第18話 神様のアディショナルタイム

 病状が回復した私はすぐに退院する運びとなった。病的に痩せ細った身体も、病院食を食べているだけですぐに痩せ型の女の子くらいの健康的な感じになった。こけていた肌も若々しい艶を取り戻した。錠剤がいくつか処方されたが、どれも心臓の働きを調整する役割のものばかりで、深刻なものは一つもないらしかった。かくして私は詩織が目覚めるまでの間、養子のような感じで清川家に引き取られることになった。父と母はしつこく実の両親に挨拶することを勧めたが、私はそれを頑として断った。実際のところ、娘の臓器を葛藤もなく他の人に差し出せるような良識の人間たちに会うのは御免だというだけなのだが、新しい家族の手前そうとも言えず「今会ってしまって二人を混乱させたくない。決心がついたら挨拶に行きたい」と問題を先送りにして凌いだ。

 本当は新しい家族には「詩織」と呼んでもらっても構わなかったのだけれど、彼らなりの区別の意味もあってか彼らはプライベートな空間では必ず「琴乃」と呼んだ。そうして私は自らの死から数週間で、初めて家族の優しさというものを知った。住宅街の真ん中に建てられた少し大きめな一軒家。皆んなで囲む温かい食事も、会話の中で私に投げかけられる心地よい響きの相槌や合いの手も、安心して布団に潜り込める心地も、どれも私が十六年分の人生で知ることのできなかったものばかりだった。

 私は私で、いずれ、というか医者の見込みでは数ヶ月後には死ぬことがわかっているというのに、この身体で好き勝手しようという気も起きなかった。なので私は死の準備をしながら、のんびりと毎日を過ごした。父の書斎から古い本を借りては、辞書と往復しつつ一日かけて読み通し、またある時にはもらったお小遣いを頼りに都会の方に出てみたりした。清川詩織はすれ違うたびに男が振り返って噂の種にするほどの美人だったので、洋服屋を巡るのも楽しかった。贅沢な着せ替え人形遊びみたいだと思った。詩織の身体でなら、進んで化粧もネイルも覚えられた。そうして都会を歩くと、私が柴原琴乃だった時には見向きもしなかった男たちがこぞって私に声をかけてきた。そういう誘いを一蹴するのは、美人とはいえない容姿で過ごした十六年間分の鬱憤の復讐的な意味でも気持ちよかった。と、それは少し悪趣味だが、概ね「清川詩織としての暮らし」は健やかで丁寧なものだったと言えるだろう。少なくとも中学校以降でこれほど伸びやかに時間を送れているのは間違いなく初めてだった。

 もちろん、なんの問題もない訳ではなかった。両親が私に高校への登校を勧めたことがあった。身体に異変があったらすぐにでも飛んでいくから、と。それは彼らなりの優しさだった。勉強は詩織ほどは得意ではないにせよ、中学受験以降サボらず続けてきたのもあってそれなりの成績でおさまることはできるだろう。それに私は詩織と同じ学校に通っていたので、高校に行けば友人だっている。実の両親に会うのは絶対に嫌と拒んだ私だったが、かつての友人に会いたい気はしないでもなかった。ところが渚はそれに異を唱えた。「詩織が目覚めたら、詩織は琴乃が作った人間関係の中で生きなくてはならない。詩織には一から始める権利がある」、彼の主張はこうだった。私も同じ考えだった。詩織の容姿をした私は、学校にいたらいやでも注目を集めてしまうだろう。こういう容姿を客観視できる目が私にはあるので間違いない。そうして私が様々な誘いに乗るにせよ拒むにせよ、詩織は目覚めてからそういう私の作った環境の中で生きることを強いられてしまう。時に私がとっていた行動を模倣したり、かつての私の失敗を訂正しなければならないような場面に出くわすかもしれない。そういう彼女の窮屈さを兄である渚が気にかけるのは当然のことだった。父は渚の私に対する配慮の無さをきつく咎めたが、私が渚の肩を持ったことで一応その場は収まった。

 渚がこんな感じで「詩織」を気にかけ「琴乃」を蔑ろにするのは珍しいことではなかった。とはいえ、私としてはそもそも敵しかいない家で育っていた下積みがあるので渚の態度に深く傷つくことはなかった。私自身にも詩織の身体を奪っている負い目があるのと、渚のきつい言葉の節々に詩織への愛を感じ取れたのも要因だった。

 以上のように、渚との関係にいささかのギスつきがありつつも、基本的に私は「清川詩織」として送る時間に不足を感じていなかった。幸福を覚えることすら少なくなかった。だがその一方で、不思議と満足しているとも、思えなかった。何かがずっと私の中に引っかかり続けた。


 変化は、一通の手紙がきっかけだった。

 手紙と言ってもそれは私に宛てられたものではない。正確な言い方をすると、それは柴原琴乃ではなく清川詩織に向けて届いたものだった。もちろん、私が積極的にその手紙の中を覗き見ようとした訳ではない。ただ、渚が見てみろ、と勝手に封を切って私に差し出してきたのだ。その乱暴な手つきから、彼がその手紙を詩織の元に頻繁に届くラブレターの一つだとでも判断したのだろうと思った。一億総通信社会の現代においてこれほどラブレターが届くのは、ひとえに詩織が滅多に学校に顔を出さず、まして連絡先を知っている同級生など一人もいなかったからなのだろうが。にしても彼女の人気は凄まじいものだと思い知ったりした。そして、おそらく妹想いの渚は詩織の元に度重なって届く無謀な失礼に辟易していたのだろうというのも、彼の口調から伝わってきた。「自分ばかりが気持ち良くなって、断る辛さだけ押し付けるなんてめちゃくちゃだ」、彼は何度も詩織にラブレターの処分を勧告したが、詩織はそれらを丁寧に保存していたらしい。実際、詩織の病室の隅に置かれていたビスケットの缶詰の中には中学校の同級生から送られた無数のラブレターが入っていた。詩織の几帳面で人のいい性格が垣間見えるほど綺麗に保存されていた。

 さて、私は渚が寄越した手紙に目を通したのだが。そこに書いてあったのは、ロマンチストのラブレターのような上っ面で薄寒い文言ではなかった。無骨で荒削りで、それでも文字から熱量まで読み取れるほどに真っ直ぐな想いで書かれた感謝の手紙だった。その手紙は、詩織が小児科棟で入院していた時に彼女と親しくしていた少女が書いたものだった。詩織より一つ下の彼女は、今ではこじらせていた肺機能の不全を寛解させ、出遅れながらも愉快な高校生活を送っているらしい。素敵な恋人もできたようだ。病を患い世界に絶望していたそんな時に、詩織と出会えたからこそ病気と一生懸命戦えた。本当にありがとう。そんな内容だった。

 渚はハナから失礼な手紙だと決め付けて乱暴な扱いをしたことを悔いているような表情だった。私もまた、詩織が読むべき手紙をすっかり読み通してしまったことへの申し訳なさを募らせていた。ところが、私の中で支配的な感情は、そういったマイナスのものだけではなかった。いや、むしろ私はこの手紙を読みながらに、ある一人への想いを募らせていた。トリガーは手紙という媒体そのものだったのかもしれない。詩織の部屋に帰った私は、さっぱりしたデザインのベッドに仰向けに飛び込んで天井を眺めながら部屋をぐるりと見回した。詩織の部屋は物が少ない。白を基調にした明るい部屋に馴染まないダークトーンのクッションと本棚に斜め置きされたカラフルな児童書の他には最低限の家具しかない。それらの家具は強く使用感を主張する訳ではなくて、どちらかというと両親がカタチ上用意しておいたものという感じがひしひし伝わってきた。この部屋をいつでも詩織が使えるように、そんな優しさを隅々から感じ取れた。ここに帰ってくるべきは私ではなく詩織なのだ、この部屋を自分色に彩るべきは詩織なんだと、部屋は正直に私に伝えていた。だから、私はいつも自分を咎めるようにこの部屋で控えめな呼吸をして、申し訳なさを胸に過ごしてきた。

 でも、今日に限って私はそのシンプルな部屋を自分のために有効利用した。部屋の無個性な家具に自分の知る色を乗せる。それを想像する。白で統一された直線的部屋が、次第に想像の上で青を基調とする雑多な部屋に変わっていく。香りまで懐かしいものになっていく。私は手に持った詩織宛ての手紙をそっと胸元に当て、かつての記憶に想いを馳せた。

「ねえ、『郵便屋さん』の話を知ってる?」

 大好きな絵本の受け売りだった。大切な人の死に沈んでいる幼馴染みをどうしても励ましたかった。家にいる時の私と同じ顔で感情を押し殺している彼に、私の前で我慢しなくていいんだよと、どうにかして伝えたかったんだ。その話を聞いた彼が自分の心を許したみたいにポロポロ泣き出した時、私はずっと彼のそばにいてあげたいと思った。

 彼の隣は居心地が良くて、彼のいない場所は酸素が薄かった。彼が私のそばにいた小学校生活は眩しいくらいにくらいキラキラ輝いていて、彼がいなかった中学校高校の間はみっともないくらいにくすんでいた。

 私は試しに彼の名前を口に出してみた。まだ心臓は熱く震えた。一言発した途端に彼の名前は私の中で細胞分裂を繰り返し、いつの間にか詩織のか細い身体の中には彼しかいなくなっていた。私はまだ彼に何も伝えられていない。私は「柴原琴乃」の人生の中で最も大切だった人に「かんしゃ」も「おもい」も伝えられていない。あれほど大好きだった人に、まだ何も。

 見て見ぬふりをしていた未練が、私の中で膨張する。心臓が苦しくなった。無理もない、この心臓だけはずっと私のものなのだ。ずっと彼にドキドキし続けてきた、私の心臓なんだ。

 私は膝を抱えて目を瞑って三秒数える。

 今すぐ、亮介に会いたい。


 小野寺亮介との関係は、ただの幼馴染みという言葉では言い表し切れないほどに色濃いものだった。少なくとも、小学校の間は。

 亮介は運動神経、学習能力、手先や世渡りの器用さ、いずれもクラスメートの誰よりも秀でていた。その上容姿は端麗で、私は小学生の頃から高校生で死を迎えるまでに幾度となく彼に想いを寄せる女の子の話を聞いてきた。同じくらいの回数、彼と同様にあらゆる面に秀でた女の子と亮介の間に噂話が立つのも。

 ところがそんな亮介は幼馴染みのよしみからか、容姿から様々な能力までこれといって際立ったところのない私をいつも気にかけてくれた。私のそそっかしさを笑いつつも絶対に馬鹿にせず、誰もが簡単にこなすことに時間がかかる私をそばで応援してくれた。小学校の低学年の頃から亮介に恋をしていたおませな私は、他の子が次第に亮介を魅力的な男として意識するようになった時に、焦りと同じ質量の優越感を抱いたりした。何の取り柄もない私のみっともない愉悦意識なのだが、亮介が私と親しくしてくれているというだけで誇らしかった。亮介と一緒に登下校して、彼の家に上がって、そういうところで亮介がひょっとしたら私を特別に思ってくれているのではないかと期待したり、亮介の些細な優しさに泣きそうになったりした。

 私には亮介の考えていることが手に取るようにわかった。亮介との会話は、過少で、過剰だった。本来なら少なすぎる文字量でも相手の表情や仕草や状況から相手の言いたい事を完璧に理解しあえた私たちは、「ごめん」や「嬉しい」や「ありがとう」に五十や百のバリエーションを持たせて話すことができた。それゆえに私たちの会話は短い言葉のやり取りの連続で、かと思えばあえて不必要に文を太らせてそれを笑いの苗木にしたりした。

 そんな完全な幼馴染みとの関係は、しかし散る時は一瞬だった。放射能に当てられた若く繁った木のように、幹や根っこから腐ってもう手のつけられないものになっていた。

 私が彼に強引にキスをしてしまったのだ。六年近く表出しないように押さえ込んでいた彼への恋心が、人生で初めて送った幸せなクリスマスの魔法と思春期の不安定さに唆されて、ひょっこり顔を出した。キスした瞬間、全てが終わった。彼の気持ちが何も分からなくなっていた。きっと、彼がこちらに心を閉ざしたからなのだろう。無理もない、好きでもない相手とのキスだなんて、私だって気分が悪すぎて反吐が出る。あれは私の裏切り行為だった。亮介が私に抱いていた好意の種類が、恋でないことくらいわかっていたのに。

 そこから死ぬまでの人生は、それでも案外捨てたものではなかった。満たされていたとはお世辞にも言えないけれど、小学校の心の脆い時期に亮介が隣にいてくれたのがよかった。私は亮介との思い出に抱かれながら平和に生きていけた。亮介という偉大すぎる存在のおかげで、素敵な人生だったと思う。そういう意味で私は亮介に感謝の気持ちを失うことはなかった。いや、それは恋心だって同じだ。私はずっと彼に絶えず恋を続けた。亮介が地区でトップクラスに優秀な藍祥東高校を受験すると聞いた時、どうしても彼と離れたくない私は血を吐く思いで必死に勉強した。うちの親が学習塾なんて高尚なものに入れてくれるはずもないので、毎日閉校時刻まで学校に残って分からないところは全部教師に聞いた。要領の悪い私は、そこまでしてやっと最低点ギリギリで東高に合格した。いつか、この感謝と恋心を伝えるために。

 それでも、伝え損なって死んでしまうわけだけれど。亮介は私の死をどう思ったのだろうか。多少は悲しんだり、昔のことに想いを馳せたりしてくれたのだろうか。亮介は今頃、何をしているのだろうか。もう、亮介に会うことはできないのだろうか。そう考えて、それが高校生の私の心が泣き出してしまうほどに悲しい事実だと、今知る。

 亮介に会いたい。まだ感謝も想いもこの恋心も伝えられていないのに。死んでしまうなんてあんまりではないか。

 なら、会えばいい。

 そのなんの捻りもない発想は、しかし革命だった。そうだ、会えばいいんだ。何の幸運か柴原琴乃の心は死んでしまうことなくまだここに生きていて、私の自我のホームステイ先である清川詩織は、小野寺亮介や柴原琴乃と同じ高校に通っている。私は詩織としてなら亮介に会いにいくことができる。その考えがいかにずるく、ルール違反なのかはわかっていた。本来死んだ人間が、美形の肉体を誰かから奪い取ってかつて好きだった人に会いにいくだなんて。でも、私は十六歳で死んでしまったんだ。亮介を抜きにしたら一色も残らないような退屈な十六年間を生きてきたんだ。少しくらいのわがまま、許してください、神様。そんな時、私は罪悪感を紛らすに都合の良い解釈を思いつく。これは十六年で死んでしまった可哀想な少女に与えられたアディショナルタイムなのだ。十六年分の未練を解消するチャンスなのだ、と。

 私だって亮介と付き合いたいだとか、そんな贅沢を望んだわけではない。ただ、どうにかして亮介に伝えておきたかったんだ。「柴原琴乃」がその小さな身体ではおさまらないくらい深く激しく恋をしていたこと。亮介のおかげで辛い日々を生きてこれたこと。感謝していること。

 そこで私は、再び『郵便屋さん』の話を思い出す。

 そうだ、私が郵便屋さんになればいいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る