*15* ばかげたおとぎ話

「子守りは得意じゃない」


「え……」


「……べつに邪険にしているわけではなく、おまえが望むようなことはしてやれないかもしれない、という意味だ」


 前世でも人付き合いは不得手だった。どうにもじぶんは、言わんでもいいことまで言ってしまう性分らしい。他人のこころがわからなかった。

 必然として妻をむかえることはなく、子ももうけなかった。だが。


「いいんです。わたしは、ととさまがいらっしゃるだけで、いいんです。だって……ひとりのときよりずっと、あたたかいですもの」


 ふれることを躊躇していた右手の甲に、華奢な指がふれ。

 かと思えば、ぐっと上体を起こす鼓御前つづみごぜん


「……んっ」


 吐息が、唇にふれる。

 やわらかいぬくもりだった。蕾がほころんだように、花の甘い香りに鼻腔をくすぐられたような錯覚さえおぼえる。

 なにが起きたのか瞬時に理解できなかった桐弥きりやは、しばしまばたきと呼吸の方法を失念した。


「ととさまぁ……んっ……ん」


 首に細腕がまわされ、甘えた声のあいまに、ちう、ちう、と小鳥がついばむようなふれあいを唇に感じる。

 口づけをされている。だれに? 鼓御前に。


「なにをしているっ!」


 とたん、声を荒らげて引き剥がしにかかった桐弥の剣幕に、鼓御前はわしづかまれた肩をびくつかせる。


「あっ……口づけは、だいすきなかぞくとするものだときいたので、つい……」


「は?」


「あぁでも、葵葉あおば以外とはしないって約束、破ってしまいました……どうしましょう、わたしはいけない姉だわ……でもでも、父さまも、わたしのだいじなかぞくですし……」


「あの糞餓鬼が……」


 軽くと言わず殺意がわいた。が、涙目でふるえる鼓御前を放り出してまですることではないので、くびり殺すのはつぎに会ったときだ。


「いいか、よく聞け。おまえはうそを教えられた。は、かぞくとすることじゃない」


「えぇっ……うそ、だったのですか……!」


「好き合う者どうしがすることではあるが、むやみやたらと、人目もはばからずすることではない。慎みをもて」


「承知いたしました、肝に銘じます。葵葉には、うそをついたお説教をしますね……!」


「わかったならいい。もどれ」


「はい!」


 これでひとまずは安心か。ため息まじりに布団を指させば、元気に返事をした鼓御前がもとの位置にもどり、掛け布団をかぶる。

 それからふと、ばつが悪そうに眉を下げた。


「きらいに、なられましたか……? 無知ゆえのご無礼をおゆるしくださいませ、父さま……」


 うるうる、と見上げられ、今度はべつの意味で頭をかかえる。


「……ばかを言え。おまえは僕のむすめだ。子をきらう親があるか」


 おのれにとって唯一。

 特別な存在かぞくになら、たまにはおしゃべりになるのも一興だろう。

 これから話すのは、どこにでもあるような寝物語だ。


九条くじょう紫榮しえいは、もういない」


「それはもう、刀をお打ちにならない、ということですか?」


「そうだ。……そもそも僕は、いくさへ行かせるために、こどもつくったんじゃない」

 

 まつげを伏せた桐弥は、鼓御前のほほにかかる黒の艶髪を、指先で耳裏へ流した。


「箱入りむすめのまま、手放すつもりはなかった……なのにおまえは、ある日突然かどわかされたんだ。磨上すりあげられてしまったおまえは、おぼえていないことだろうがな、天鼓てんこ


 おのれはかつて、『天鼓丸』という名だった。

 何者かにかどわかされ、磨上げられ、刻まれたその銘をも削られてしまった鼓御前にとって、よく思い出せないおぼろげな記憶。


 犯人は蘭雪らんせつ公ではない。

 紫榮が生きていたのは平安の世であり、『鼓御前』のあるじは戦国時代に名をはせた猛将だからだ。


「そしていま、強欲なやからが、懲りずにおまえを我がものにしようとたくらんでいる」


「それは……葵葉のことですか?」


「あの青二才だけで済む話であるものか。立場をわきまえん小僧どもが、また僕からおまえを奪おうとしている。考えただけで虫唾がはしる」


 蝶よ花よと愛でていたくせに、あっけなく奪われてしまった滑稽な話。

 これはそう、どこにでもいるようなばかな男の物語。だが。


「くり返さない」


 ばかげたおとぎ話も、ここまでだ。


「やってやるさ。僕のものを取りもどすためなら、なんだってね」


「父さま……」


 するり、と鼓御前のほほをなでた桐弥が、ふいに腰をかがめ、ひたいへ唇を押し当てた。


「よそ見をするな。思い出せ。おまえは僕のものだ。在るべきところにもどってこい」


 唇と唇をあわせることが『好き合う者どうしのする行為』であるなら、桐弥の行動は、この行為には、なんの意味があるのだろう。


(……わからないわ)


 けれど、不快ではない。むしろ──


「おまえは僕のものだ、天鼓丸──てん


 うわ言のようにくり返す桐弥に痛いほど抱きしめられ、いつしか、布団のなかで密着する。

 とくとく、と桐弥の胸もとからきこえる心音はすこし駆け足だけれど、不思議と心地よい。


「……『天』は、あなたさまだけのものですわ、父さま」


 無意識のうちに言葉をもらすと、からだを絡めとった腕が、ふっと弛緩する。


「……僕が、守る」


 そのつぶやきを最後にして、沈黙する桐弥。

 動くもののない月夜は相変わらずだったけれど、もう心細くはなかった。

 だって鼓御前は、もう独りではないのだから。


「だいすきです、父さま」


 髪を梳かれるくすぐったさに目を細め、桐弥の胸へすり寄る。

 規則正しい心音を間近に感じるうちに、ふわふわとした不思議な感覚になる。


「……すぅ」


 ぬくもりにつつまれた鼓御前は、やがて、はるか夢路の彼方へと旅立っていった。

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