コンビニアイスレコメンド

鳥辺野九

コンビニにて


「アイスの冷蔵ケースに入ってる画像をSNSで拡散させた奴ってさ」


 時は五月も終盤、いよいよ西から梅雨入りの一報が届きそうな空の下。


「ちゃんと人生を棒に振ってくれたんだよな」


 場はコンビニのアイス売り場、蒸し暑さを引き連れた部活帰りの男子高校生が群がるよく冷えた一角。


「アイスはな、人の体温で溶けたのを再冷凍させたのが最悪に不味いんだ」


 何よりもアイスを愛する良星りょうせいは思いの丈を五月の風よりも熱く語っていた。


「アイスを冒涜した報いを受けるべきだ。アイスのはずれ棒を引くように人生を棒に振ってくれ。そう思うだろ?」


 独自の理論を聞かされる方としては梅雨入り前のように暑苦しくてめんどくさいだけだが。


「そーだな。で、今日はどのアイスを食えばいいんだ?」


 良星の連れは少々うんざりした口調で適当に相槌を打っておいた。下手すればいつまでもアイス談話を聞かされる。


 部活帰り、迂闊にも「アイス食いてえ」などと呟いたのが運の尽き。沼に引きずり込まれるようにコンビニに入店。アイスの冷蔵ケース前のベストポジションを陣取って、良星による本日のアイス講義はじまりはじまり。


「今日は湿度が高い。喉が乾くラクトアイスよりも水分補給もできる氷菓にすべきだ」


 良星はあまり乗り気じゃない同級生に一本の氷菓を指差してやった。出来れば手に取って渡してやりたいところだが、冷えたパッケージに触れてはいけない。手に触れた瞬間から消費期限のカウントダウンが始まってしまう。


「ど定番のソーダはもう少し気温が高くなってからだ。今くらいの時節には舌を刺すような果実味の刺激がいい感じのコレだ」


 シックな黒パッケージに目を惹くみずみずしいピンクの輪切りフルーツ。『大人なガリガリ君 ピンクグレープフルーツ』が冷蔵ケースの隅に鎮座ましましている。


「それ、いけるのか?」


 と、良星の端的なプレゼンとレコメンドに対して、意外な角度からリアクションが返ってきた。


 良星の向かい側、アイスの冷蔵ケースの反対側から細長い腕が伸びて、大人なガリガリ君をひょいと摘み上げる。


 柔らかそうな前髪をかきあげて、長身の男子高校生がガリガリ君パッケージ裏面を顔に近付けた。切長の目をさらに細めて商品情報を読み込んでいる。


 身に纏っているキャメルカラーのブレザーと赤ネクタイから某進学校の男子生徒だとわかるが、部活関連の他校の知り合いとも違う。良星と同級生にとってまったく見ず知らずの男子高校生だ。


「今日の天候なら間違いない。いっとけ」


 にも関わらず。良星は親しい友人に喋りかけるような砕けた口調でガリガリ君を推した。


「サンキュ」


 さも当たり前のように。見知らぬ彼は余計な仕草一つせずにガリガリ君をレジへ連れて行った。


 良星と見知らぬ男子高校生との間で交わされた会話は最低限の短いものであった。


「えっ? 誰、あいつ」


 慌てて同級生が良星に訊ねる。リアクションがあまりに自然で思わずクラスメイトでも通りすがったかとスルーしてしまった。まったくの初対面と交わす会話か、今の。


「いや、知らん奴」


「知らんって、誰だよ」


「だから全然知らない奴だって」


 良星も大人なガリガリ君ピンクグレープフルーツを選択。アイスは溶けかけが旬。少し陽に当てて溶けかけをいただこう。


「えー? 普通に喋ってね? 知らん奴と」


「別にアイス食うのに知る知らないは関係ないだろ」


「いやいや、そうか?」


「そうだろ」




 また、ある日のこと。


 空がどっぷり灰色くて重たい雲に覆われた日はよく凍らせたラクトアイスをかじるに限る。良星は馴染みのコンビニでアイスの冷蔵ケース前に立っていた。そこは良星にとって特等席だ。


 そしてふと顔を上げれば、そこには見覚えのある長身の男子高校生。冷蔵ケースの向かい側もある意味アイスの特等席。キャメルカラーのブレザーに赤ネクタイ姿の彼は細長い腕を冷蔵ケースの中へとさまよわせていた。


「よう」


「やあ」


 どちらからとでもなく。普通に声を掛け合った何処の誰だか見知らぬ二人。ちらと顔を見合わせただけで、再びアイスの冷蔵ケースの海に深く潜る。アイスの海の潜水士たちは息継ぎに邪魔な言葉を必要としない。どのアイスに潜り付くか、大事なのはそれだけだ。


「こないだのよかったな」


「当然だ」


 長身の男子高校生がさらりと告げて、良星はすらりと受け流す。


「僕の番だな。こいつを試してみろよ」


 そのしなやかな指が指し示す先、良星もよく見知ったパッケージが冷気の底に沈んでいる。それは『チョコモナカジャンボ』と見えた。見間違いか? 良星はほんの少し首を傾げた。こんなど定番をオススメしてくるなんて。


「いいから」


 良星の心の揺らぎを見抜いたか、男子高校生はそのパッケージを一つサルベージした。


「冷凍庫でカチコチに冷やして、速攻トースターで三十秒だ」


 チョコモナカジャンボをトースターで焼く、だと?


 良星が顔を上げると、そこにはすでにチョコモナカジャンボを手にレジに向かっている彼の背中だけが見えた。冷蔵ケースの海に潜っている良星にとって、そこはもう言葉も届かない陸地の果てだった。


 チョコモナカジャンボをトースターで焼く。それも三十秒だけ。まるで人類未到の地のような世界が待っているのか。




 その晩の風呂上がり。良星はトースターの前から動かなかった。いや、動けなかった。


「で、その子はイケメンなの?」


 姉がしゃしゃり出て良星のカウントダウンを邪魔する。頼むからあと二十秒話しかけないでくれ。良星は姉の声を聞こえないふりした。


「そんな見ず知らずの子の言うこと真に受けてあんたバカじゃないの?」


「見ず知らずの奴じゃねえよ。あいつはアイス仲間だ」


 名前も知らない間柄だが、良星にはわかる。あいつとアイスを語り合う時間など要らない。お互いがオススメするアイスを食えば、すべてが理解できる戦友ともとなれる。


「モナカをトースターで焼くのはマニアを通り越した奴らの領域よね」


「姉ちゃん、知ってたのか?」


 きっちり三十秒後、赤く唸り続けるトースターからアイスの身体を引き摺り出した。


 軽く熱を帯びたモナカ生地を手にした瞬間に悟った。こいつはすでに良星の知っている『チョコモナカジャンボ』じゃない。アイスの海に新種発見だ。


「知ってるってわけじゃないけど、人から聞いただけよ。三十秒で世界は変わるって」


 パキッ。今まで聴いたこともないサクサク音を響かせて、良星はアイスを半分に割った。いい音立てる。これは姉にも味合わせてやる必要がある。お風呂上がりのアイスタイムどころじゃない。検証実験だ。




 そして、また別の日。


 良星がいつものように冷蔵ケースの前に陣取ってじっくり品定めしている時に彼はやってきた。


「よう」


「おう」


 もはや顔を見合わせる必要もない。冷蔵ケース前の立ち振る舞いでわかる。


「モナカはトースターで四十秒だ」


 アイスは溶けかけが旬。三十秒では焼きが足りない。良星は彼の方を見もせずに言う。


「その十秒は譲れねえな。三十秒で世界は変わる」


 アイスに愛された男子高校生たちは、お互いに顔を見合わせることもなくアイスに向き合いアイス情報交換した。


「えっと、何を話してんの?」


 男子高校生の連れの女子が訝しげに声をかけた。二人の冷蔵ケース前のあまりにドライなやりとりにちょっとついていけそうにない。


「こいつのオススメに間違いはない。今日は何がいい?」


 良星はそこで初めてアイス仲間が彼女連れだということに気が付いた。なんだ。一人じゃないのか。じゃあ決まりだ。


「各コンビニに白くまはいるが、その実力はこいつが抜きん出ている」


 『練乳の味わい 白くま』を推す良星。その場にいる三人の視線が冷蔵ケースの白くまに集中する。


「でかいし、高いし、あえて避けてたな」


「だからこそ二人の時に食うべきアイスだ」


「たしかに」


 その一言で充分だ。男子高校生は迷うことなく白くまのカップを手に取り、それ以上言葉を交わすこともなくレジに向かった。


 二人で一つの『白くま』を分け合う。アイスを食う者にとってのある意味理想形でもある。


 次に会った時、あいつは何をオススメしてくれるのか。今から期待できるじゃないか。良星は冷蔵ケースに集中した。


 連れの女子高校生も、えっもういいの? と戸惑いを隠せずきょろきょろ二人のアイス男を見交わす。こいつはまだ冷蔵ケースに向き合ってるし、彼氏はもうレジで支払いをしてるし。


「えっと、またね」


 その声は、良星もよく聞く声だった。


 ようやく顔を上げると、そこには困惑気味の姉の顔があった。




 その晩のこと。


 風呂上がり、良星はチョコモナカジャンボをトースターに投入した。さて、今日は何秒焼こうか。


 ふと、背後に姉の気配。冷蔵庫を開ける音とともに姉の静かな声がする。


「三十秒で世界は変わるって言ったでしょ」


「姉ちゃん、あいつと付き合ってんの?」


 トースターの焼き時間ダイアルに手をかける。


「さあね。あんたたちこそどういう関係?」


「さあな。チョコモナカジャンボ半分食う?」


 三十秒。トースターはまだ鳴らない。


「いらない。白くま半分も食べたから」


 良星は、姉と戦友ともとを同時に失った気がした。


 四十秒。トースターは不器用にチンと鳴った。

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