比良颪(ひらおろし)

~急がば回れ~

 近江の柏原宿は中仙道六十九次の江戸から数えて六十番目、関ヶ原の二つ京寄りの宿場町である。


 霊山伊吹山で採れる良質なもぐさが有名で十数軒のもぐさ屋がある。 

その中の一軒に鶴屋右京という店があった。

代々巧みな口上を得意としていて柏原宿を代表する大店である。

鶴屋は主に江戸に向けて商いをしていたが、もぐさの良質さが噂となりこの度京の都でも商いをはじめることとなった。


 京の店を任されたのはこの正月に数えで十八になった、鶴屋の三男の弥三郎である。

しかしこれが少しした男だったので、七右衛門という年下ながら四角四面なしまり屋の従兄弟をつけられた。

ひょろりと背丈のある弥三郎と小柄な七右衛門のふたりは振分け荷物を肩にかけ、『もぐさ包』の入った大きな行商箪笥を背負って木曽道とも言われる中仙道を京に向かった。とはいっても出発の柏原宿からは京はもう目と鼻の先。琵琶湖を半周回るだけの旅である。


 「なぁ、七右衛門。疲れたのぉ。」

「弥三郎、何を言ってる。先ほど茶屋で団子を食べたばかりだろう。」

「腹ではないわ。脚じゃ、脚。

歩きすぎて脚が棒じゃ。」

「なにが『脚が棒』じゃ。今朝柏原を出てまだ四里も歩いてないぞ。

やれ腹が減ったの、喉が乾いたのと茶屋ごとに休んでばかりで、このままでは今日中に予定の宿まで行けないぞ。」

「まぁ、そう急ぐものでもないわ。

ちゃんと茶屋のサマには、もぐさを売ったではないか。

七右衛門。見ろよ、擂鉢峠のこの広々とした新緑の景色を!山道と木しかない!

深呼吸してみろ。土の香り、若草の香り。

ホレ!向こうに見え隠れしているのは、琵琶湖でないか。たぶんあの茂みには猿や鹿もおるに違いない。

宿場町のチマチマと宿が並ぶせせこましいのとは訳が違う。」

「弥三郎。広々した何もない所では商いにならんのだ。そんなところに客はおらん。サマ相手に僅かばかり売ったとて仕方ないのだ。

そもそも猿や鹿相手に『お灸』もあるまい。商いにはせせこましいく家屋敷が並んで煮炊きの匂いのするような所でないとな。」

「七右衛門、お前はつまらん奴だなぁ。」

「はっ!なら、一人ゆっくり広々した春の景色でも眺めておれ!茶屋に寄った分、財布が軽くなっているんだぞ。これ以上遅れて泊まる宿が増えてはかなわん。

ワシは先にいく!」

「すまん、すまん。七右衛門。

置いていくなよ。」


 二人はそんな調子で予定より二日遅れて草津宿までやってきた。

草津は東海道と中仙道の合流する地、京の三条大橋まであとは大津宿を残すのみ。残りほぼ一日の行程である。行き交う旅人もぐっと増え、宿の数も多く百軒を越えるということである。街道に沿って食べ物屋、土産物屋も軒を連ねて賑やかなことこのうえない。


 「七右衛門。見ろよ!

これが草津追分の道標らしいぞ。」

「石造りで立派なもんだな。えーと、『右東海道いせ道』かあ。」

弥三郎と七右衛門は今まで歩いてきた土手の道を振り返り、それから東は江戸、伊勢へと向かう街道を見やった。


 草津に着いて七右衛門は早速今宵の宿を決めたいのだが、何故か弥三郎は首を縦に振らない。


 「草津に来て浮世絵にもなった『姥ヶ餅屋』で餅を食わんというのはいかがなものか。」と言うのである。

「弥三郎、餅は今でなくてもいいだろう。

晩飯が入らなくなるぞ。」

「まぁまぁ。何事も後々の語りぐささ。

七右衛門、こっちだ。こっち!」


 そう言うと、背中の荷が急に空にでもなったかのように足早に先へ進む。その先に浮世絵で見たことのある暖簾が目に入った。

風に乗って餡の甘い匂いが漂ってくる。


 「おお、これじゃ。これ。

ささ、七右衛門。財布を出せ。」

「弥三郎。

はぁ、仕方ないのぉ。」


 使い込まれた縁台に腰を掛けた二人のところにやってきた『姥ヶ餅』は、皿の上にちんまりと置かれていた。乳房を模した小豆色の2つ膨らみにの上に白餡のが乗っている。


 「…や、弥三郎。」

「…七右衛門。その…。」


 二人は顔を見合せ、かっと血の気を上らせた。


 「『』でなくて『』であったのか。」

「いや、まいった、まいった。」

「とんだ殿に出逢ってしまったな。」

「だがな、七右衛門。殿のナニはなかなか甘もうて旨かった。」


 店の娘に由来も聞き、代わりにもぐさを置いて二人はそそくさと腰を上げた。

見ると餅屋の店の軒先にはまた道標があった。

それを眺めた弥三郎は七右衛門の腕を引いた。


 「さて、七右衛門。こっちだ。」

「弥三郎、そっちは矢橋やばせの渡しだ。舟には乗らんぞ。」

「しかし七右衛門、大津を回っているとまた一日遅くなるぞ。二日遅れているのだろう。舟だと一刻いっこくしないうちに大津に着く。

今日中に三条大橋まで行けるぞ。」

「一体誰のせいだと!」

「そりゃ、えーと、ワシのせいじゃ。」

弥三郎はバツの悪そうな顔を見せた。


 「それより。七右衛門。

『♪瀬田へ廻れば三里の回り、ござれ矢橋やばせの舟に乗ろ♪』と言うではないか。なあ、七右衛門。」


 七右衛門の肩に手をかけながら妙な調子で歌い始める弥三郎に、七右衛門は呆れたように溜息をついた。


 「のお、弥三郎。『急がば回れ』という諺を知らぬのか?

まさにのことだぞ。

波が荒れたら舟は出ん。なら三里だろうが陸路を行く方が確実だという…。」


 弥三郎は七右衛門が最後まで言わぬうちに声をかぶせた。


 「なあ、七右衛門。舟に乗ったことはあるか?」

「いや、ないが。」

「であろう。ワシもじゃ。

なら、ここで乗らぬ手はない!」

「弥三郎。なぜそうなる?」

「何事も経験、経験。

よしんば荒れて舟が出ないにしても、それも話しのたねになるというもの。

ささ、七右衛門殿、此方こちらへ。此方こちらへ。」

「弥三郎、お前悪い客引きのようだぞ。」


 ところが案の定、二人が矢橋やばせの船着き場に到着する少し前から強い風が吹き始めた。船着き場に荒い波が打ち付けている。

舟でやってくる荷を運ぶ雲助たちも、馬子たちももう仕舞い支度をしている。

 

 「お客人、せっかく来られたですがの、今日はもう舟止めでござんす。

比良颪ひらおろしには勝てやしません。

すまんことですが、宿をお探しなされ。」


 今更草津に戻るわけにもいかず二人は矢橋やばせで宿を取ることになった。

ぶつぶつと文句をいう七右衛門に弥三郎は

「まぁまぁ、草津で泊まるか、矢橋やばせで泊まるかの違いよ。さほど変わらん。」と言って、なお怒らせてしまった。

七右衛門は風の向こう、対岸に見える石場のみなとの常夜燈のかすかな灯りを恨めしく眺めて踵を返した。


 二人が旅装を解いた旅籠はたごの隣には、舟止めで仕事がなくなった馬子やら雲助やらで賑やかな居酒屋があった。

宿に荷物を置くと弥三郎は『もぐさ包』を自分と七右衛門の懐に突っ込み、袂にもごっそりと入れると、七右衛門を引っ張ってその居酒屋の暖簾をくぐった。

焼き物や煮物のなんともいい匂いのなか、二人は早速酒を頼む。その酒を両手に雲助たちのところに寄って行った。


 「やあやあ、お客人方。

今日は早くに舟が止まって残念なことでしたのぉ。」

「おお、客人。

足止めで気の毒なこったなあ。」


 どうやら船着き場での様子を見られていたらしい。

弥三郎は笑いながら皆に酒を振舞った。そうして七右衛門に馬子たちの方にも酒を勧めるように目配せした。 


 店の客全員に一通り酒が行きわたったところで、弥三郎と七右衛門は手拍子を打ちつつ調子よく歌い始めた。

この歌は鶴屋の初代が江戸吉原で豪遊した時に歌ったもので、遊女たちが口ずさんでくれたのが切っ掛けで『鶴屋のもぐさ』が江戸で大人気になったという縁起のいい歌である。二人とも子どもの時からよく歌っている。


  『♪江州柏原、伊吹山 ♪宗家鶴屋のきりもぐさ』 

     『♪江州柏原、伊吹山 ♪宗家鶴屋のきりもぐさ』 


 「おや。お前さんたちは、もぐさ屋か。」

「はい。『宗家鶴屋』と申します。

あの織田信長公の薬草園もあった霊山は伊吹山のもぐさです。」

「今度三条の方に店を出しますんで、京に来られた時はぜひお寄りください。」

「休憩所のほうには茶菓子や酒肴などの用意もしてございます。」


 弥三郎と七右衛門はそう言いながら、懐から出したもぐさを皆に配った。

酒の入って機嫌が良くなった男たちは、同じように調子を合わせて歌いだした。

弥三郎と七右衛門はそんな男たちに酒を注ぎつつ、この歌をあちこちでも歌ってくれるように頼んだ。


 赤ら顔になった弥三郎と七右衛門は千鳥足で宿に戻ると、宿の者にも泊り客にも気前よく酒を振舞い『きりもぐさ』の歌いながらもぐさの包みを渡したのだった。

翌日はあいにくの天候で、引き続き舟止めになった。

ぶつぶつと文句をいう七右衛門に弥三郎はにこにこして言った。


 「なに、居ながらにしていい宣伝ができるではないか。

ワシらは『歌うもぐさ屋』とここでは有名になるぞ。

ささ、今日はあの飯屋と向こうの漁村にも行ってみよう。」


 こうして二人は背中に負っていた『もぐさ包』を気前よく配り、その夜も気持ちよく薄い布団に滑り込んだのだった。


 翌日は琵琶湖の風も収まって、弥三郎と七右衛門は昼前には矢橋やばせから対岸の石場に渡ることが出来た。

船頭は一昨日気前よく酒を奢った二人を親しげに見送り、帰りも舟に乗るように勧めるほどだった。

ここまで来たら三条大橋のたもとの店まではあとわずかである。


 二人はさすがにそのあとは茶店にも寄らず、その日の夕刻には京の店に着いた。

四日遅れの到着に、先に来て開店の準備をしていた番頭の安助と手代の米吉は心配そうに二人を迎えに出た。


 「いやはや、弥三郎様。

なかなかお着きにならないので迎えを出そうかと思っておりましたよ。

道中何かありましたかな?」


 そう言って番頭は、弥三郎の背中から行商箪笥を受け取ってその軽さに驚いた。

米吉も七右衛門の行商箪笥もずいぶん軽いと番頭に目配せする。


 「ああ、みんな途中で配ってしまった。」

「は?

弥三郎様、今なんと?」

「うん。来る道中で宣伝も兼ねて配ってしまったよ。

みんな大層喜んでくれた。いいことをしたよ。

なあ、七右衛門。」


 悪びれるでもなくにこにこと答える弥三郎に、番頭の安助は思わず七右衛門の方を見た。

七右衛門は自分の背負い箪笥の隠し棚と振分け荷物から、こっそり取り置いていた『もぐさ包』を出すと本当に申し訳なさそうに言った。


 「あいすみません。今回はこれだけというとこで…。」

「はぁぁ。なんとまあ。」


 番頭は頭を抱えた。


 「米吉!すぐさま人を遣って柏原からを『もぐさ包』運ばせなさい!」

「へぇ!」


飛んでいく米吉を見送って、それでも番頭は到着した二人をねぎらったのだった。


 それから十日ほどのち。

『京・宗家鶴屋』の前には大勢の人が押しかけていた。

開店と同時に馬子や人足たちが『もぐさの包』を求めて集まっていたのだ。

いつぞやの矢橋やばせで包みをもらったという者もいたし、仲間の歌う『きりもぐさ』の歌が気になって来てみたという者もいた。

中には、店先の人混みが気になって来たという者さえいた。


 弥三郎と七右衛門が歌って聞かせたあの歌が口から口へと伝わったのか、子どもたちの歌う姿を見かけるようになったのはそれから一ヶ月ほど後のことである。



       比良颪(ひらおろし) ~急がば回れ~


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比良颪(ひらおろし)

琵琶湖に向かって比良山地の急斜面を駆け降りるように吹く北西の風。

春の訪れを告げる風とされている。


矢橋(やばせ)

草津市の地名。

矢橋から船に乗り対岸の石場に達すると東海道の近道になることから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。


一刻(いっとき )

江戸時代の時間の単位。

一刻は現在の約2時間。


一里(いちり)

一刻の半分半刻(約1時間)で歩ける距離。

四里は約4時間で歩ける距離。

    

姥ヶ餅(うばがもち)

織田信長によって滅ぼされた佐々木家義賢の曾孫が乳母に預けられた際、養育のため乳母が東海道沿いに餅屋を開き餅を売ったのが起源とされる。

やがて評判が広がり草津宿の名物となった。


雲助(くもすけ)

江戸時代、街道の宿駅や渡し場などで、荷物の運搬や駕籠(かご)かきなどを仕事としていた無宿の者。


馬子(まご)

駄馬や伝馬(てんま)を引いて荷物や人を運ぶ仕事をしていた者。



近況ノートに写真があります


https://kakuyomu.jp/users/9875hh564/news/16817139558538865530


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