~時の旅人~弐

 ◇ ◇ ◇ ◇


 目の前に大きな池があった。

俺は修学旅行で行った、金閣寺とか宇治の平等院とかそんなものを思い出した。

池には低い木がこんもりと生えた小さな島。そこに橋が架かっている。

どこかから和っぽい音楽が流れていて、そのしたリズムに眠気を誘われそうだ。


 そのとき後ろに人の気配とともに素人にも上等とわかる華やかでゴージャス、でも「線香」みたいな匂いが近づいてきて、濃厚な高級チョコレートのようにとろりとしたいい声がした。


 「おや、こなたに見ゆるは近衛の中将殿ではありませんか。」


 振り向くとこれまた雛人形の左大臣・右大臣みたいな着物(くすんだ緑色のグラデーションの着物の袖からチラリと赤い色を覗かせた、クリスマスカラー)のイケメンが、俺に向かって優雅に頭を下げた。

クリスマスカラー野郎は、二度見してちょっと引くほど顔をべったり白塗り(修復したての姫路城並み)にして、眉がなくて、おでこに「麿眉」を描いている。その面妖な(って、こういう時に使うんだよな?)化粧をしていても隠し切れない国宝級のイケメンだった。

イケメンだしコイツが「光源氏」だろうかとも思うが、ハッキリしないのでここはウヤムヤ作戦だ。お辞儀をしつつ声を潜めて名前をぼかす。


 「おや、これはこれは、もにょもにょ殿。」

「中将殿も姫に?」


 なんの話かわからないので、ニッコリ笑って首を少し傾ける。これはクラスの女子がたまにして見せる仕草でYESなのかNOなのかよく分からないながら、なんとなく雰囲気は壊さない優れモノなのだ。

道がわからないので、クリスマスカラーイケメンの後についていこうと「源氏の野郎(仮)」に道を譲る。

軽く頭を下げて前を足音もなく進むコイツ。動きの一つ一つも無駄にカッコいい。


 『源氏物語』、古典の授業で小耳には挟んだが、イケメンの「源氏」がモテまくる長編小説だというくらいしか知らない。

俺が転生したらしい「トウノチュウジョウ」も何者か知らない。

世のたくさんの転生者もこんな苦労をしているんだろうか。

それとも、「お試し転生」だから説明とか省略なんだろうか。


 そう言えば俺の着物も良い匂いなんだろうかと袖を鼻に近づけてみたら、イケメンとは違うタイプの良い匂い(やっぱり仏壇風)だった。


 白塗りのイケメンに付いて広い縁側のような廊下を二、三度曲がった時、右側の御簾すだれの隙間から女の手がスッと出てきて俺の大きな袖をグイっと引っ張った。俺は思わずたたらを踏んで御簾すだれの内側に倒れ込んだ。

「あ!」と出そうになった声は、甘い香りのする袖に吸い取られる。

御簾すだれの隙間から俺を見捨てて先へと進むイケメンの横顔が見えた。

ヤツの口角がグッと上がった。笑ってやがる。この待ち伏せを知っていたのか。


 「中将様。以来お文のおとないばかりで、寂しゅうございますよ。」

「わたくしも。ずっとお待ち申し上げておりますのに、おいでになるのは文ばかり。」

「憎らしいお方!今日こそは逃しませんことよ。」


 少し甲高い甘え声と、しっとり大人のハスキーボイス、ちょっとツンケンした可愛い声が上から降り注いだ。

 

 名前も知らないお姉さんたちは片手のでっかい木の扇(武器かよ)で口元を隠し、片手と膝で俺の着物を抑えている。お姉さんたちに掴まれて、俺はまるで蝶の標本状態だ。

三人とも白い着物に濃い赤と言うより赤ワインみたいな色のずるずる長い袴を着けて、その上から色とりどりの着物をコートみたいに羽織っている。まさしく生きている雛人形。


 下から見上げているせいか、胸の下で結んでいる袴の紐の上に、上に!

乗っかってるよ!なんとも感動的な見事な二つの膨らみ(しかも三人分)が!

両手に余りそうなこの二つのたわわな実り(しかも三人分)!

ああ!このコースを選んで正解だったぜ!

触りたい!

袖から退いてくれたらすぐにでも!


 お姉さんたちは三人三様の仏壇風味の甘い香りをさせて、イケメン野郎と同じようなガッツリ隙のない白塗り化粧で眉は無くオデコに「麿眉」を描いている。

室内は薄暗く、廊下でイケメンの白塗りに思わず引いたあんな衝撃はない。

むしろ艶のある透き通った肌に見えるから不思議だ。

頬はほんのりピンクで鼻筋が通って見える。

平安美人が「ブス」だなんてウソだな。


 などとゆっくり観察しているうちに、さすが「ハーレムコース」の登場人物。

三人でさえずりながら俺の着物を脱がそうとし始めた。

自分でもどうなっているのかわからない固いベルトのようなものを器用に外し、襟元の紐をほどいていく。

たまにかすめるたわわな膨らみや細い指の動きが、いやがうえにも期待と俺の一部を膨らませる。


 「中将様、わたし達に身を任せるご覚悟はつきましたかしら?」


ハスキーボイスのお姉さんが自分の襟元をくいっと広げて誘ってくる。


 もちろん!

もちろん!

お覚悟はなんぞ、もうとっくについておりまして、君たちが俺の着物から退いてくれたなら、今すぐにでも!!!


 覗き込むツンケンお姉さんが口元から扇を外しててにっこりと微笑む。

艶っとした真っ赤なおちょぼ口に…。


 ゲっ!マジか!口ン中、歯が黒いぜ!

妖怪か?!

え?なに?この臭い!

お姉さん!?何日髪洗ってないんだ?


 俺の首筋に顔を埋める可愛い声のお姉さんの髪が、長らく洗ってないようなビミョーな臭いを発している!

三人とも甘い甘い香りで隠しているが、何日もお風呂に入ってないような、そんな臭いが漂っていた。

押し寄せるお姉さんたちのたわわな膨らみを凌駕する、押し寄せるこの悪臭!

期待とナニが一気にしぼむ。

清潔第一の現代ボーイには、これは無理!


「うぎゃー!

く!くさい!

無理!無理!

キャンセルしまーす!

お願いします!

キャンセルでぇぇ!」

【かしこまりました。

『お試し転生・源氏物語で姫まみれ』キャンセルします。

一度ステーションに戻ります。】


 馴染みの森の匂いの突風に安心感すら抱く。

お姉さんたちのものすごい臭いの後の、この爽やかな緑の匂いよ。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 源氏物語の頃って風呂は無かったんだろうか?

あの時代に転生中のみんなの嗅覚をものすごく心配してしまった。



      (参に続く)



*****************


時津風(ときつかぜ)

気象用語のひとつ。

良いタイミングで吹く追い風


頭の中将(とうのちゅうじょう)

「源氏物語」の登場人物。

左大臣の長男、母は先帝の皇女。妻は夕顔。光源氏の正妻・葵上の兄

源氏の親友だったが,長女の弘徽殿女御の立后争いがもとで源氏と対立した。




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