第2話 天使と天使

かくして、私も一歳になるとともに人間界に送られた。とりつく人間は、予め永遠に生き続けるタイプの天使たちが決めておいてくれる。

私がとりついている人間は、名前を「未夕ミユウ」と言う。女だ。感情を人に見せない大人しいやつだが、実は心の中は荒れまくっている。好きな人と目が合えば大波が立ち、ライブで推しが手を振れば火山が噴火し、嫌いな人が目の前を通り過ぎれば地震が発生する。こんなに自然災害の多い心を持っているのに、表面上は凪のように穏やかで、よくもこれほどポーカーフェイスに過ごせるものだと感心する。人間は誰しもそうなのだろうか。


ああ、言ってなかったが、天使と悪魔というのは人間の心に直接ささやくので、人間の心の中のことはよくわかる。逆に天使と悪魔はお互いの心を読むことはできない。心の中に入り込む機会があれば、もしかすると可能になるのかもしれない。

しかしそうだな、もし悪魔の心の中が読めて、それが風景になって見えるとしたら、あの怖そうな見た目に反してコロコロした犬が柔らかな原っぱを駆け回ってるみたいな感じなのかな。私の心の中は、雨降ってカチコチに固まった地面みたいなのが広がっている感じだろうし、花畑があったとしてもよく見たら生命力の強いものしかいない、みたいになってそうだ。せめて空は晴れててほしい。


・・・


初めて未夕にささやいた言葉は、『おはようございます。』だった。未夕の四歳の誕生日を待って、ようやく初めてのささやきをした。その時隣にいた悪魔は『気持ちいいから、このまま二度寝しよう。』と言っていた。

それから毎日、未夕が何か選択を悩んだ時に、我々は両サイドからささやいた。右耳から左耳から、前から後ろから、上から下から。生きている間、ずっとこれが続いていく。

一歳半からとりついて、四歳になってようやくささやき始める、というと随分長い間待たされるもんだなと思うかもしれないが、ささやき始まってから終わるまでの方が随分長い。……何事もなく人間が生き延びればの話だが。


・・・


未夕が十歳の時、彼女の人生において二回目の恋に落ちた。いわゆる初恋は幼稚園の時で、弁当を一番丁寧に食べる男児が相手だった。弁当を一番丁寧に食べるだけあって、おもちゃを壊したり先生を殴ったりしない子だった。初恋というのは「恋」とカウントするには稚拙なものが多いが、未夕は比較的きちんとした恋をしていたように思う。少なくとも、かけっこが速いというだけでモテモテだった、駿くんを追いかけていた人々よりは。


二回目の相手は、小学四年生の時の同じクラスの男子で名前を「陽一」と言った。未夕はあだ名で「よっちゃん」と呼んでいた。よっちゃんは、クラスの話し合いや実験や調理実習の準備など仕切るのが上手で、しかも大変優しい。うさぎ小屋の前でうさぎを愛おしそうに眺めるよっちゃんの横顔を見たのがきっかけで、未夕はよっちゃんに惹かれていった。


よっちゃんは異性にモテるタイプではなかったが、眼鏡をかけている割に顔が整っているので多少ライバルがいた。その一人が、当時四番目くらいに仲の良かった女子だった。その女子の名前はもう忘れてしまったが、未夕が読んでいたあだ名が「くーちゃん」だから、私もそのように呼ぶ。


ある日、くーちゃんがよっちゃんを呼び止めているのを見つけた。未夕は、くーちゃんは告白しようとしているんだと分かった。未夕は薄々勘付いていたのだ。くーちゃんはよっちゃんのことが好きなのかもしれない、と。それが確信に変わり、よっちゃんを取られるかもしれないと思った瞬間、心の中に黒い雲が集まってきて渦を描きながら大きくなる。

私は咄嗟に『早くこの場を立ち去ろう』とささやいた。悪魔は『二人に声をかけよう』とささやいた。未夕は、悪魔の言った通りにした。


「よっちゃん、くーちゃん。何してるのー。」

くーちゃんが、ハッとした顔でこちらを見る。くーちゃんについている天使と悪魔もこちらを見る。我々が二人の、二人というか六人の空間に加わることで、その状況が大きく変化する。特にくーちゃんサイド三人の状況が。三人?一人と二体?一応天使と悪魔も人型をしているから、数え方は「人」でも良いような気がするな。


「なんにもしてないよ。今教室に帰るとこ。」

と答えるよっちゃんの横では、彼の天使が何かを理解した表情を浮かべる。悪魔はポケっとしていて、何も気がついていないようだ。


これは、思ったよりよくない状況になってしまったかもしれない。私は、くーちゃんの天使に向かって首を振る。人間界で他の人間についている天使と悪魔は直接話してはいけないから、ボディーランゲージでなんとかこちらの意図を伝えてみる。

くーちゃんの天使は、私に向かって頷く。ウンウン。よし、『『このままみんな一緒に教室に帰ろう。』』私とくーちゃんの天使は同時にささやく。


『いや、今言わないとダメだよ。せっかく呼び止めたんだもん。未夕ちゃんがいるからこそ告白するべきだ。未夕ちゃんもよっちゃんのこと好きなんだし、先に言えば譲ってくれそう。』

くーちゃんの悪魔のささやきが私まで聞こえてくる。何言ってんだ、あいつは。馬鹿か悪魔かなのか?そんなダイナミックに友情を破壊しに来なくても良いだろ。

こちらの悪魔は、少し考えて『くーちゃんとよっちゃんが教室に向かって歩き出したら、二人の間に割り込もう。』とささやく。こいつも何言ってんだ。

『いや、普通によっちゃんを間に挟んで横並びで帰ろう。』一応、こちらもささやいておく。

よっちゃんの天使と悪魔は何もささやいていない。様子見、ということだろう。いや、よっちゃんの中では「三人で教室に帰る」以外の選択肢が無く、そこに何の疑問も生じていないのである。だから、よっちゃんの天使と悪魔も特に何も言わない。


私はよっちゃんの天使と目を合わせる。目が合ったのを確認して、教室の方向に目を逸らす。なんとか今の空気が変わらないうちに、みんなで教室に戻る提案をしてくれ……!くーちゃんと未夕は、よっちゃんの言うことなら素直に聞くはずだから。今、よっちゃんがくーちゃんに告白されたら、君らよっちゃんの天使と悪魔も困るだろう。誠実な人がモテる時が一番ささやきづらいんだから。


『早く教室に戻りましょう。』よっちゃんの天使がささやく。よっちゃんの悪魔は、人間が迷っていないのにささやくとはどういうことだ?何が起きている?という顔をしている。悪魔はなんて鈍感なんだ。さぞかし甘やかされて生きてきたんだろう。悪いことを知らない奴はこれだから困る。

よっちゃんの悪魔は戸惑いつつも、『もう少しダラダラしようぜ〜』とささやく。こいつ、迷ったらとりあえず反対のことを言っておけばオッケーだと思ってそうだ。


よっちゃんは天使のいうことを聞いた。

「そろそろ教室戻ろうよ。みんな待たせちゃったら悪いから。」

「わかった」

「うん」

なんとか三人で仲良く教室まで戻った。人はなるべく修羅場を回避したいと思っているらしいが、天使もそうなのである。修羅場は特に、我々のささやきがいつもに増して大きな影響を及ぼすからだ。出来るなら平和に穏やかに生きていきたい。


人間界での天使同士のやりとりは、直接話し合いをしてはいけないから難しいものではあるのだが、なんとか表情やジェスチャーでなんとか上手く思いが通じることがある。察しのいい天使は好きだよ。

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天使と悪魔の議論が始まる時 斯波らく @raqu_f

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