*13* 黒に染まる

「ふふ、餌付けされている雛鳥みたいで、可愛いですねぇ」


 お茶菓子を食べさせるという役目を終えた右手は、菓子楊枝を置くなり、鼓御前つづみごぜんの脳天へふれる。


「上手に食べられましたね。よくできました」


「あるじさまにほめていただけて、は嬉しゅうございます」


『つづ』というのは、蘭雪らんせつが時おり口にしていた、鼓御前の愛称だ。

 蘭雪は眠るときでさえ、枕もとに鼓御前をそば置き、片時も離そうとはしなかった。

 そんなあるじが、鼓御前もだいすきだった。


「つづ──いいえ、鼓御前。私は今世の名を、立花たちばな千菊ちあきと、そのようにいいます」


「立花、千菊さま……」


 そっと言霊にすれば、ぽう……と胸に熱が灯る。

 つい一瞬前とは段違いに、彼の存在を感じることができる。

 より強固に、えにしがつむがれたのだ。


「『立花千菊』はきみのあるじではありませんが、また、仲良くしてくれますか?」


「もちろんにございます……っ!」


「千両役者のお涙頂戴芝居に拍手喝采だな。んで、に来たんだろ。さっさと用件を言ったらどうだ」


 放っておけばいつまででも感動の抱擁を交わしているだろうと容易に想像できたので、そうはさせるかと声をあげる葵葉あおば

 人の身の利点は、嫉妬を直接ぶつけられることだ。

 皮肉まじりの矛先を向けられた青年──蘭雪あらため千菊は、「おやおや」と肩をすくめてみせる。その面持ちこそ、にこやかなままだが。


「まわりくどい前置きはいい。端的にお聞かせねがおうか、立花神使しんし。〝ヤスミ〟よりも稀有で化け物な特級のかんなぎであるあんたが、わざわざ出てきた理由。お上の意向とやらをな」


 淡々と言い放つ桐弥きりやのひと言が、追い討ちだった。


「では簡単に説明しますと、『典薬寮てんやくりょう』はいま、大混乱に陥っています。だいじにだいじにお祀りしてきた御刀さまが、と契りを交わしてしまいましたからね」


「それなら、俺を消すか?」


「まさか。私たちは正義の味方であって悪の組織ではありませんから、そんな手荒なことはしません」


「へぇ、で?」


「要はきみが、というわけです。なので、はい」


 千菊がほほ笑みを浮かべたまま、腰を浮かせた直後。


 トンッ──……


「なっ……」


 見ひらかれる常磐ときわ色の双眸。

 何が起こったのかも理解できないうちに、背を反らした葵葉は、畳へくずれ落ちた。


「葵葉!」


「心配はいりません。気絶させただけです。相変わらず、わんぱくな子ですからね」


 的確に延髄へ手刀を落とした千菊は、そういって反対の腕で、意識のない葵葉を受け止めてみせる。

 どれほど反感をあらわにされようと、葵葉を見つめる千菊のまなざしは、親愛に満ちあふれていた。

青葉時雨あおばしぐれ』もまた、蘭雪の刀に違いはないのだ。


「ちゃんとお話をしたいので、この子は『典薬寮』へ連れ帰ります」


「御刀さまはいいのか」


「そうですねぇ。まだお目覚めになったばかりで人の身にも不慣れでしょうが、凄腕の手入れ師さんがそばにいらっしゃるようですから、大丈夫でしょう。そうですよね、九条くじょう一級神使?」


「……いいだろう」


 千菊の言葉を受け、桐弥はおのれの役目を心得たらしかった。


「それでは、夜道もこわいですし、そろそろおいとまします」


「あのっ、あるじさま……千菊さま!」


 鼓御前はとっさに声を張り、軽々と葵葉をかかえ上げた千菊を呼び止める。が、返ってきたのは、やさしくなだめるようなまなざしだ。


「私だって、きみと離れるのはつらいです、さびしいです。でも、また明日会えます」


「……ほんとうに?」


「もちろん。明日も、明後日も。だから、すこしだけがまんできますね?」


「……はい、がまん、できます」


 離れがたかったけれども、これ以上袖を引くことは、千菊の望むところではないと理解できた。


「いい子。じゃあ、またね」


 ことさらおだやかにほほ笑まれたなら、にぎりしめた漆黒の袖を、手放すほかない。


 日が落ち、夜が深まる。

 黒き衣をひるがえし、闇へ身を溶け込ませる青年の後ろ姿を、鼓御前はいつまでもいつまでも、見つめていた。

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