番外編 Sweet Emotion
「なぁ、アンドウさん、『リュクス』ってバーのことを知ってるか?」
カフェの中、赤毛を短髪にし、目が緑色の男が、向かいの席に座っている男に話しかけた。
「『リュクス』?ドウジマ君、その名前、どこで聞いたの?」
アンドウ=ケンジは向かいの男に聞いた。
「俺の方でも色々調べてたんだ。でも、昨夜行ったら、閉店になっていた」
「そうなの…」
ケンジは失望混じりに返した。
「…アンドウさん、悪いことは言わない。伊原家に関わらないほうがいい」
ドウジマと呼ばれた男は、心配そうに話した。
「ドウジマ君としては、そう言うしかないんだろうね。だけどね、僕は知りたいんだよ。ここマッドシティで、何が起こってるのか、そして伊原家がどう関わってるのか。
「だいいち、ドウジマ君と仕事の上で知り合った時点で、充分危ない」
「アンドウさん…」
アンドウ=ケンジという男は、根っからのジャーナリストなのだ。だから、危険を顧みず、真相を暴こうとするのだろう。
「わかりました。俺もできる限り、協力します」
「そう言ってくれてありがたいよ。僕も、足引っ張らないように気をつけるね」
二人は席を立ち、カフェを後にした。
ドウジマ=ライキは、ある目的でマッドシティにやってきた。
目的を果たすために、マッドシティを独自調査していたのだが、ケンジと知り合ったのはその時である。
ライキは今日もまた、夜のマッドシティをさまよっていた。あてがないわけではない。『スロートバイト』の取引の情報を聞きつけたからである。
「スロートバイト……キメた時、喉に噛みつきたくなるからその名がついたっていうけど…」
ライキはスロートバイトについて考えていたが、その考え事は、すぐ終わった。なぜならば、路地裏に入ったところで、声をかけられたからだ。
「よう、兄ちゃん。そんなところに突っ立ってると邪魔だぜ?」
声をかけてきたのは、スキンヘッドの大柄な男だった。
「ああ、すみません」
ライキは頭を下げながら、男の方に近づいた。
「まあ、この辺は治安が悪いからな。気をつけろや」
男はそれだけ言って、去っていった。
「さっきの男、ちょっとヤバい感じがするな……。あの辺りを調べてみるか」
ライキは先程の男を追っていった。すると、男は一軒の建物に入っていくところであった。
ライキもそれに続いて入っていった。
「ここは……」
そこは、倉庫のような場所であった。
「おい!お前ら!」
突然、大声で誰かを呼ぶ声が聞こえた。ライキはそちらを見た。そこには、数人の男女がいた。いずれも若く、二十代前半といった風貌である。
(これは……)
ライキはこの光景を見て、確信を得た。やはり、ここで何かが行われているのだ。
「おい、そいつを捕まえろ!」
また別の男が指示を出した。指示を受けた者たちが、一斉に動き出した。
ライキはその場から離れようとしたが、遅かった。
「やるしかないのか」
ライキは覚悟を決め、戦闘態勢をとった。
しかし、このとき、妙なことが起こった。ライキに挑みかかってきたものが、突如、爆散四散したのだ。その場にいたもの達は何事かと立ちすくみ、辺りを見回したが、次々と爆散四散していった。
「ひえぇぇぇぇ」
生き残った男が倉庫を出ようとしたが、何故か、急に立ち止まり、まるで引きずられるように後ろに下がりながら倉庫を出た。
ライキは、一連の出来事を、ただ呆然と見ていた。
***
ジェイは男を引きずりながら、アサトの元にやってきた。
「ヴァンパイアの近くにいたから、連れてきた」
「そうか、ではそいつを車に乗せろ」
ウラトは、あくまでもヴァンパイア退治専用としてジェイを運用していた。人間が近くにいる場合は、関係者として情報を聞き出すために、ウラトの元に連れていけと命じたのである。
「そういえば、先ほど、妙な者にあった」
「お前が妙というか。それはいい、どんな奴だ?」
「人間と腐った臭いが混じっていた」
「腐った臭いとはなんだ」
「ヴァンパイアは死臭がするんだ」
どうやら、ジェイはヴァンパイアを臭いで感じ取っているらしい。それにしても、死臭とは、アサトはつい顔が引きつってしまった。
「…で、そいつの特徴は?」
「赤毛で、目は緑色。背は私よりも少し高かったかな、誤差の範囲内だが」
「もしかして……とにかく、ウラト様に報告しよう」
ジェイとアサトは車に乗り、その場を後にした。
***
「アンドウさん、実は昨夜、妙なことが起こりまして―」
ライキは、ケンジが使っているホテルの一室に来ていた。
「人体爆破?」
「はい」
ケンジはライキのことをまじまじと見た。
「僕としては、ドウジマ君が無事でよかった」
ケンジはほっとしたように、一息ついた。
「俺はいいんです。危ないのはアンドウさんです」
「どうして?」
「もしかしたら、爆破させてるの、伊原の方かもしれないじゃないですか」
「成程ねえ」
ケンジは、しばし考え込んだ。
「でもさ、それって確信に近づいてるのかもしれないよ。ドウジマ君だって、もしかしたら、伊原に会えるかもしれないし」
「ですが…」
「僕のことはいいのいいの。まぁ、仕事が完成しないうちに死ぬのは流石に不本意だけど…」
「でも、俺のせいで死ぬとか、そっちの方が嫌です」
「そんなこと気にしない。僕は僕のためにやってることだからね」
ああ、この人は本当にジャーナリストなんだ、ライキは何も言えなくなってしまった。
***
ライキは住んでいるアパートに帰ってきた。玄関を開けようと、鍵を外そうとしたのだが、鍵はかかっていなかった。
「空き巣か?」
ライキは恐る恐る玄関の戸を開けた。なんと、部屋には見知らぬ男が二人いるではないか。
「いなかったから、ここで待っていた」
「勝手にひとん家に入るんじゃねぇ!」
待っていたというアサトに対し、ライキは怒鳴りつけた。
「だいたい、どうやって入ったんだ!」
「鍵を作ってもらったんだ。この家の鍵は作りが簡単だから、複製もたやすい。防犯上、それは実にまずい」
アサトは淡々と答えた。
「…ところでお前らは何者だ」
気を取り直し、ライキはアサトに尋ねた。
「私はイハラ=ウラト様の使いの者だ」
それを聞いたライキは身構えた。
「伊原か!俺になんの用があるってんだ」
「用があるのは、ライキ、君の方では?」
アサトはライキを見据えた。
「…お前、イハラ=ウラトの使いだと言ってたな……」
ライキはアサトを睨みつけた。
「そこに立ちっぱなしなのも、あれだ。ここに来て座るといい。お菓子も持ってきた」
「ここは俺の家だ!指図すんじゃねぇ!」
ライキは喚きながらも、アサトに促されるまま、向かい合うように渋々と腰かけた。
「ライキ、ウラト様になんの用があるんだ?」
アサトは質問を続けた。
「…お前となんの関係があるんだよ…」
「それでは困るな。理由がないと会わせられない」
「おい、俺とウラトがどういう関係か、わかってて言ってるんだよな?」
ライキは苛立っていた。
「わかっている。ただ、昨夜のことを思い返してくれたらわかると思うが、今は、危うい状況だ。だから、尚のこと、ウラト様は、君を巻き込みたくないという考えだ」
「なんだよそれ。俺だって半分だけどヴァンパイアだ。無関係でいられるかってんだ。だいいち、俺は、イハラ=ウラトの息子なんだぞ」
ライキは吐き捨てるように言った。
「あと、もうひとつ、気になってることがあるんだが…」
ライキはアサトの隣にいるジェイに目を向けた。
「テーブルの矢切の渡りをガン見してる、こいつは何者だ…つか、なんでガン見してるんだ」
「それは私が『これはライキに買ってきたものだから、ライキが食べるまでは食べるな』と言ったからだろう」
「え?なに?そんなに食いたいの?てか、何しに来たんだ、お前」
先ほどからずっと卓においてある矢切の渡りを凝視しているジェイを見て、ライキは戸惑いを隠せなかった。
「私がジェイを連れて来たのは、昨夜の出来事の説明をしたかったからだ」
「こいつ、関係あるの?」
ライキは困惑気味に尋ねた。
「私達はウラト様の命でヴァンパイアを始末するために動いている」
「ちょっと待てよ、それじゃ、仲間割れじゃ…」
「マッドシティで蠢いてる輩は、我々とは関係ない。ウラト様は今までも闇に紛れて上手くやってきたのだ。安寧を乱すものは許されない」
「……もしかして、人体爆破はこいつの仕業?」
ライキは改めてジェイに目を向けた。そのとき、ジェイと目が合った。ジェイはライキの目を見て離さなかった。
「食べていいよ!どんだけ食いたかったんだお前!」
ライキから許しを得たジェイは、矢切の渡りを手に取って包みを開けて食べた。
「改めて聞くけど、人体爆破はこいつの仕業なのか?」
ライキは仕切り直し、アサトに再度尋ねた。
「そうだ」
「…『リュクス』が閉店になったのも、こいつの仕業?」
「そうだ」
「マジか」
困惑混じりの表情で、再度、ジェイの方を見た。ジェイは黙々と矢切の渡りを食べていた。
「ところで、なんであの時、俺はこいつの存在に気が付かなかったんだろう?」
「『認識阻害』だ。ジェイは風景の一部になることができるんだ。実際に見えていても、風景として溶け込んでいるから、人物として認識出来ないという訳だ」
「はぁ」
ライキは横目でジェイを見た。人体爆破に認識阻害か、だがライキには、ただ黙々と矢切の渡りを食べている、ちょっと抜けた奴にしか見えなかった。
「ところで、なんで今、俺は見えてる、というか認識できてるの」
「ジェイの認識阻害はかける相手が選べるんだ」
「成程。なんで、見えるようにしたの」
「何かあったとき、見えてた方がいいだろう」
「何かあったとき、ねぇ…」
あえて認識阻害を解いているのは、少なくともウラトには自分に対して敵意はないということか、とライキは考えた。
「話は以上だ。邪魔をしたな」
アサトは席を立った。
「邪魔をしたなって、勝手にひとん家に上がってそれはねぇだろ!」
「そうだ、最後に、連絡先の交換でもするか」
アサトは思い出したかのように、スマホを取り出した。
「連絡先、教えてくれるのか…」
「ウラト様は、別に会いたくないと言っているわけではないからな」
ライキは釈然としなかったが、折角の機会だ、これを逃すまいと、スマホに連絡先を入れた。
ライキは卓の方をチラッと見た。矢切の渡りは全部なくなっていた。
「お前、全部食べたのか…」
ライキは呆れた様子でジェイに話しかけた。
「食べていいと言ったから食べたんだ。残せとは言ってない」
「全部食べていいって言ってねーよ!あと、喋れんのかお前!」
ライキは思わず声を上げた。
「まあ落ち着け、ライキ。また買ってくるさ」
「もう二度と来るな!」
ジェイとアサトが部屋から出る前に、アサトはライキに言い含めるようにこういった。
「近頃のマッドシティで起こってる事件で、伊原家が動いている、ということは他言無用だ。わかったか?」
二人を見送ったライキは、ここを出る前に言ったアサトの「他言無用だ」を思い返していた。
吸血鬼に福音を 奈々野圭 @nananokei
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