*12* 鳴神将軍

 逢魔おうまとき

 黄昏とともにやってきた人影へ対し、座布団に胡座をかいた葵葉あおばがちいさく舌打ちをもらす。

 他方で、竜頭の面をつけた青年はとくに不快に思うでもなく、真白い足袋で颯爽と畳のふちをまたいだ。


「今日というこの日にお会いできましたことを、こころよりお喜び申し上げます、御刀おかたなさま。ご挨拶が遅れましたね、私は──」


「いまさら白々しい口上はよせよ」


 流れる所作でひざを折った青年ではあるが、葵葉に語尾をさえぎられ、一瞬の沈黙。

 そう、名乗られるまでもない。名を聞かずとも青年がいったい誰なのか、葵葉と同様に鼓御前つづみごぜんも悟っていた。

 そして桐弥きりやもまた、とたんにむすめの視線を奪った青年の存在を、紫水晶の瞳で細く切り取る。


「……お顔を、拝見しても?」


 確信を胸に問うた鼓御前の目前で、ひざをついた青年が、素顔をかくすものへ手をかける。

 後頭でむすばれていた紐がするりとほどかれ、あらわになる白橡しろつるばみの髪に、透きとおる青玉の瞳。

 物々しい竜頭の面を音もなく畳へ置いた青年は、柔和な顔立ちの美丈夫であった。


「わたしがかつてお仕えしていたあるじさまも、草花を愛し、花のごとくほほ笑まれるお方でした。ですが同時に、戦乱の世を駆けるつわもの。いくさへ赴かれる際、こうはいつも恐ろしい竜の面で、お美しい素顔をおかくしになっておいででした」


 敵に侮られてはならぬと。


 一騎当千の猛者が、憤怒の表情で睨みつける竜の面をつけ、戦場で猛威をふるうとどうなるか。


 ──鳴神将軍。

 かの人在るところ、竜の怒り在り。


 敵も味方も、彼を知るすべての武者が、畏れ、称えた。


「そうでございましょう……蘭雪らんせつ公?」


 何百年もの月日が流れ、かつてとは姿かたちが変わってしまっているかもしれないけれど、輪廻転生を経たとしても、その魂を、見まごうはずがない。

 ため息のような鼓御前の問いを受けた美青年が、まなじりを下げ、かたちのいい唇をほころばせた。


「ばれてしまいましたか」


「当然ですわ。敬愛申し上げるあなたさまを、見間違うはずがありませんもの……!」


 鼓御前は右手をさまよわせ、うわ言のごとくくり返した末に、感極まって両の目から熱をあふれさせる。


「蘭雪さま……あるじさま、あるじさま……っ!」


「おっと」


 泣き崩れる華奢な少女のからだを、青年のしなやかな腕が抱きとめた。


「あなたさまの鼓御前でございます、あるじさま……!」


 はらはら。とめどない涙でほほを濡らしながら、鼓御前は夢中でくり返す。

 そっと抱き返してくれる青年が、たちまちに、世界の中心となった。



  *  *  *


 

 人間と付喪神。

 その力関係は、いうまでもなく一目瞭然である。


 恭しく花房はなぶさを垂らす藤の苔玉が飾られた床の間側に、鼓御前の座布団は用意された。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ」


「ありがとうございます、ひなさん」


「美味しそうなお茶菓子ですね。ありがとう」


 盆をかかえたひなが、にこりと愛嬌のある笑みを見せ、湯呑みと桜の練切りを二組並べ置く。

 同様に、鼓御前と向かい合うふたりの少年たちへも茶を運び終えると、会釈を残し、しずしずと退室した。


 客間は静けさにつつまれ、どうにも落ち着かない鼓御前は、そっと正面へ視線を向けた。

 向かって右手側から、無表情で押し黙る鳶色の髪の少年、ぶすっと不満を隠しもせず、そっぽを向いた黒髪の少年という並びだ。

 諸々あって、このように落ち着いたのだが、もっと違う配置はなかったのだろうか。


「あのう……このお茶とお菓子は、どうすればいいのでしょうか?」


 いたたまれず、おずおずと挙手をする。

 険悪な少年らへ話題の提供もかねていたが、膠着状態は相も変わらず。鼓御前の左隣に腰をおろした青年が、見かねて応じる。


「目にするのは、はじめて?」


「はい……口に入れるもの、というのはわかるのですが」


 単なる鋼の塊でしかなかった頃、人間たちが『食事』をする光景をながめていたことを、記憶の奥底から掘り起こす。

 いのちを繋ぐために必要なこと。息をするように当たり前におこなうこと。

 しかしながら、刀の付喪神であるさががまだ色濃い鼓御前にとって、は当たり前ではなかった。


「大丈夫、緊張することはありませんよ。熱いお茶は、すこし冷ましましょうか」


 ふー、と息を吹きかけて湯気を飛ばした湯呑みを差し出され、両手で包み込むようにして口をつける。


「お茶菓子も食べやすいように切り分けましたから、はい、どうそ」


 菓子楊枝でさらに半分にされた桜の花びらの練切りが、口もとへそえられる。

 茶同様、言われるがままにぱく、と口に含んだ鼓御前は、何度か奥歯ですり潰したのち、咽頭の奥へ落とし込んだ。


「どうですか?」


「お茶は、ほわほわして……お菓子は、ふわふわします」


「美味しかったんですね。よかった」


「おいしい……これが『美味しい』ですか」


 言われてみれば、すうすうしていた腹のすきまに、嚥下したものがすとんと落ち込むような感覚がする。これが『腹が満たされる感覚』なのだろうか。


「もっと食べてもいいんですよ?」


「いただきます」


 手ずから食べさせる甲斐甲斐しい世話は、練切りがなくなるまで続いた。

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