第8話

 とにかく現実逃避をしたいという願いから、私はアルコールに逃げるような生活をしていた。

 アルコールを摂取することで、現実も、恋人だった何かも、自分自身の存在さえも、すべてが幻覚だと思えるようになる。

 そう、その時だけは心の平穏をアルコールによって取り戻せた気になれたのだ。

 そのおかげか、普段より少しだけ眠りやすい環境が出来上がっていた。

 ただし、睡眠の質があまり良くなかったのか、寝不足解消とまではいかなかった。


 ――ある時、疎遠になっていた家族が私を訪ねてきた。

 私は、恋人を失い、職を失い、友を失い、すべてを失った。

 そう思っていた。

 だが、家族を失っていたわけではなかったようだ。


 父も、母も、私のことを心配していたようだ。

 私は、親に、自分が恋人の霊に悩まされていることも、アルコールに逃げていることも、死にたいと願ってしまうことも、すべてを打ち明けた。


 親は、私の現状を受け入れ、しばらくの間、実家に帰って静養するように勧めてくれた。

 私は、親の好意に甘え、状況が落ち着くまで実家に戻ることにした。


 実家は、片田舎の町にあり、小さい頃はこの町が大好きだった。

 実家の裏山には幽霊が住んでいるという噂があり、子供たちは近づくことを恐れていた。

 

 だが、私は、実家に帰ってきて早々、そんな裏山に足を運んでいたのだ。

 なぜそんなことをしたのかはわからない。

 ただ、気晴らしに散策したかっただけなのかもしれない。

 もしかすると、裏山の幽霊なら、私に取り憑いている恋人だった何かを祓ってくれるかもしれない、そう思っていたのかもしれない。

 その時はただ、無意識で裏山に向かって歩いていた。


 ――裏山の頂上には、小さなお社があり、そこに幽霊が住んでいるという噂から、小さい頃はそのお社に近づくことさえ恐れていた。

 それなのに、今の私は、迷わずそのお社へ向かったのだ。


 何か、現実離れしたものに救いを求めたかったのかもしれない。

 私は、お社に着くや否や、その御前で目を瞑り、その場の音に耳を傾けた。

 鳥のさえずり、虫の鳴き声、風に揺れる木々のざわめき――人の声。


 確かに人の声が聞こえたのだが、その言葉までは聞き取れなかった。

 もしかすると、近くで子供たちが遊んでいるのかもしれない。

 子供の声だった気もする。

 楽しそうな笑い声も聞こえたような気がする。


 今の私は、その場に対する恐怖心よりも、安堵感の方が勝っていた。

 その静けさ、その澄んだ空気、木々のざわめき、疲れ切っていた私の心を、そのすべてが優しく包み込んでくれる。

 私は、この場所で安息を得ることが出来たのだ。

 もし、この場所に霊が存在するのだとしても、それは私にとって安らぎを与えてくれる存在なのだと信じている。


 そうして、満足した私は実家に戻り、母の料理を食べ、温かい湯船につかり、ふかふかの寝床に入り、まどろみの中で眠りに落ちた。


 翌日、カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、私は目を覚ます。

 久しぶりによく眠れたためか、普段よりも体調が良くなっている気がした。

 恋人だった何かも、現れたりしていない。

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