*14* 添い寝

 漆黒の空。しめやかな上弦の月に、八重桜が寄り添う。

 数百年ぶりに蔵を抜け出し、はじめてむかえる夜だった。


 十二畳一間に、敷かれた布団は一組。

 絹の寝間着に着替え、あとは床につくだけの鼓御前つづみごぜんではあったが、極上の羽毛布団の上へ座り込み、とほうに暮れていた。


「困ったわ……どうしたらいいのかしら」


 寝支度の際、「ご用がありましたら、いつでもなんでもお申しつけを!」とひながはりきっていた。

 けれど『困ったこと』をつたえたところで、今度はひなを困らせてしまうことになるだろう。

 だからこそ、ひとり悶々と頭を悩ませていた鼓御前もついにはたまりかね、腰を上げる。

 そろり、そろりと膝立ちで移動し、ふすまのそばまでやってきた。


「あの……もし。おやすみでしょうか? ととさま……」


 ひかえめな問いに、返答はない。

 しょんぼりと肩を落とした鼓御前が、布団へもどろうとしたときだった。

 ふすまがひらかれ、鳶色の髪に紫水晶の瞳をした少年が、すがたを現した。


「どうした」


 桐弥きりやは紺の寝間着すがただった。

 ふいをつかれたこと、申しわけなさも相まって、慌てふためいてしまう。


「あっ、お、起こしてしまいましたか? ごめんなさい、その……」


「眠れないのか」


「うぅ……!」


 早々に図星をつかれた。

 しまいには羞恥にほほを染め、かかえた枕へ顔をうずめてしまった鼓御前を、思慮深い紫の双眸がとらえる。


「来い」


 起伏に乏しい、たったひと言。

 だけれど、思いがけないその言葉に、はじかれたかのごとく顔を上げる鼓御前であった。



  *  *  *



 人の身を得た刀の付喪神、目覚めたばかりの御刀おかたなさまは、神気が不安定だ。

 万が一にそなえ、手入れ師のかんなぎを控えさせておくことが、『典薬寮てんやくりょう』の意向らしかった。

 もっとも、その肝心な人材選出を議論する前に、さっさと桐弥が駆けつけたわけなのだが。


「眠れない原因に心当たりは? 神気の異常か」


「それが、よくわからないのです……どこか痛いとか、おかしいところはないように思うのですが……でも」


「でも?」


「なんだか、ここがざわざわして……落ち着かないんです」


 そういって自身の胸もとへ手を当てた鼓御前は、ひどく不安げな表情だ。まるで心細くて泣きそうな、幼子のように。


「……なるほどな。こっちで横になれ」


「えっ、原因がおわかりになったのですか? それに、そちらは父さまのお布団ではっ!?」


「いいから横になれ」


 気後れから後ずさる前に、かかえていた枕を取り上げられてしまう。

 じぶんの枕を布団の外へ追いやった桐弥が、かわりに鼓御前の枕を置く。

 ここに来い、ということなのだろう。


「失礼、いたします……」


 うながされるまま、おずおずと身を横たえる。

 枕へ頭をのせると、肩まで布団をかけられた。

 そっと天井から視線をはずせば、布団の脇で正座をした桐弥が、右手を引くところだった。


「父さまは、おやすみになられないのですか?」


「布団がひとつしかないからな」


「? 枕はふたつ並べられそうですが……?」


 きょとんと首をかしげる鼓御前の疑問に、それまでぴくりとも動じなかった桐弥のほほの筋肉が引きつる。

 要するに、添い寝をしてほしいということだ。鼓御前にそのつもりがなかったとしても。

 鼓御前も戸惑っていた。葵葉あおば千菊ちあきはふれようとしてくるのに、桐弥はまったく逆の反応をするからだ。

 現に、ここまで会話を交わしたなかで、桐弥が鼓御前にふれたことは一度もなかった。

 それが無性に、さびしい、と思う。


「ごめんなさい……わたし、人のことはよくわからなくて……『眠る』というのも、赤子でさえできる、当たり前のことだときいています……そんな簡単なこともできずに、幻滅、なされましたよね……」


 情けないことだとは思いながら、右手を伸ばし、紺の袖をつかむ。そうしてすがらなければ、心細くて、不安で、さびしくて、どうにかなってしまいそうだった。

 じんわりと潤む鼓御前の瞳を目にしたとたん、やかましかった桐弥の鼓動が凪ぐ。思考を鈍らせていた霧が、晴れるようだ。


 ──この子はただ、だれかにそばにいてほしかっただけなのだ。


 思えば当然のことだった。こんなことすらわからずに、と桐弥は胸中で自嘲する。

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