第19話 作戦
そうと決めたらすぐに実行に移した。まずは学校に通う許可を両親から貰うところから話は始まるわけだが。渚の反対は目に見えている。家族が揃っているタイミングでその話を出すと、確実に議論になってそのままあやふやになってしまう。そこで私は最初に両親にだけ学校に通いたいと思っている旨を伝えた。この人格が死ぬ前に、もう一度楽しい思いをしておきたい、と言うだけで、両親はその言葉を待っていたとばかりに色々取り計らってくれた。
次に私はこれから私が演じる「清川詩織」のキャラクター付けをどうしようか考えた。いくら詩織が美人とは言え、この容姿で近づけばホイホイ話に乗ってくるほど亮介はちょろい男だとも思えない。かといって「私が本当は琴乃だ」などと正直に打ち明けても信じてもらえないことは目に見えていた。彼は警戒心の塊みたいな男だ。嘘や噂に極端に怯える男であり、同時にリアリストでもあった。そんな彼に対し半端な嘘や正直で戦っても勝ち目はない。そして詩織の身体を借りて二度目の人生を送っているだなんてありえないことが現実に起きている中で、正直の方の路線を採用するのは馬鹿げていた。それに、「私は琴乃なんだ」と言って亮介の方から関心を抱いてくれるようならば、生きているうちに彼に告白だってできている。この話のキモは、いかに亮介の興味の外にある「柴原琴乃」という存在を、亮介の興味の範疇に引きづり込むかというところなのだ。いっそ、最初から最後まで全部嘘で塗り固めてしまおうか。要は、「柴原琴乃の気持ち」の部分だけ真実なら、それでいいのだから。肝要なのは演出だ。
学校に行くことを決めたその翌日、私は美容室に行った。ただでさえ長く綺麗な髪を、亮介好みにアレンジする。そしてヘアセットの間ずっと私は自らの設定を考え続けた。やはり『郵便屋さん』の方向が良さそうだ。
亮介に、「預かったものだ」と伝えて柴原琴乃の遺書を手渡す。
それが一番最初に思いついた策だった。しかし、私の死因が交通事故であることを考えると、最善の選択肢とは言い難い。交通事故という偶発的な死を迎えた私の遺書が用意されていることに違和感がある。彼へのラブレター作戦も同様に却下となった。そんなものを、第三者が持っているのは怪しすぎる。私が亮介の立場だったらタチの悪いイタズラだとしか思わないだろう。柴原琴乃の気持ちを伝えようにも、その伝え手に信憑性がないなら仕方がない。
散々悩んでいると髪型が完成していた。女の私が息を飲むくらいには美人だった。それを見て私はまた鏡の前でまた考え込む。彼を信用させるには、まず彼に近づく妥当性が必要なのだ。裏を返せば、それさえあれば彼だって心を開いてくれるだろう。そしてその理由はできれば恋愛感情でない方が望ましい。何せ胡散臭すぎるし、これほどの美人ならば彼の自慢の警戒心も鋭く機能するだろう。全く女性に言い寄られないような男が相手ならば恋愛感情に訴えかけるのも悪くはないが、亮介相手では少し分が悪すぎる。ホームランバッターにど真ん中の直球で勝負しても仕方がない。ストレートを際立たせるには、効果的な変化球が有効だろう。そう考えると、自ずと答えは一つに固まった。
小野寺亮介に柴原琴乃の気持ちを伝えるのを、清川詩織の「使命」にする。
その発想が足がかりだった。私は様々な設定を帰り道の間に考えついた。清川詩織が転校生であるという設定、ずっと琴乃と手紙のやりとりをしていたという設定、琴乃は詩織にだけ秘めた本音を打ち明けていたという設定。
家に帰った時には大方固まっていた。私は家に帰るや部屋に姿見を持ち込んで、表情や話し方を考えた。天真爛漫な少女、警戒を解くためにも話し方は敬語がいい。清廉な印象を強調するために化粧は控えめに、ただスカート丈だけは他の女の子と同じくらいの短さにしておこう。細かい挙動にも意識を張り巡らせた。より亮介を信用させられるような仕草や笑い方を確認する。本来そういうのは他人からの指摘をもとに行われるのだろうけれど、そもそもこの身体と自己一致の感覚が薄く、常に幽体離脱のような感じでこの身体を借りている私にとって、清川詩織の身体を客観的に見つめることはさほど難しいことではなかった。私は清川詩織の魅力やより信頼される振る舞い方というのを適切に言語化し実行できた。もしかしたら人間というのは主観で視界が狭くなってしまうのが摩擦や失敗の原因なのかもしれないと思う。これくらい自由に身体が操れたら、私だけでなく誰だって容易に自分をプロデュースできるはずだ。
そうして「清川詩織」にキャラクターを与えた私は、次に大学ノートを広げて字の練習をした。もちろんペン習字の教室のように上手な字を書こうとしたのではない。そうではなくてそれぞれの学年の頃どれくらい字を崩して書いていたか、どれくらいの語彙まで扱っていたかという確認だ。小学校一年から六年までのそれぞれの手紙を当時の癖を思い出しながら再現するのはそれなりに骨が折れる作業で、満足いく頃には夕食の時間になっていた。
夕食の時間では父が渚に私が学校に通うことを短く告げた。渚は反論しかけて、不機嫌に黙り込んだ。渚は直前に「図書室に面白い後輩がいる」と楽しそうに話していたばかりなのに、すっかり白けた感じだ。私としては申し訳ないが、妹想いの渚にかまっている暇はなかった。どうせ詩織に迷惑をかけることになるのだから、それならわがままを突き通さねばならない。
食事を終えると、何枚もの手紙を仕上げた。便箋と封筒は、日中文具屋で片っ端から購入した物の中からふさわしいものを選んでいった。作業は深夜に至った。清川詩織を過去の自分の文通相手に仕立て、全ての亮介への感謝と恋心を余すところなく便箋に落とす。柴原琴乃の代筆屋にでもなった気分だった。私は手紙を綴りながら亮介と過ごした時間の一つ一つを丁寧に脳内映像で再生し、その度に心臓の温度を確かめた。この手紙を通じて亮介が自分のことを少しでも思い出してくれればいい。もしかしたら別の誰かと恋の最中にいるのかもしれない亮介に、それでも私の心からの感謝と恋の気持ちを伝えることが出来たら。それだけで幸せだと思える気がしていた。
そうして手紙を作り終えた私は、学校に行くその前日である日曜日にかつての遊び場の裏山に行った。そこには私と亮介の秘密基地があり、そして奥まったところに錆びた郵便ポストがあった。来るはずもない郵便局員をいつまでも待っているかのような、そんな寂しげな佇まいのポスト。私はそのポストの中に十枚ほどの手紙を投函した。これは「琴乃から詩織に宛てて書かれた手紙」を捏造する際に生まれた副産物とでもいうべき、本当の意味での柴原琴乃の代筆だった。つまり、手紙の中には収まりきらないほどの真っ直ぐな好意を、「柴原琴乃から小野寺亮介に向けて密かに書かれていた手紙」としてそこに入れたのだ。亮介がこれを今更確認するなんて万に一つもありえなかったが、あくまでも私は小学校六年生の柴原琴乃や、中学校二年生の柴原琴乃の気持ちを代弁するという意図でもってその行動をとった。単に、柴原琴乃が小野寺亮介を愛していた証拠を、一つでも多くこの世に残しておきたかったのかもしれない。そういう意味では、いつ死ぬかわからない私の人格の生き急ぎと言えるだろうが。
家に帰って洋服を部屋着に着替えると、びっくりするほど汗が染み付いていた。私が死んだあの日もよく晴れた五月の日だったが、それから一ヶ月と少し経った今日はすっかり梅雨晴れの一日だ。あの日は涼しいカラッとした一日で、今日はじめっとした暑いばかりだが。きたる夏の予行演習のような天気にうんざりする。私はリビングの扇風機を回しながらニュース番組を眺め、アイスクリームをシャクシャク食べた。明日から学校だ。うまくやれるだろうか。亮介に琴乃としての私の想いを伝えられるだろうか。考えるだけでブルーになる。アイスもあまり美味しくなくなってくる。テレビを消してアイスのカップをローテーブルに置いて、ゴロりと寝そべった。「うわ!」、思わず声をあげたのは仰向けになった私の視線の先に渚がいたからだ。渚は私を睨んで、「聞きたいことがある」と首を傾げた。
「お前が突然学校に行きたいと言い出した理由に、男は関係あるのか?」
私は答えづらくて、また答える理由も分からなくて、口をつぐんでいた。
「まさかとは思うが、詩織の身体でやり残した恋をしようとだなんてしていないよな」
「そんなことは……」
「ないのか?」
渚は私をギュッと見下ろしている。私は彼を同じくらいの強さで見つめ返して強く言った。
「目的が済んだらすぐにでも学校に行くのを辞めますから。少しだけこの身体をお借りします」
渚は舌打ちをして私から離れた。彼はノブに手を掛け再びこちらを向き直る。
「その男は、小野寺亮介なのか?」
渚は私の表情をじっと見つめ、ドアを勢いよく閉めて自室に戻った。私は心の中で呟く。
そうだったら、どうだというのだろう。
なんだか不穏な感じがしたが、私はどうすることもできず天井と睨めっこを続けた。誰が何を言おうと、明日から学校なんだ。気にしていられない。
うまくやろう。演技なら、苦手じゃない。
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