第21話 日曜日 布団の中で
亮介と過ごすようになって一週間が経った。私は日曜日のベッドの中で、流れるように過ぎた平日の五日間と休日の今日のことを思う。その日々は、眠気なんて吹っ飛ぶほどに強烈な時間だった。小学校の頃はこれが当たり前だったから、そうだなんてちっとも思っていなかったけれど、五年間のお預けを食らった今ならはっきりわかる。亮介と過ごす日々は、くらくらして頭がおかしくなってしまうほどに、素敵で煌めいていて楽しくて、だから心が擦り切れてなくなってしまいそうなほどに苦しいんだ。琴乃の心臓も、詩織の脳や血液も、亮介と話しているだけで等しく大喜びをして体温は体感で二、三度高くなってしまう。時折指先が触れると、なんだかとてつもなく悪いことをしているような気がして、顔なんか真っ赤になっているのが肌の感触でわかる。
亮介には私くらいしか話し相手がいないらしく、私には亮介しか話したい相手がいない。私はそれをいいことに、暇を見つけては亮介に会いに行った。まるで外食に行ったことのない厳格な家庭で育った若者が大学生になってファストフード店に入り浸るように。そして禁煙していた者がふと吸ってしまった一本をきっかけに更なる中毒症状を引き起こすように、私は五年のブランクも相まって過剰に亮介を求めた。早起きして母に手伝ってもらい、自分でお弁当を作って亮介に食べさせたり、昨日だって亮介がいるだろうと踏んで散歩ついでにバッティングセンターに立ち寄ったりした。亮介が私の作ったものを食べているだけでつい表情の筋肉が緩んでしまった、休日に亮介に出会えただけで特別な気持ちになった。
亮介もまた、次第に詩織としての私に心を開くようになった。物理的にも、間違いなく私たちは距離を詰めていった。そして、最近ではついに亮介は笑顔を見せることも増えてきた。だから私は胸が痛くなった。亮介が笑顔を見せるのは、いつだって柴原琴乃の話をしている時だった。本当に想定外だった。私は甘く見ていたのだ。亮介がいかに柴原琴乃を愛しているかを。彼の口が語る柴原琴乃への想いは、私が手紙の中に落としてポストに投函した亮介への気持ちくらいに、いつだって洗練されていた。私にはわかった。無駄も不足もなくこんな風に誰かへの想いを語ることができるのは、その人のことを四六時中考えているからだ。表現が有り余るなんて嘘っぱちで、真剣に想い続けているとその人を語るにふさわしい言葉は数えられるほどになるんだ。私が、そうだったように。亮介と私は、同じくらいの熱量で愛し合っていたんだ。ただ、抱きしめる勇気が出なかっただけなんだ。言葉にして伝える勇気が出なかっただけだった。私たちは、運命の恋人にだってなれていたはずだった。それくらい、亮介は柴原琴乃を好きでいてくれたんだ。
それは、嬉しくもあり、同時にとてつもなく厄介でもあった。だって、私の方は一緒にいればいるほどに今の亮介といろいろなことをしたいと、そう思ってしまうから。今の私は亮介が大好きな琴乃ではない。彼は詩織としての今の私のことなんて、琴乃と自分を繋ぐ架け橋くらいにしか思っていない。いや、私だってその役割上等で学校に通い始めたのだけれど。人間の欲望には際限がない。思うとたった一つ、亮介と友達としてでも構わないから同じ時間を過ごしたいというわがままを許してしまった時点でもう歯止めは効かなくなっていた。今私は、亮介の恋人になりたい。ぎゅっと抱きしめてほしい。私のためだけに用意した優しい言葉を、私のためだけにラッピングしてほしい。愛してほしい。でも、そんな日は絶対に来ない。
亮介の目は、ずっと美人になった私ではなく、そこから透けて見える特別美人でもない琴乃の影を探していた。目の前にいる女の子が、彼が愛した柴原琴乃だとも知らず。亮介が楽しそうに思い出話をする度に、そして琴乃のことを褒める度に、私は泣きそうになるほど嬉しくなるその一方で、泣きたくなるほど悲しくなった。亮介が小細工して「どうしても琴乃の気持ちが知りたい」だなんて言ってきた時には、もうどうしようもなくなった。心臓は壊れてしまいそうなほど喜んでいるのに、心は壊れてしまいそうなほど泣いていた。
まさか、私の一番の恋敵が自分自身になるだなんて思いもしなかった。
何度も「本当は私が琴乃なのだ」とダメ元でも伝えようと思った。でも、それをするには今の私は嘘に汚れすぎていた。それに、仮に信じてもらえたとしても、私はもう数ヶ月でこの世から命を引き取る身だ。彼に琴乃を失う悲しみを二度も味わわせるわけにはいかなかった。彼ほどの人なら、生きている限り必ず素敵な未来が待っている。特別な人が現れる。そしてその人が自分であってはならない。だから今の私がしていいのは、柴原琴乃と亮介が実は両想いだったという幸せな手紙を届ける郵便屋であることだけだ。亮介が琴乃の死と向き合うための、黒子であるべきなんだ。そんなことわかっている。痛いほどわかっているのに。
きっと明日の球技大会で、私はついてはならない嘘をつく。もう、私の本心は手の施しようがないほどに小野寺亮介というただ一人の男の子だけを求めていた。
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