒレアはクチマスを籠に入れると、現れた友人たちに駆け寄った。先頭にいたのはホッキョクキツネのケトゥ。白い毛並みにふかふかの尻尾。人間でもわかるほど綺麗な目をしているのが特徴的だ。


「みんな、メリークリスマス」


 彼の背後から顔を大きな耳を覗かせているのはユキウサギのクァンニ。小柄で可愛らしい女の子だ。彼女の声が聞こえるや否や、コーラは遊ぶのをやめ、クァンニに勢い良く駆け寄る。


「クァンニ〜っ! 今日も可愛いね!」

「え、あ、ありがとう……」


 耳を垂れさせながらもコーラの熱量に一応の感謝の言葉を述べるクァンニ。しかし引いているのは明白だった。その様子を見たキサがすぐさまコーラの首根っこを捕まえる。


「あんたはすぐクァンニにくっつかないの。離れなさい」


 と、引き剥がした。ケトゥは恒例のやり取りに苦笑しながら、ヴィヒレアが持つ釣り竿に目をやった。


「今日の獲物は何だい」

「ローチとクチマスよ。お母様が今夜のクリスマスフェスティバルの料理に必要とおっしゃってたの」


 まだクチマスしか釣れていないけれど、とヴィヒレアは付け加えた。


「お祭り、今年も開催されるのね」


 コーラから解放されたクァンニも会話に入ってくる。しかしコーラも諦めておらず、キサに押さえつけられながらも、


「しかも今年は隣町からお客さんも来るから、いつもより盛大に行われるんだよ。クァンニが良ければ俺と一緒にっ」


 と、キサの手を抜け出したかと思ったが、彼女はすかさず脱獄者へ天誅を下した。


「クァンニ、コーラの言ってることは聞かなくても大丈夫だからね」

「う、うん」


 クァンニはキサの力にも若干引き気味であったが、それを悟られぬよう話を続けた。


「でもそんなに大きなお祭りなら、私ちょっと行ってみたいかも」

「そうだなあ。俺も今年は行ってみようかな」

「あら、ケトゥは人間嫌いなんじゃなかった?」


 ケトゥらしからぬ言葉に、ヴィヒレアは疑問を投げかける。


「ああ、嫌いだぜ。ヴィヒレアを除いてな。ヴィヒレアは俺みたいな狐にも優しくしてくれるのに、他の人間はずる賢い動物だって冷たい目で見てくるからな」


 動物たちの間に狐に対する偏見はない。だからこそキサは素直に彼を褒めた。


「ケトゥはちゃんと頭が良いからずる賢く見えちゃうんだよ」

「そりゃ否めねえ」

「褒めて損した」


 と、彼女はヴィヒレアの元へ帰ってくる。


「ま、人間は嫌いだが奴らの作る料理は美味い。一度食べたことがあるが、このメッツアの森の素材の良さを上手く引き出せてやがる」

「こっそり私のところに来てくれれば料理分けてあげるよ」

「本当か! やっぱり持つべきものは友だなあ!」


 ヴィヒレアの提案にケトゥは拳を突き上げて喜んだ。普段は格好付けているケトゥだが、このように感情に素直なところもある。ヴィヒレアは彼のそんな一面が好きだった。


 不意に、ずっと聞こえていた鳥の囀りが聴き馴染みのあるものに変わる。


「あら、皆さんお揃いで」


 頭上を見上げると、近くの枝にクロウタドリのリントが止まっていた。羽休めを始めたリントにクァンニが話しかける。


「今朝は見かけないと思ったら。どこにいたの?」

「今日は暖かいからね。ちょっと飛んで、街の方で歌の練習をしてたんだよ」


 クロウタドリはその名の通り、歌が上手な種族の鳥だ。中でもリントはこの森の中でもトップクラスに歌が上手いとヴィヒレアは思っている。


「あ、そう練習じゃないわ! 練習どころじゃなくて帰ってきたんだから」


 と、彼女は思い出したかのように慌て始める。羽が数枚落ちてくるほどの慌てようだ。只事ではない様子を皆感じ取り、コーラがその理由を尋ねる。


「一体どうしたんだよ」

「私がお城の近くの木の上で歌ってたらね、王様と見かけないおじさんが窓から見えて。話してる内容が聞こえちゃったのよ」

「で、どんな話をしてたの?」


 続いてキサが話の展開を促す。


「それがもう聞いてびっくりよ! 衝撃で木から落ちるかと思ったわ!」

「前振りが長いぞ。俺くどいのは嫌いなんだ」


 あまりに話の核が見えてこないので、とうとうケトゥまでもがリントを急かし始めた。


「みんなよく聞いていね。最近、この街に移住する人が多いらしくて。その人たちを迎え入れるために、この森を半分焼いて住宅街にするんですって!」


 リントのその言葉に声を上げて驚く者、絶句する者。疑う者様々だった。誰もが聞き間違いかと思った。


「私たちが住むところ減っちゃうの?」


 と、目を潤わせるクァンニの背中をケトゥは優しく撫でた。


「それが本当ならそうなっちまうな。くっそ、人間が嫌いな理由が増えちまった」

「私の聞き間違いでなければね……。もちろん私たちはヴィヒレアのことを信用してる。だからあなたのお父さんのことも信じたい……。だけど、だけどもし本当なら、私は怒りを通り越して悲しいわ」

「リントの言う通りだ。メッツアはこの森のおかげでここまで大きな街になれたんじゃないか? そんな森に対しての仕打ちが焼き払うだって? 感謝の「か」の字もないのか!」


 声を荒げるケトゥをキサが宥める。


「ちょっと、ケトゥ。気持ちはわかるけど、ヴィヒレアが一番ショックを受けてるのよ。もう少し考えてあげて」

「あ……悪いヴィヒレア」

「ううん……ありがとうキサ、ケトゥ。私は大丈夫だから」


 ヴィヒレアはそう答えたが、心の中は言葉に出来ない感情で支配されていた。メッツァの発展に貢献してきた王様が。毎年、祭りで森へ感謝する心を語っていた、あのキヴィパが。だからこそ、尊敬していた父親がそのような決断をするだろうか。何かの間違いだと思いたかった。しかし、今朝のマーの言葉が頭の中で繰り返される。


「お母様が……今夜の祭りでキヴィパお父様が重大発表のスピーチをするって……」

「ま、まだそのスピーチが森を焼く話って決まったわけじゃないし。まだわからないわよ。まだ……」

「確かに、それもそうだな……」


 キサもコーラもマーの話を思い出したようだが、必死にその可能性を否定しようと試みた。辺りに漂う重たい空気を改めるかのように、ケトゥが口を開く。


「どちらにせよ、俺は今日そのスピーチを聞きに行く。ご馳走よりもまずそれだ。この耳で確かめねえと」


 それにクァンニもリントも続いた。


「私も」

「私も」

「私も……ちゃんと聞いて確かめたい。私は、キヴィパお父様がいつもこの街のことを考えてたのを見てる。だからこのメッツアの街と森を大切に思ってるって信じてる!」


 六人は再び祭りの時に落ち合う約束をすると、ヴィヒレアらはローチを釣らずに街へ戻った。


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