花信風(かしんふう)

~東男と京女~

  水仙が咲くよと、風が吹く。


 元治元年(1864年)睦月のこと、上洛した将軍のお供に東国から大勢の武士がやって来た。二条城の北にあるウメの奉公先の侍屋敷にも江戸侍たちが十名ほど間借りすることとなった。

ウメは今年で数えで十七。年頃の娘とのことで何かあってはいけないと、出来るだけ表には出ないようにと言い含められた。


 底冷えのする都の冬も少し寒さがゆるんだその日。品良く仕立てられた中庭の、濡れ縁の手水鉢ちょうずばちの水面は凍ることもなく風に波紋を描いていた。下に敷かれた水返しの青みの石に沿うように植えられた水仙の一つ、二つが黄色い花を咲かせていた。

庭の掃除をしていたウメはその花を見て『やっと春が来る。水汲みも楽になる』と思った矢先、

「見事な花ですね。」

野太い声がして、ウメは縁側を見上げた。

そこには利休鼠色の袷の着流しに深川色の帯を締め縞の綿入れ半纏を着て寒そうに首をすくめた若い男が立っていた。

「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ。

それがし酒井友三郎と申す。この度のご上洛に二番頬として加わ...」

ウメはぺこりと頭を下げると、掃除道具を抱えるようにして逃げ出した。




 桜が咲くよと、風が吹く。


 『仲間と花見をするのだが何処がいいか』と尋ねられ、見事な枝垂桜のあるお寺に下見の『酒井様』をお連れした。


 古木の大桜はその枝を地面につくほどに伸ばし、花芯にいくほどに色の濃くなる八重の花を満開に咲かせていた。見上げると桜の天蓋のよう。風に乗った花びらが一枚二枚ひらりひらりと月代さかやきを撫でて、ワタシの袖に舞い降りた。『酒井様』の竹刀タコのある無骨な指が袖にとまる桜をそっと懐紙に挟み、「土産に」とワタシの手に乗せた。聞きなれない東訛あずまなまりのある言葉。ワタシは『酒井様』にアカギレた指を見られたくなくて背中を向けてその懐紙を胸元に忍ばせた。

襟足を撫でるように吹き過ぎる風の冬の名残りの冷たさに肩をすくめると、不意に後ろからふわりと首元に手ぬぐいがかけられ『酒井様』の香りが立ちのぼる。

そのぬくもりにドキリとして立ち止る。背中にトンと刀のつかが当たった。




 藤が咲くよと、風が吹く。


 交代で公方様くぼうさまの警護につくその間を縫って、藤の名所だと聞いた場所に『おウメさん』を誘ってみた。宮の参道の脇にある藤棚は思ったよりもにぎわっていて茶屋なども出ていた。


 藤棚から長く垂れた紫の房が重なりが「まるで花の暖簾のれんのよう」と、が微笑んだ。

香り立つ藤の花を小柄こづかでひと房切って、娘の黒髪にそっと差した。小首を傾げて藤の花簪はなかんざしに触れる娘の細い指にはアカギレの名残があった。私がその指を見ているのに気づいた『おウメさん』は、働き者の手を袖口で隠そうとする。

私は思わず手を伸ばし、娘の細い指を取ると指先のアカギレの名残をそっと撫でた。冷たい指は引かれることなく私の手の内に留まって少しずつ体温を戻していった。

懐には剣術の稽古の道中で見つけた小間物で思わず買った柿色の石の玉簪たまかんざしがある。いつか『おウメさん』に渡したいと思いつつ、今は手の中にある小さなぬくもりを愛おしんだ。

頭上で鳥が藤の花房を揺らし、見上げると藤の花の重なりの向こうに青い空が広がっていた。




 紫陽花が咲くよと、風が吹く。


 紫陽花に埋もれたようなお寺の山道を、の背中を見つめながら歩いた。


 『友三郎様』の広い肩を包む紺鼠こんねず色の羽織の細かな地紋が木漏れ日に浮かんで見える。一歩ごとに耳に届く仙台平の袴の衣擦れ。かんぬき差しの刀が羽織の裾を押し上げて、触ってごらんと誘うよう。手を伸ばせば触れられるほど近くてけれど触れられぬその背中は、ワタシの歩幅に合わせてゆっくりと前を行く。

待ってとその袖を引いてみようか。あの石段にけつまづいたふりをして寄りかかってしまおうか。いつかは江戸へ帰る人と知りながら、『友三郎様』へと傾いていくこの心。

紫陽花の移り行く花の色のように、濃くなるばかりのこの思いをワタシは持て余していた。




 蓮が咲くよと、風が吹く。


 早朝、まだ明けやらぬ刻限に池のほとりに一人立つ。素振りに来たというのは方便だ。が同じ屋根の下にいると思うと眠られず、少し足を伸ばしてしまった。


 寺の薄暗い池一面に広がる濃い緑の蓮の葉に混じって、スイ、スイと薄桃色の蕾が空に向かって精一杯背伸びをしている。その姿に下働きの辛さも見せず、微笑む愛おしい『おウメ』が重なる。

まだ蕾のあの花をポキリと手折ってしまいたい。

花びらを一枚ずつこの手で開いて、何を隠しているのか暴いてしまいたい。

池の上を漂う朝霧が蓮の花を隠し、また見せる。

朝日が池に届く前、蓮はもう待ちきれないとでもいうように花弁の先をはじけさせゆっくりゆっくりと花開いていった。




 朝顔が咲くよと、風が吹く。


 早朝。風を通すため雨戸を大きく開けた縁側に、蚊遣りの煙が流水模様に漂っている。その薄紫の煙を透かし見るように朝の光が差し込んできた。


 寝息をたてる愛しい『友様』のかたい肩の温もり、腰にかかる腕の重さを心地よく思いながら、朝顔が朝陽に愛でられて咲き綻ぶのを見ていた。

沓脱の脇に置いてある鉢の朝顔。八重の百合咲きの赤い花。お前も朝陽に抱かれて嬉しいか?

まだ屋敷に物音はない。『友様』を起こさぬように、そろりそろりと乱れた襟を直し裾を直す。前髪を撫でつけると玉簪たまかんざしに触れた。昨夜『友様』が挿してくださった柿色の砂金石さきんいし

ほぅとこぼした熱いため息に、鮮やかに咲いた花から朝露がホロリと落ちて下の葉のうえをコロコロと走って落ちた。




 萩の花が咲くよと、風が吹く。


 障子を締め切った部屋の隅の行燈の灯を、どこからか忍び込んだ夜風がひゅうと揺らして通りすぎる。一輪挿しに活けられた一枝の萩の影もつられてゆらりとそよいで見せた。

  

 背中に滲む汗に当たる風が二人に素肌であることを教える。脱ぎ散らした襦袢を引き寄せてお互いの肌を隠した。

「寒くはないか?」と男が問う。

「寒うあらへん。」と女が寄り添う。

女の細い腕が男の筋の張った腕に絡む。

女の胸に浮いた汗を男の胸が拭っていく。

吐息に吐息が絡み、狂おしい熱が生まれる。

「ああ」と切ない吐息の合間に

「いつまで?」悲しい気な声で女が問う。

「次に月が満ちるまで。」苦し気な声で答えながら男が女を抱き寄せる。

今宵は十九夜、臥待の月。男が江戸へと戻る日が近づいていた。

部屋に飾られた萩の紅はいっそう色濃く染められて、ゆらりゆらりと揺れていた。




秋明菊が咲くよと、風が吹く。

 

 秋の風が庭木の葉を手水鉢の水面に吹き散らし、美しい錦の柄を織り上げている。


 「共に江戸へ下ってはくれまいか?」

酒井友三郎はウメの肩を抱き寄せて、何度目かの懇願をした。

腕の中で男の鼓動の早さを感じながら、ウメは「いやや。」と首を振った。

「東国は怖ろしい。そんなところでは生きていかれへん。」

ウメの答えはいつも同じであった。

動乱の時代が来ていることを京にいれば否応なく感じる。友三郎が幕府の先鋒として命を落とすことなぞないと、誰が言える?

友三郎もまた、「生きてウメを守り抜く」とは言えなかった。

何度目かの懇願の後、友三郎はせめてもの形見にと幾ばくかの金子を包み、腰の脇差を守刀としてウメに持たせた。上洛の折りに父から祝いとして持たされた刀。酒井家の家紋が入ったもので、何かあったならこの刀を持って江戸は下谷の酒井の家を頼るようにと何度も伝えた。

ウメは、その黒髪を飾っていた柿色の玉簪を根付けに直して友三郎に渡した。細工直しのとき、頼んで二人の名前を彫り込んでもらった。

手水鉢の脇の水仙はいつの間にか消え、敷詰められた紅葉を見下ろして真っ白い秋明菊が揺れていた。




 山茶花が咲くよと、風が吹く。


 酒井友三郎は京から江戸に戻ってにわかに忙しくなった。急遽陸軍の洋式伝習を受け、ダンブクロと呼ばれる洋装を身に着け歩兵としてその年のうちに長州征伐に参加することとなった。

 慶応二年(1866年)。

この年は慌ただしく過ぎていった。

友三郎ら幕府の歩兵部隊は広島入りし芸州口で戦闘に至ったものの芳しい戦績をあげられず、石州口では一橋公御実弟の治める浜田城と天領だった石見銀山があっけないく長州の手に落ちた。苦戦の最中さなかの文月(七月)に大阪で将軍家茂公が亡くなられ、長州征伐休戦の勅命を下された孝明天皇はその年の師走に崩御なされた。

 慶応三年(1867年)。

京では新たに若い天皇が即位され、友三郎らがやっとの思いで広島から帰東した江戸では、辻斬り・強盗・放火・強姦などが横行していた。とてもウメを呼び寄せられるような状況ではなかった。友三郎に出来るのは、ただウメの身を案じる文を書き届けることだけだった。

 慶応四年(1868年)

睦月六日、鳥羽伏見の戦いに負けた慶喜公が江戸に戻られた。

それに触発されたようにあちこちで戦いが始まり、上野寛永寺でも大規模な戦いがあった。

 明治二年(1869年)

神無月(十月)五日、長らく謹慎していた慶喜公が家臣の一部とともに、駿府改め静岡へと移住した。酒井家も身一つで静岡に向かうこととなった。


 この冬、誰も住む者がいなくなった下谷の酒井の家の庭の山茶花は、その赤い花の色を雪の下に隠した。




 福寿草が咲くよと、風が吹く。


 今年は雪が深かった。

いつもならそろそろ南向きの木陰に雪の下から福寿草が黄色い色を覗かせるのだが、今年はまだ見ていない。


 戦乱を避け親戚を頼ってここ祇王寺の近くの大庄屋へウメが生まれたばかりの娘を連れて身を寄せてから五年が過ぎた。

行先は告げてきたのだが、文を書ける状況にないのか、もしくはもう文を書くのを止めたのか、一昨年秋の終わりに届いた文を最後に友三郎からの便りがパタリとなくなった。

最後の文には『慶喜公に従って駿府に行く』旨が書かれていた。ウメは文末の『必ず迎えに行く』というその言葉を頼りに日々を過ごしていた。


 ウメの娘、トモはこの正月に数えで七歳。

口元はウメに似ていたが、目元と耳の形が友三郎にそっくりで、父に似てしっかりとした体つきをしていた。

「トモの爪の形は、ととさまにそっくりや。寂しゅうなったらトモの指に話しかけまひょな。」

「トモ、ととさまは強いお方や。この御刀の紐、下緒さげおいうらしいんやけどな。ととさまが先の将軍様の御前で馬比べをしたときにな、立派だったといただきはったものなんやて。

トモの肌みたいに真っ白な綺麗な絹の組紐やなぁ。」

トモは父を知らない。代わりにとウメはトモを膝に乗せて、守り刀の脇差を見せては思い出話しをよくしていた。

思えば友三郎と過ごしたのは一年に満たない年月であった。しかも間借り人と家の奉公人。いつも一緒にいたわけでもない。けれどトモに語る友三郎の話しは尽きることはなかった。


 ある日のこと。

ウメが屋敷の奥の井戸端で洗い物をしていると、表が騒がしく慌ただしくなった。

なにか?とウメが表に向かおうとしたとき、一緒に下働きをしているおコマという女中がウメのところへ駆けてきて、ウメの袖を掴んだ。

「おウメさん!早よ逃げ!」

風采のよくない、片足を引き摺った男がウメを探しているという。

「な、名乗らはらしませんでしたか?」

「知らん。けど、あんたを探してるて。

旦那さんが、ウメを逃がしたりって。」

ウメはおコマの手を振り切って表へと駆け出した。


 庄屋屋敷の立派な門構えの脇に、庄屋にしきりに頭を下げる大きな男がいた。男は刷りきれた木綿の着物を尻からげにして、まるで人足のような出で立ちだった。左手に竹の杖を持ち、右手を庄屋に差し出していた。

その手のひらに、柿色の丸い石が乗っているのがウメのところからもよく見えた。

「…友三郎様?

来てくれはった…。」

ウメの両目から涙が溢れた。


 南向きの木陰も雪はすっかり解け、福寿草が光のような黄色の花をたくさんたくさん覗かせたていた。

 


         花信風 ~東男と京女~

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花信風(かしんふう)

花が咲いたことを知らせる風。



小柄(こづか)

日本刀に付属する小刀の柄または小刀そのものを言う。

打刀などの鞘の内側の溝に装着する。



閂差し(かんぬきざし)

正式な帯刀の仕方。

脇差しは柄頭を立てるようにしてたばさみ、大刀は脇差の鍔より低い位置に閂状(地面と水平)に指す。

場所を取るので何かと邪魔。でもこれがフォーマル。

興味のある方は「山田朝右衛門𠮷亮の出仕姿の写真」で検索してみてください。


余談

落とし差し(おとしざし)

刀の先端が通常よりも地面に対して垂直に近い角度になった差し方。

幕末期に志士の写真によく見る差し方。

混雑する江戸では日常はこちらの差し方が多かったそうですが、基本的には着流し(袴無しのカジュアルスタイル)、浪人、やんちゃさん仕様。

お仕事の時にこれ(落とし刺し)をすると、丸の内のオフィスビルに海パンとビーチサンダルで正面玄関から入った時のような視線が周りから飛んできます。


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