第2話 不快感
夢の中では、高校時代の一場面が映し出されていた。
もとより本を読むことが好きな彼女は、その突出した感受性と才能をいかんなく発揮し文芸部と競技カルタ部を兼部していた。
思えば、3年間は文字に囲まれた濃い学生生活だった。
いつしか小説を書くことに憧れを感じ、『【秋空カエデ】のような人の心を動かすことが出来るような小説を書きたい!』と意気込んでいた。
年に一度開かれる【丘校祭】という一切の捻りもない名の文化祭では、先生や生徒が渾身の自作の小説を展示するというプログラムがあり、趣味で小説を書いている先生が毎年賞を受賞するというのが定番の流れだった。
突如台風の目とも呼べる高校一年生のサヤカの大賞受賞により、これまで連続で受賞していた先生Aは、悔しくも優秀賞という座にとどまることになった。
それも今年だけのことに限らず、彼女の異例の3度受賞という伝説のひとつを作った。
しかしてその反響は一切なく、関心のない生徒から見た私は、単なる【本好きがなにかしているらしい】としか映らなかっただろう。
サヤカが卒業してからは、小説展示会は再びAの独壇場と化したらしいという旨を、先日行われた文化祭の後元担任からのメールで知らされることになった。
一方、カルタで輝かしい成績を残したかと言われれば、なかなか首を縦に振れない。
偉人の恋心を記した43首に心を動かされることはあれど、それを無意味に暗記し平手で払い除けるという行為が、かの偉人に対する冒涜にほかならないとの強迫観念にとらわれていた。
そのため、部へ入部届を出したものの、部活動にはほとんど顔を出さなかった。
何故今でもこんな可愛げのない思い出ばかりが脳に張り付いているのだろうかと、疑問が浮かんでは消えることはなかった。
勢いを緩める電車のわずかな変化とともに、サヤカの脳も夢から現実へとスイッチした。
膝の上の小説が左右に揺れ、紙面を下にしてボトッと鈍い音と共に落ちる。
それと同時に目を覚ましたサヤカの網膜には、焼き付くような過度量の光がねじ込まれる。
散瞳と共に脳が覚醒し、咄嗟に口元を覆う。もしヨダレなぞ垂らした暁には、二度とこの電車に乗れないような気がして……。
目的地まであと一駅というところで目を覚ましたのは良いタイミングで、床に横たわっているソフトカバーを徐に持ち上げる。
違和感の残るその手には、数ページが折れ曲がった本が無機質に添えられていた。
寝起きのため頭が十分に働いておらず、折れ曲がった本を見つめても何も感じない。いつもだったら、1日ブルーなまま不貞寝しているのだろうが。
電車が駅に止まると同時に、慣性でサヤカの頭は左右に揺れるが、その頭には空虚以外の何も詰まっていないために妙に軽い。
大学の1つ手前の駅で乗るような怠惰な学生はおらず、電車に駆け込むのは、小綺麗なスーツに身を包んだ中年サラリーマン、と言ったところか。
再び寝落ちする気力もなく、【降ります】ボタンを軽快に押し、その手を小説から吊革へスムーズに持ち替えた。
そこへ汗の滴るサラリーマンが不敵な笑みを浮かべて座るのだからサヤカの心情は不快極まりないのであった。女子大学生というステータスに自身、魅力を感じたことは無く、彼氏の居ないこの数年に不満を感じたことも無い。
【〇〇大学駅前】に到着すると、電車は耳を劈く嫌な音を上げ、その勢いを徐々に落としてゆく。完全に停止したと思った時、出入口のドアが2箇所開き、カラフルな服装をまとった学生達は悠然とICを手慣れた手つきでデバイスに翳す。サヤカも例に漏れず、ICを翳して電車を降りる。
改札を抜けると、地下へと続く階段から冷気がそよぐ。誘われるようにツカツカと階段を降りると、そこは活気溢れる地下アーケード街であった。
ここにいる人は、見渡す限り髪をカラフルに染めた学生ばかりで、それはもう黒い髪のままのサヤカが逆に浮いてしまうほどだった程だった。
最寄り駅に学生が溢れかえるほど、〇〇大学の学生の数は他の大学に比べ群を抜いていた。
波に揉まれながらも鞄を両手に抱え、ゆっくりと意志を持って歩く。立ち話、買い物、ナンパ……、中には髪を染めているにも関わらずスーツを着ている人間もいるものだから、サヤカの田舎で培った常識力では到底理解できようもない。
虫唾から染みでる嫌な汁に侵されながらも、地上へ出る階段へ到着した。けれども辺りは未だに煩く、それだけでサヤカの不満は有頂天に達していた。
気づけば、額には嫌な汗が滲んでおり、カバンに手を突っ込んでハンカチを取り出すそぶりを見せるが。
数度空振りした手には当然何も握られておらず、諦めてカバンに目を覗かせる。
カバンの中に、ハンカチは入っていない。
虚無感に頭が蝕まれつつも、片の手の甲で微量の汗を拭い、それをスカートに擦り付ける。ほんのり湿った額と手の甲は、蒸発による清涼感をサヤカに与えていたが、ぬめるような湿り気は大学についても尚払われることはなかった。
帰省 宮城咲都 @one-chemi
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