第20話 再会と身勝手

 何かを取るには何かを諦める必要がある。具体的には私は「小野寺亮介」を取るために、「亮介以外との交友関係」を諦めた。教室に入って懐かしい匂いを感じた時に、話しかけたい人の顔が何人も目に入った。かつての友達だ。でも、今の最優先は亮介であって、私にはいつ切れるか分からない寿命がある。有限の時間を浅く広く割いてはいられない。それに、多くの人と私が仲良くなっては、詩織が目覚めた時に苦労をかけるだろう。そんなわけで私は案内された教室の窓際の席で、誰とも喋らずに過ごした。転校ではなく入院明けというのもあって特別自己紹介の時間も簡素で、私に話しかける機会をクラスメートが与えられなかったのも大きかった。休み時間は一人静かに授業の復習をしながら、時折亮介に思いを馳せて過ごした。亮介は今何をしているのだろうか。いつも一緒にいる野球部の友人と今日もだべっているのかもしれない、あるいはクラスメートと一緒にグラウンドコートでバスケットボールなんてやっているのかもしれない。もしかしたら私のことを考えていたり、なんて、都合が良すぎるな。そんなふうに亮介のことばかり考えていると、いてもたってもいられなくなった。本当は放課後に話しかけるつもりだったのだけれど、多少予定と変わっても構わないだろう。臨機応変にいこう。昼休みのチャイムが鳴って号令がかかると、私は机の中に教科書をしまってから亮介の教室に向かった。ところが、そこに亮介はいなかった。見た感じ席替えをしてはいなさそうで、彼の机のサイドフックには鞄がかけられていた。ということは亮介は学校には来ているということだ。いったいどこにいったのだろう。試しに購買部と保健室も覗いてみたが、賑わいの中に亮介の影は見当たらなかった。私は不思議に思いながらもとりあえずは諦めて自分の教室に戻り、母が作ってくれたお弁当を食べた。人生で手作り弁当なるものを食べたのは初めてで、誰かが自分のために作ってくれたものがこんなに美味しいのかと思い知った。亮介は何を食べているのだろう。亮介の継母はお弁当を作る人なのだろうか。亮介は家族とうまくやっているのだろうか。ふと気がついたら私の心の中は、また亮介一色になっていた。

 放課後になって今度こそと急いで彼の教室に向かったが、もう鞄ごと無くなっていた。私はため息を吐いて下駄箱に向かった。他の生徒に不審がられないように亮介の靴箱を覗く。ダメもとだったのだが、果たして亮介の靴はまだ残っていた。昇降口での待ち伏せ作戦も考えたが、今の私の逸る心理的にはひたすら待つというのは難しそうだった。私は大慌てで学校中を探し回ったが、どこにも見当たらない。一体亮介はどこに消えてしまったんだろう。残念な気持ちになった私が最後に向かったのは図書室だった。これは亮介を探しに行ったわけではない。そんなことは一切期待していなかった。ではなぜ図書室に向かったかというと、渚にこの時間に来るように言われていたからだ。理由はよく分からない。とにかく来いと命令口調で朝言われた。思い出しただけで少しムッとする。私は少しだけ強く図書室の扉を開けた。しかしそこに渚はおらず、ただ奥の方の席で男子生徒が本を読んでいるだけだった。自分から呼び出しておいて、なんなんだ一体。すぐにこんな埃臭い場所出て行ってやろうとも考えたが、久しぶりに丸一日授業を受けた上に休み時間は亮介を探し回ってもうヘトヘトだった。少し休んでいこう、私は入り口に一番近い長机に腰を掛け、腕を枕にして少し横向きに伏せた。そうしてぼんやりしているといつの間にか眠ってしまった。蜃気楼みたいな夢を見た。ずっと昔、寝たふりをしながら勉強している亮介をちらちらと伺った日の夢だった。あの時は、確か突然目が合って、二人して驚きの声を上げて、そうして笑い合った。幸せな時間だった。そんな夢が薄く空気に溶け出して霧散してしまったかのように、緩やかに途切れた。

 空気の匂いが変わった。

 ゆっくりまぶたを持ち上げ、インクのぼやけた視界に正しく線を引く。私の知るそれよりもずっと長い髪の毛と、私の記憶の中よりもずっと広い背中のせいで先ほどは気がつかなかった。でもこうして近くで見ると、はっきりわかる。輪郭、顔のパーツ一つ一つの形、私を見つめる大きくて黒い眼。見るだけで落ち着かなくて、それでいて心地いい。夢の中でも同じようなことがあったからか、不思議と驚いたりしない。ただ待ち望んでいたその瞬間を前に、私の中身は空っぽになる。沸騰したみたいな熱い血液が体内を駆け巡る。

 そこにいたのは、亮介だった。

 また亮介に再会できた、もう一度こんなに近い距離で彼を見つめることが出来た、その感動が数秒遅れで内側から染み出す。気がつくと頬を涙が伝っていた。そうして私は我に返った。途端に恥ずかしさや興奮が襲ってきて、目の前がくるくる混乱する。パニックになって、私は一目散に亮介の前から逃げ出した。息を切らしながら学校の外に出た私は、ゆっくり歩いて息を整えながら亮介を描いた。つくづく思う、私は亮介のことが大好きなんだなあ。

 帰り道、自然とスキップする足に連れられて、気がつくと鼻歌を歌っていた。明日こそ、私の思いを伝えようと、そう思った。こんなに待ち遠しい「明日」は、小学校の頃以来だ。


 次の日、私は昼休みに入るや否や教室を飛び出した。また昨日のこの時間や放課後のようにどこかに姿をくらまされたらかなわない。今日こそはこの時間にアプローチを仕掛けてやるんだ。私は運動部員の男子の汗臭い人混みを細い身体を活かしてスルスル抜けながら、亮介の教室にたどり着いた。背面黒板側の入り口から教室をこっそりと見渡す。しかし、その日も既に亮介はいなくなっていた。私はすぐさま他に亮介のいそうな場所を探しに向かった。とりあえず購買部に向かう。昼休みが終わってすぐの購買部は昨日亮介を探して顔を出した時よりもずっと混み合っていて、でもそこに私が切望する彼はいなかった。こうなると見当もつかない。私は亮介のことを何も知らないんだな。がっかりしながらあてもなく廊下を歩いていた。その時だった。ランニングロードを物憂げに歩く学生服が目に入った。思わず私は目を見開く。

 もう、見間違わない。

 私は心臓を一つ叩いて身体の全神経と合図を取ると、昇降口の方に早歩きで向かった。そうだな、多くは望まないけれど、出会いはできるだけドラマチックな方がいい。

 校舎の外に出ると、うだるような鋭い日差しに目が眩んだ。これでは詩織の薄っぺらい身体なんてあっという間に溶けて無くなってしまいそうだ。縁側に放置されたかき氷のように。こんな風に正午の日差しを正面から喰らい続けるなんて馬鹿みたいだ。ローファーをしっかり履いた私は、ランニングロードを息切れしないギリギリのペースで進んだ。やっと、亮介の背中が見えてきた、そう思ったら。不意に亮介が姿を消した。私は汗を拭うと同時に目を擦る。汗が目に染み、痛くて何度も瞬きした後、もう一度視界を直してランニングロードの先を見据えた。やはりそこに亮介はいなかった。首を傾げた私はそのままもう少し先まで歩き進めた。それで合点がいった。なるほど、亮介はこの用具庫の裏に入って行ったのか。どおりで見失ってしまったわけだ。そこで、新しい疑問が顔を出す。なぜ彼はそんなことを。ちっとも意味がわからないで、私は眉を潜めた。と、少し遠いところで彼が入っていった用具庫の裏を伺っていると、中から何か飛び出してくる。私はどうしてもそれが気になって拾いにいく。

 それは煙草のケースだった。中身は空っぽだったが、実の父、つまり琴乃だった頃の父が吸っていたのと同じようなデザインだったのですぐにわかった。困惑して用具庫の裏に視線をやると校舎と用具庫のカビ臭い隙間から亮介が出てきた。多分私と同じくらい困った様子だった。

 亮介が煙草を吸っていたことにショックを受けないではなかった。彼は模範生とは言えずとも規律から大きく外れたことはまずしない、世渡りの上手い人間だった。そんな彼が校則どころか法を犯してまで学校でこんなものを使っているなんて。少しばかり信じられなかった。

 とはいえそれは必ずしも失望を意味しない。

 私は煙草をやっているというだけで男に対し好印象を抱くほどめでたくはない。むしろ、ちっとも気を遣われずに父の口から放たれる煙に幼少の私は苦しめられてきた。だから煙草なんて大嫌いだった。そのはずだった。でもそんなことよりも、煙草を吸いたくなるほど亮介を苦しめたものは一体なんだったのか、そちらの方がずっと気になった。惚れた弱みというやつだ。私ごときが彼の精神的な助けにならないことくらいはわかっていた。それでも、柴原琴乃という女の子があなたを大好きだったとせめて伝えることができれば。亮介がほんの少しでも自らを好きになる理由の一つになれれば。夏の霧になる私にとってはそれで充分だった。

 私は亮介に話しかける。久しぶりに話して、声が上ずる。心臓が煩くて、学校の方から聞こえていたノイズのドからシまでが順番に消え失せていく。亮介のつっけんどんな視線がビリビリと私の肌を打った。亮介の態度は詩織の美貌を持ってしてもなかなかにキツく、それが詩織の皮を飛び越えて柴原琴乃の核の部分に様々な感情をもたらした。亮介が人を見た目で選別するタイプではないという安心感、ぶっきらぼうにでも私との会話に取り合ってくれたという高揚感に、それでいて私という存在が亮介に突き放されたという絶望感。とはいえ、彼が清川詩織に第一印象で圧倒的な好印象を持たなかったことは、概ね好都合と言えた。私が演じる「清川詩織」は、あくまで「柴原琴乃」の気持ちを仲介する黒子にすぎない。今は、私が琴乃のかつての友人であると信じてもらえらばいいのだ。

 が、肝心のその辺りが見切り発車だった。そもそも自分が琴乃の文通相手であるというカミングアウトをするのにもある程度の手続きが必要で、その手順を踏み外すとこれから私にはずっと信用ならない不気味なやつというバイアスが付き纏う。それだけは避けたい私は、まず会話の主導権を握ろうと、手に持った煙草を活用して交渉を押し進めようとしたのだが。

「欲しけりゃやるよ。中身が入ってなかったら、ただのゴミだ」

 久しぶりに聞いたその声は、私が知っているよりもずっと低くて、ずっとかわいていた。亮介はやはり手強い。すぐに立ち去ろうとする亮介を前にして、私はあっという間に後手に回ってしまった。慌ててあの手この手でどうにか彼の足を止めようとしたけれど。

「なんだよ。しつこいな」

 流石に少し、傷ついた。いくら演技が苦手でないとはいえ、心の痙攣を隠せるほどに得意ではないんだ。脆い心は動揺ですっかりめちゃくちゃになってしまった。その上、亮介が今にも行ってしまいそうだという焦りがさらにそれに拍車をかけた。そんな状況で私の口から弾けて飛び出たのは、私だって思ってもみない言葉だった。

「私の友達になってくれませんか?」

 さて、どう立て直してものか。人が取り返しのつかない失敗をした後に、例えばギャンブルで大負けしたり一世一代の告白が呆気なく散ったりした後に妙に冷静になるのと同じで、私もそんな大失敗をした後でふと冷静になった。もう、終わりだと思った。

 でも、そんな落ち着いた目線から見ると、亮介の反応は案外悪くなかった。困惑が勝っている様子ではあるが、しかしそこに私に対する敵意は見られなかった。むしろ相手の気持ちをどう受け止めたものかと、悩んでいるらしい。しばらくあって、亮介は翻った。

「こんなところで話すのもな」

 その背中は私について来いと言っていた。相変わらず、不器用で、それでいて人がいい。


 落ち着きを取り戻した私がそこから主導権を握るのにはそこまで苦労しなかった。空き教室を探すまでの道できちんと作戦を練った私は、それを正確に実行した。それはアドリブの効く役者のよう、というよりかはキャラクターの口の動きに合わせてアテレコする声優のようだった。脳内で考えた台本を丁寧に読み込んだ私は、いよいよアクトレスとしての本領を発揮した。

 手順は簡単だ。はじめはか弱くとろ臭い女の子を演出しておき、彼が私に辟易したタイミングで名前を呼んで立ち去ろうとする足を止める。そこで私は自己紹介すら済んでいない彼に、生前の琴乃くらいしか知り得ないような情報を開示してやれば。彼は否応なしに私の話に興味を抱くこととなる。その機を狙って畳み掛ければ良いのだ。

 その作戦は完璧に成功した。亮介が私の理想通りの動きをしてくれたのも大きかった。私は「清川詩織」としての自らの設定を話し、転校生であることと柴原琴乃の文通相手であることの二つの嘘を彼の前に提示した。あっさり信じてくれることも期待しないではなかったが、亮介は後者の嘘にかなり敏感に反応した。「文通しているなんて話を琴乃から聞いたことはない」、彼は私に言った。もっともである。何せ私の演じる「清川詩織」なんていう少女はこの世に存在しないのだから。いるのは心臓の病に苦しんだ挙句人格を乗っ取られた惨めな女の子と、その人格を乗っ取って好き勝手するろくでなしの、本来全く無関係な二人だけだ。だから、この亮介の指摘はかなり痛いものだった。同時に、私は同時にその亮介の指摘を嬉しくも思った。たとえ今は嫌われているとしても、当時の二人の関係が完璧で完全だったという認識が彼の中にあるのでは、と自分に都合のいい解釈をしてしまったからだ。そんな自家発電的な身勝手な喜びを噛み締めていたせいで、彼の疑問への返答がワンテンポ遅れた上に窮屈なものになった。

「女の子は、たくさんかくしごとをする生き物なんです」

 それを聞いた亮介は、不思議とどこか落ち込んだ様子だったが、一応は納得してくれたようだ。この窮地を乗り越えたあたりで、完全に会話の主導権は私に移行したと言える。そしてその頃合いこそ、亮介に琴乃からの「感謝」と「想い」を伝えるにふさわしいタイミングだった。空き教室に移ってからというもの、何もかもが想定内に進んだので、実にスムーズな運びだった。ただ、たった一つのイレギュラーを除いて。

「琴乃さんは亡くなる直前まで亮介さんの話をしていらっしゃいましたし」

 それは自らの嘘に信憑性を持たせるためにディティールの部分を増強していた時のことだ。亮介は私の言葉を聞くや、とんでもない勢いで椅子から立ち上がった。私が予想だにしなかったそのオーバーな反応はまるきり嫌っていた相手に見せるそれではなかった。何年も同じ時を過ごしてきたからこそわかる。期待や昂りを押し殺している時の気難しい顔。亮介が深く愛していた自らの母を語る時に、照れ隠しでよくこの顔をしていたことを思い出す。そして私はちっとも自分の視野の中になかった、一つの考えに思い至った。

 亮介もまた私に想いを寄せてくれていたのではないだろうか。

 実に馬鹿げていた。誰よりも格好良くて、誰よりも優しくて、誰よりも優秀で、誰もが憧れる皆の人気者で。そんな亮介が、友達としてでなく恋愛の相手として見ていただなんて、あるはずがない。あるはずがないんだ。でも、もしひょっとして、それが甘い真実だったら。その仮定が遠くない真実を描いたものだったら。

 私はとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。

 私は亮介に嫌われているとばかり思っていて、だから私の退屈で亮介の人生を汚染するのが申し訳なくて、彼と距離をおき続けてきた。ただ、亮介がもし仮に私のことが好きで、私たちは長い間両想いを続けてきたのだとしたら。私たちは世界で一番幸せな恋人になれていたはずだ。たとえ、私の青色の死が運命の道筋に組み込まれていたものだったとしても、その意味合いは全然違っていたはずだ。もっと、幸福で不幸な死になるはずだったんだ。少なくとも、あんな理科室の実験器具みたいな無味無臭な死ではなかっただろう。

 私たちは恋人にだってなることのできる二人だったのか。

 頭の中で思考を転がしていると、もはや仮定であることすら忘れていた。その文言が重たく突き刺さる。それは、あまりに素敵で残酷すぎる事実だった。恋人になってしたいことがたくさんあった。ハグだって、キスだって、その先だって。これでは、欲望を押し殺して世界と戦い続けてきたかつての私に申し訳が立たない。少し勇気を出せていたら、それを考えると、泣きたくなる。私は生前、自分の身の丈には幸せの洋服は合わないとばかり決めつけていたけれど。もしかしたら私はもっとずっと幸せになれたのではないだろうか。両親から受けてきた仕打ちと釣り合いが取れるくらいの幸せを亮介の隣で得られたかもしれなかったのに、その可能性から目を背け続けてしまったのではないだろうか。何一つ試着もしないまま、永遠の底に沈めてしまったのでは、ないだろうか。

「早く、早く教えてくれないか。琴乃が僕をどう思っていたかを。どうしても、琴乃の気持ちが知りたいんだ」

 亮介は私に答えを求める。その表情を見ると、私は自分が失ってしまったものを否が応でも目に入れる羽目になった。私はこの人とずっと一緒にいられたのかもしれないのか。

 もう、悔いても全てが遅かった。柴原琴乃は死んで、もうこの世にいない。かろうじてその人格がこうしてここにしがみついているだけだ。諦めるしかないのも、わかっている。残酷な真実を甘んじて受け入れるしかないのも、理解している。それでも。

「秘密です」

 気がつけば私は時間稼ぎをしていた。でも、仕方がないじゃないか。だって、私は十六年間しか生きていないんだ。そのうち亮介と一緒に過ごせたのなんて半分くらいのもの。詩織の身体を借りて、少しくらいの間もう一度亮介と同じ時を過ごしたいと願っても、いいでしょう。もしそうなれば、私の死が1パーセントくらいは報われるはずなんです。それくらいのずるっこ、見逃してください、神様。

 二度目の人生は亮介の隣で。

 私は戦略を立てた。それは亮介の知りたがる「柴原琴乃」との架空の手紙のやりとりの内容を小出しにするというものだった。それで亮介を繋ぎ止めておけばしばらくは「清川詩織」のそばにいてくれるはずだ。そうして私は考えつく限りで最効率的な嘘で、亮介の友達になった。


 自宅に帰った後、亮介と一緒に帰路を辿った私は少し浮かれながら詩織の部屋に戻った。そして机に向かって作業を始める。それは先日偽造した手紙に散りばめていた彼への露骨な恋心を、あえてぼかしていくという修正作業だった。このままにしておくと亮介もまたすぐに私と両想いであったことを悟ってしまうだろうが、一方で文に詰められた私の恋心のエッセンスを排除しては亮介を私の元に繋ぎ止めておく事はできない。亮介に小出しにする手紙は、淡い恋心の滲んだパステルカラーであるのが相応しい。作業は夕食を挟んで深夜まで続いた。

 就寝前、洗面所で渚と鉢合わせた。渚にもう少し詩織の身体を借りて学校に行きたいという趣旨のことを伝えると、彼はいつも以上に不機嫌そうな面持ちで「勝手にしろ」と言った。

 言われなくても、そうさせてもらう。これは、誰よりもかわいそうな少女を救ってあげるためなのだ。両親からの虐待を受け続け、唯一の大切な幼馴染みとは疎遠になってしまった惨めな女の子を、最後の最後で救ってあげるための、自分勝手だ。私は冷たい化粧水を顔いっぱいにぶつけた。本当に詩織や渚には申し訳ないけれど。

 私には大好きな人がいるんだ。

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