*9* 手入れ師

 髭を垂らし、カッと金眼を剥いた竜頭の面。

 顔の上部を覆い隠したそれのせいで、素顔がうかがえない。

 わかるのは、唯一あらわになった口もとが、やさしげなほほ笑みを浮かべていることだけ。


「──鼓御前つづみごぜん


 かたちのいい唇がそっと寄せられ、鼓御前の桃色のそれを、やわく食んだ。


「ふぁっ……」


 口づけをされた拍子にうすくひらいたすきまから、ふっ……と呼気を吹き込まれる。

 とたん、全身を満たすものを感じた鼓御前は、四肢を弛緩しかんさせた。

 脱力した少女の華奢なからだを、竜頭面の若者はしかと抱き直す。


「〝ヤスミ〟を祓ったとき、御刀おかたなさまは神気を消費するだけでなく、穢れを受けます」


 おもむろにつむがれた言葉によって、呆けていた葵葉あおばの意識が引きもどされる。

 常磐ときわ色の瞳をキッと細め、自身のはるか頭上、郵便局の屋根で漆黒の狩衣をなびかせている若者をにらみつけた。


「……あねさまを、はなせ」


「応急処置をほどこしましたが、きちんとした『御手入おていれ』が必要です」


「はなせと言っている!」


「神社にお戻りを。『典薬寮てんやくりょう』より、専門の者を遣わせます。こちらにも、じきに事後処理班が到着いたしますので」


 いくら声を荒らげようとも、竜頭面の若者は落ち着きをくずさない。

 葵葉は唇を噛む。普段ならさらに食い下がり、吠えているところだろうに、それができない。なぜなら。


「聡明なきみなら、私の言うことを聞けますね? 


 反論は、できなかった。

 彼とは面識がない。

 だが、

 この魂が、


「なんで……なんであんたがここにいるんだよ、あるじ!」


 答えはない。独り取り残された静けさに、悲痛な声がひびくばかりで。

 爪が食い込むほどこぶしをにぎりしめた葵葉は、ややあって、乱雑に浴衣の裾をひるがえした。



  *  *  *



ヤスミ〟の消滅を確認。

 任務に当たったかんなぎ1名が重傷。

 医療班および手入れ師は、ただちに急行せよ。


 その一報は、『典薬寮』の覡たちを震撼させた。


「手入れ師だって? 御刀さまになにがあったのか! ご容態は!?」


「確認中でございます! 医療班のみなさまは兎鞠とまり郵便局へ。手入れ師はこれより緊急招集を……」


「──必要ない」


 若者が慌ただしく行き交う広間にて。響きわたったひと言が、居合わせた覡たちに、呼吸の方法を失念させた。


「僕が行く」


 ほとんどの若者が、白衣びゃくえ浅葱あさぎ差袴さしこすがた。

 そのなかで鞄を片手に颯爽と闊歩する少年は、異様であった。

 少年の差袴は今紫いまむらさき。藤の白紋がほどこされている。


「余計な人員を寄越してみろ──殺すぞ」


 爛爛らんらんとぎらつく紫水晶の瞳。神職者とはとうてい思えぬ、鬼の形相。

 だれもが息を飲み、阿修羅のごとき少年の背が消えゆくのを見守った。


「……『沈黙の九条くじょう』が、みずから声を上げるとは」


 にわかには信じがたいけれども、事実として認めるほかない。

 彼──九条を超える手入れ師が、そうそういるはずがないことも。

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