第9話

 その日、親が私に心療内科への受診を勧めてきた。

 親が言うには、恋人の死を目の当たりにした心理的なショックによる大きなストレスから、心にトラウマを負っていて、それが幻覚や幻聴を引き起こしているのではないか、とのことだった。

 私は、その可能性について、考えることをしてこなかった。

 私はずっと、恋人がまだそこに存在していると頑なに考えを変えず、現実から逃げ続けていたからだ。


 私は親の考えを受け入れて、実家の周辺地域にある心療内科で診察の予約をすることとなった。


 診療所は実家から少し離れた場所にあり、私の送迎のために親が車を出してくれた。

 少し古臭い感じの建物が、田舎の診療所という雰囲気を醸し出していた。

 予約時間ピッタリに診療室に呼ばれ、診察もあっという間に終わった。

 

 医師の見立てでは、心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDと呼ばれるものらしい。

 田舎に帰ってきて落ち着いているのであれば、あまり薬に頼らなくてもいいかもしれないが、都会に戻るのであれば、薬の服用は必須だと言われてしまった。

 私は、私の本心は、現状を受け入れ難い……その一言に尽きる。

 今まで、幽霊だと思っていたものが、すべてはトラウマによる幻覚や幻聴であり、私を死に誘っていたのは、紛れもなく私自身だったという事実。

 それでも私は、その事実を受け入れる努力をしながら、先立った恋人のためにも、強く生きる決心をした。

 

 私は、1か月ほど田舎の実家で静養した後、都市部の自宅に戻っていた。

 自宅の近くにある、心療内科に通いながら、薬を服用して、なんとか症状を抑えることが出来ている。

 あれ以来、私の前に恋人や、恋人だった何かが現れることはない。


 ――ただ、不意に、何か得体の知れないものを目撃してしまったり、何かを聞いてしまったりすることはある。

 それは、私の幻覚であり、幻聴であるから、気にしてはいない。

 たとえ、それが本物であっても、私に危害を加えることはなく、恐れるものではないというのも理解している。


 余談ではあるが、恋人を轢いたトラックの運転手は、その後、過失致死罪で逮捕されていた。

 本人は、人を轢き殺したことを自覚しておらず、動物か何かを轢いたのだろうと考えていたそうだ。

 そのトラックの運転手も、今では罪の意識にさいなまれ、夜な夜な、轢き殺してしまった人間の霊にうなされる……そんな日々を繰り返しているのだろう。


 現代社会には、私のような苦しみを抱えた人が大勢いるのだろう。

 その形こそ違っていても、心の傷という本質は変わらない。


 ――それが、これまでの出来事。


 そして、この先、恋人の死を、私はしっかりと受け入れようと考えている。

 私の、脳が、心が、壊れてしまっているのなら、ずっとこのまま不可解な現象を体験し続けるのかもしれない。

 それでも、私が恋人の死を受け入れることで、あの、異形のような姿をした恋人が私の前に現れることはなくなるのだから。

 私にとっては、それだけでも十分、なのだ――


 そう思えると、私の心に繋がれた重い枷が外れ、心がフッと軽くなったような、そんな、清々しい気持ちになった。


 空の雲間から光芒が差し込み、天空から地上を照らす光の柱となっていた。

 ――それはまるで、天国へと繋がる階段のようだ。

 

 私に別れを告げるため、天使の姿となった恋人が、光り輝く天空より舞い降りてくる。


 ――私はもう、大丈夫です。

 だから、心配しないでください。

 

「安らかな眠りにつかれますよう、心からお祈りしています」


 ――最後に、天使の姿をした恋人は、私の耳元でそう囁いたのだった――

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死人の誘い L0K1 @l0k1

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