天使と悪魔の議論が始まる時
斯波らく
第1話 天使
生まれた時、私は天使であった。赤子の可愛らしさを天使と表すことがあるが、そうではない。私は、天使として生まれた。生まれてから24時間は泣く事しかできなかった。48時間後には羽根を使って飛んだり、他の天使の言っている意味が理解できるようになる。三日目には二足歩行を覚えるのと発話の始まりがあって、四日目にはコミュニケーションを取れるようになる。人間に比べると非常に成長が早い。他の何者かに狙われる立場にいるから早く成長しなければいけない……というわけでもなく、単に初めからそのように出来ていたようだ。天使の始まりの謎は未だに解明されていないが、筆まめな天使がそのように書き残していた日記がこの間見つかった。本人は恥ずかしそうにしていたらしい。この間というのは、え〜、確か五十年くらい前だ。
天使は人間に「正しいこと」を囁かないといけない。人間と違って大変なのは、正しい方に立つか悪い方に立つか、自分の意思で決められないところだ。正しいことを主張する立場に問答無用で置かれてしまう。しかも、こちらの意見が採用されるかはまた別なのだ。いくら正しいからと言って、人間がそのようにするとは限らない。頑張って主張をしても必ずしも採用されないというのは、案外大変なものだ。同時に、責任を負わなくて良いという気楽さもある。どうにもこのバランスが難しい。認められたいが責任は取りたくない、という。
人間に囁くべき「正しいこと」を知るためには、まず「悪いこと」を覚えないといけない。タブーを知り尽くすことでそれの回避が可能になるという理屈だ。
生まれてから六日後以降からは悪いことを一通りやる。分かりやすいところでいうと暴力とか殺戮とか。まだ簡単な方だとピンポンダッシュとか万引きとか。可愛いのだと、そうだなあ〜〜〜〜、あんま無いかも。思いついたら言うことにしよう。とにかく、そういう事をしても良い無法地帯のような場所がある。そういう場所に生後五日目の一日をかけて移動する。だから、六日目から始まるのだ。
五日目の一日をかけて移動している間に、「生まれてすぐなのに、なぜこんな事をさせられているんだ?天使だぞ?」とフラストレーションが溜まるので、悪い事をするための気持ちが効率よく整う。暴れるのにはストレスをためる事が一番だ。このシステムを作った存在はかなり頭の切れるやつなんだろうな。良いやつかは分からないが。
そうやって、「悪いこと」をこなしていくうちに、やったことのない「正しいこと」に対する憧れが出てくる。信号を無視しないで渡ってみたいし、ゴミも分別してみたい。深夜にカップラーメンを食べず、ミントの歯磨き粉で歯を磨いて、空腹をお湯で我慢してみたい。早寝早起きをしたら、どんな生活になるんだろう。どんな楽しみがあるんだろう。
というような事を、考え始めて一年後になってようやく実行する機会が訪れる。無法地帯を離れる時が来るのだ。それまではずっと、この世の悪を実行し続ける。ここで言う「この世」とは、我々天使たちの世界のことで、人間の世界で言うならば「あの世」になるのかもしれない。
ちなみに、大抵の天使が「正しいことをやってみたい」と考え始めるのは無法地帯で過ごし始めておよそ半年後だ。それくらいになると、悪いことをやり尽くしてしまい飽きてくる。やったことにない悪いことを日々やっていくのは変わらないのだが、以前やったことがあるような?と思うものばかりが続くようになる。電車に駆け込み乗車するか、バスに駆け込み乗車するか程度の些細な違いになってくるのだ。これでは刺激が足りない。
初めて覚えたことが生きる上でベースになるから、それに飽きてくるとそれじゃないことが楽しくなる。他人に行動を提案するのに「これは楽しい事なんですよ!」というワクワク感を出せる。一般に天使は溜息をつきながら「こうしなさい」と言うイメージを持たれているようだが、実際にはそうではない。「やったことのない『正しいこと』をやってみたい、やろうよ!楽しそうじゃん!」と思っている。
1歳と半年になると同じ年齢の人間にとりつき、だいたい4歳から囁きを始める。それより前のやつもいるし、それよりずっと後のやつもいる。一度も囁かずに人間が死んで、とりついた天使も一緒に一生を終えるというパターンもある。人間にとりついたあとは、その人間が死ねば自らも死ぬ。そういうサイクルになっているから、天使界に天使が溢れるということはない。行ったら戻ってこない。天使界と人間界は一方通行だ。
天使界にずっといる長齢の天使たちは、私が生まれるより随分前からいたようで、聞くところによるとどうも人間が誕生する前に生まれたらしい。一緒に死ぬ相手がいなかったら、まあ、確かに死なないで済むなあ〜と妙に納得させられる。じゃあなんで人間にとりついて一緒に死ぬようになったかというと、天使界の人口増加による諸々の諸事情を考慮したらしい。天使は寿命を持たないために、終わらない生活に飽き飽きしてくるとか他の天使との「正しさ」観の違いで揉めたりとか、そういうのが厄介なのだ。死ぬ我々も可哀想だが、死なない彼らも可哀想。
とりついて始めの半年は様子見だ。その人間がどんな性格をしているのかを見極める。正直そんなことをしなくても、天使は世間的にみて「正しいこと」を囁けば良いのだから、人間の性格を見るというよりは周りの人間や社会を見るという方が良いのかもしれない。ただ、本人の性格もちゃんと理解しておかないと、囁いた時に良い反応が返ってくるような上手い言い方ができない。せっかくなら自分がワクワクしていることに共感してほしい。だから、ほどほどに観察をする。
1歳半からとりついて、半年の観察期間を過ごすと2歳になるだろう。人間が2歳になると、同じくらいの悪魔もとりつきにくる。こうして人間には天使と悪魔が両方とりつくという訳だ。天使のついていない人間に悪魔はつかない。なぜなら、悪魔は天使の放つ光を頼りに人間を探すからだ。彼らには人間の年齢が分からない。パートナーとも言える天使に教えてもらいながら、三位一体となって一生を過ごす。ここで三位一体という言葉を使うのは、かなり不適切なようにも思えるが、それ以外の言葉が浮かばなかった。
ああ、可愛い悪い事を思い出した。「みんなでホールケーキを均等に分けたときに、次の日に食べますと取っておいた人の分のクリームをちょろっとだけ舐める。」というのがあった。悪魔が囁きそうな、なかなかの良い悪い事だ。
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