嘘 ―盲目のエルフ―

藤光

「嘘」

 ぼくは嘘をつく、

 きみは美しいと。



「ほんとうだ。きみの目も鼻も唇も、とてもきれいだよ」


 20年に一度訪れる長雨――「梅雨」を避けて「迷いの森」からやってくる『盲目のエルフ』はチョロい。少し優しい言葉をかけると、簡単に身体を許してくれる。なぜなら20年に一度の「梅雨」がエルフたちの繁殖期に当たっているからだ。


 空を鈍色にびいろの雲が覆いはじめると男たちが(なかには女たちも)、「迷いの森」の出口に当たるこの街に集まってくる。目的はエルフの女を(ときには男を)抱くためだ。


『盲目のエルフ』は美しい。


 しかし、彼らは自分たちが美しいと知らない。目が見えないから、いつも不安を抱えている「自分は美しくないのではないか」「美しくない自分は伴侶を得られないのではないか」と。


 ――わたしは醜いブスですから。


 ベッドの中でそう言って拗ねてみせる『盲目のエルフ』は多い。その度にぼくはその長くて美しい髪を撫でながら言う。


「そんなことはない。きみはきれいだよ」


 嘘だ。彼らは美しいけれど、ぼくがそう言うのは、そう囁いてあげると彼らがとても喜び、安心するからだ。光を映さないその目を閉じて、繊細な心と身体を開いてゆくからだ。


「みんなことを言われたのは、はじめてです」

「それじゃあ、優しくしよう」


 華奢でしなやかなエルフの身体に指を這わせながら、ぼくはほくそ笑むのだ。




 数日後、街で見つけたエルフには、なんとなく見覚えがあるような気がした。ベッドで彼女の服を脱がせてみて、それは確信に変わった。首の付け根から胸を通って下腹部に至る大きな傷が彼女の身体にのたくっていたからだ。


 ――わたしきれい?


 身体に傷のある『盲目のエルフ』。20年前に身体を重ねたエルフのひとりだった。エルフの寿命は長く、人と違っていつまでも若い。彼女も20年前とまったく同じ姿をしていた。


 雨の水滴が付いては流れてゆく窓ガラス。そこに映った自分の姿に、ぼくは20年の歳月を感じた。人は老いやすく、醜い。


 ――わたしって醜いわよね?


 彼女は自分が醜いと知っているエルフだった。あのとき、ぼくはなんと言って彼女を抱いたのだったろうか。


「きみの背中は美しいよ」


 本当だった。正視に耐えない胸や腹と違って、彼女の背中は美しい。背骨に沿って縦にあらわれる優美な窪みは、彼女の持つ魂のしなやかさと気高さを表していように感じられた。


「20年前のあなたね」


 彼女がぼくの正体に気づいた。


「声が大人びて……。手も固くなっていたから気づかなかったけれど。醜いわたしにあなたが優しいのは変わらないのね」


 年をとった分、喉が焼け、肌はかさついてぼくは老いた。エルフの目が見えないのをいいことに、言葉を偽り、正体を黙っていたぼくが、優しいわけはない。


「ぼくが優しいわけがない」

「あなたには感謝している。あのあと、子どもを授かったの。娘よ、十九歳になるわ」


 衝撃がぼくの身体を貫いた。


「娘だって? ぼくの?」

「ええ、そうよ。一緒に森を出てきたの」

「嘘だろう?」

「どうして、わたしが嘘をつかなければならないの? 本当よ、いま、この街にいるわ」

「この街に!」


 とたんに目眩がしたぼくは立ち上がり、部屋を飛び出すと雨の降りしきる街路へ彷徨さまよい出た。


「どこへ行ったの、あなた」


 壁伝いに白いシーツを身体に巻きつけてたエルフが戸口に現れた。目が見えなくとも、雨の降る気配は感じられるのだろう、外へは出てこない。


「戻ってきてちょうだい。そして、20年前のようにわたしを抱いて――」


 ぼくはこらえきれず、道端で涙を流しながら嘔吐した。

 だれがこんな彼女たちを責めることができるだろう。『盲目のエルフ』が「迷いの森」を出るのはのためなのだ。

 

 ――わたしって醜いブスよね。


 いいや。ほんとうに醜いのは、ぼくだ。



 ぼくは嘘をついた、

 きみは美しいと。

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嘘 ―盲目のエルフ― 藤光 @gigan_280614

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