本編
第1部 森の女王
第1話 ヴィヒレア
メッツァは小さな国だが、雄大な森を抱えた自然豊かな国だった。国の西部にはメッツァの政治と経済の中心となる町が広がる。さらにその中央にはメッツァを治める王族達が暮らす大きな城があった。
城を囲う白い外壁には朱色の屋根を持つ見張り塔があり、その内部にも同様の色をした本塔が聳え立つ。最上部のテラスからは王族達が城下を一望できるような作りになっていた。
今のメッツァを治めている王はキヴィパ・キエロ。数十年前の戦争を経験した者であり、現在の経済都市にまでメッツァを成長させた本人である。森の恵みを最大限に活かした街づくりは国外からも評価され、国民からの信頼も厚かった。
早朝。
キヴィパの娘にして王女であるヴィヒレアは天蓋付のベッドから飛び起きると、自室の窓を勢い良く開いた。小さなテラスには雪が積もっており、朝日を反射しキラキラと輝いている。
冷えた風が吹き込み、ヴィヒレアの栗色の髪を揺らす。彼女が朝の気持ちの良い空気を堪能していると、背後から小さなくしゃみが聞こえた。
「ちょっとヴィヒレア! 早く窓を閉めてちょうだい! 寒くて仕方がないわ!」
ヴィヒレアがベッドの上に目をやると、毛布に包まるペルシャネコのキサがこちらを睨んでいることに気が付いた。
「そう言わないで。今日は特別な朝なんだから。もう少し楽しませて」
ヴィヒレアは生まれつき動物と話すことができた。理由はわからないが、ヴィヒレアは動物の言葉が理解できるし、動物たちもまた彼女の言葉を聞き取ることができるのだ。それもあってか、城で飼われているキサはヴィヒレアの部屋に自分の寝床を作り生活していた。
「全く。誰かが今朝は暖かくなるって言うから、少し楽しみだったのに」
「そりゃ北国だからな! 寒いに決まってるだろ。いつもよりかは暖かいってだけだよ」
キサへ弁明するのは、いつの間にかテラスに出ていたラブラドールレトリバーのコーラ。彼もまた城で飼われている犬だ。
「でもヴィヒレアもヴィヒレアだよ。確かに今日はいつもより暖かい。でも、だからってネグリジェじゃ風邪引いちゃうよ」
「あらコーラったら。犬だって雪は大好きでしょ。それに今のあなたじゃ説得力がないわ」
既に雪まみれであったコーラの様子は、キサまでもより寒がらせていた。
「そりゃ好きだけど、すぐに部屋に戻るさ。長い時間触っていたら、足が冷たくなっちゃう」
「人間と犬はすごいわね……。雪が好きだなんて。私には無理。早く暖炉に火をつけましょう」
キサは震えながらベッドから降りると、暖炉の横に積んであった薪を取ろうとしていた。しかし小さな猫の体で、大きな薪を咥えるのは難しいようだった。それを見かねたヴィヒレアは代わりに薪を取り、暖炉に火をつけてあげた。するとキサは至福と言わんばかりの表情をし、暖炉の前で丸くなった。
「まあ、確かに猫にとっては嫌な季節かもね。でも今日は最高のクリスマス日和よ! キサもこの特別な日をもっと楽しみましょうよ!」
ヴィヒレアはキサの前で屈み、なるべく彼女に視線の高さを合わせた。しかし、キサはヴィヒレアと目を合わせることもなく、目を細めるだけだった。
「寒いことに変わりはないでしょう。何を楽しめって言うのよ……」
コーラも暖炉の前に戻ってくると、体を震わせて毛に着いた雪を辺りに撒き散らした。キサは露骨に嫌そうな顔をしたが、コーラは気付かずに話し始める。
「楽しむものはあるだろ? 王室主催のクリスマスフェスティバル! 国民がそれぞれご馳走を持ち寄る、メッツア伝統のお祭りさ!」
「そうよ! この伝統のお祭りは––––」
「メッツアを国一番の都市へ導いた森へ感謝する祭典」
キサはヴィヒレアを遮り、見事に彼女の言葉の続きを言ってみせた。
「その通り! さすがはキサ。よくわかってるわね!」
「ええ、あんたから何度も聞かされたからね。あんたほど森を愛する娘はこの国にいないよ」
ヴィヒレアはなんだか照れ臭くなり、鼻を擦りながら笑った。
「確かに森は大好き。でもね今年は本当に特別よ。隣の国からもお客様がいらっしゃるそうなの! きっといつもに増して盛大になるに違いない!」
以前、家族で食事をしている時に、キヴィパがヴィヒレアへ伝えたことだった。キヴィパは娘が森や祭が大好きなことを知っていたので、さぞ喜ぶだろうと言っていた。ヴィヒレアも尊敬する父親はそう言うので、指折り数えながら今日という日を待っていたのだ。
しかしその熱量に、キサはやや引き気味だった。
「あー……それは楽しみね。まあ美味しいご馳走が食べられるなら、私も少しは楽しめるかしらね」
「ええ! キサにとっても良い夜になるはずよ。なんて言ったってメッツアの森の幸は絶品だもの!」
「ええ、それもよく知っているわ。私だってもう何年もこの街に住んでいるのよ」
「キサの大好きなクチマスのムルッカもあるはずだよ」
ムルッカは森に流れる川で採れた淡水魚を使った料理である。油でそれらを揚げたムルッカはメッツァのソウルフードの一つなのだ。
「私の舌を満足させるムルッカがあることに期待しているわ」
キサは大きく欠伸をしながら、毛むくじゃらの長い尾を揺らした。
扉が三階叩かれる音が聞こえた。続けて聴き馴染みのある声が扉の向こう側からした。
「ヴィヒレアー! 起きてるー?」
「ええ、起きてるわ!」
「入るわよ」
と、扉を開けて入って来たのはヴィヒレアの母親にして王妃であるマーだった。朱色のドレスを身に纏ったマーはなぜか釣り竿と竹網の籠を持っていた。彼女の奥、廊下には二人の侍女が待機しているのが見える。
「コーラとキサももう起きていたのね」
「二人とお話をしていたのよ」
「それにしても珍しいわね。窓を開けっ放しにしているのに。キサが何も言わないなんて」
マーがキサの背中を撫でると、
「寒いわよ。さっきからそう言ってるのに二人とも聞いてくれないの」
「おいおい僕たちが悪者みたいに言うなよ」
と、キサやコーラがマーに向かって言った。しかし動物の言葉がわからないマーにとっては彼らの声は鳴き声にしか聞こえない。「きっと二人とも仲がいいのね」と言い出す始末だ。その様子にヴィヒレアは苦笑いした。
マーは思い出したように、
「そんなことより、森の湖に行ってローチとクチマスを数匹釣って来てくれない? 王様が重大発表のスピーチをする大切なお祭りというのに、召使い達ったらすっかり忘れていたそうなのよ。私たちはもう今夜の準備に取り掛からないといけないから、お願いできるかしら?」
と、釣竿と籠をヴィヒレアに差し出した。すると、廊下にいた侍女が部屋の中へ顔を覗かせてくる。
「やはり私たちが行きます。ヴィヒレア王女に使いをさせるなんてできません。それにもとは言えば、私たちのミスですし」
申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女に対し、ヴィヒレアは首を振る。
「大丈夫よ。私に任せて。ちょうど森へ遊びに行こうと思っていたところだし」
ヴィヒレアはマーから釣竿と籠を受け取ると、「もちろんキサとコーラも行くわよね」と二人の顔を覗き込んだ。コーラは「もちろん」と綺麗な麦色の尻尾を振った。一方、キサは「私はパス」と、ヴィヒレアのベッドの上に飛び乗った。しかしやはり、マーには鳴き声にしか聞こえない。
「キサったらいいお返事」
「え、ちょっと私は行かないって言ったのよ」
マーの言葉に、キサは子猫のように目を丸くした。彼女の動揺にコーラも調子付く。
「そうかーキサも行きたいかー」
「だから行かないって! ヴィヒレアも何とか言いなさいよ!」
キサはヴィヒレアに助けを求めたが、彼女も楽しくなっていた。
「私、キサも来てくれたら嬉しいな」
十八の少女が精一杯出した甘い声に、キサもこれ以上抵抗することはできなかった。
「くっ……、ヴィヒレアに言われたらしょうがないわね」
「やった! じゃあみんなで魚釣りに行ってくるわ!」
「ありがとう。気をつけてね」
「それじゃあ、早速着替えて準備しましょう!」
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