東京クロウズ

violet

東京のカラスが、上空から人間たちを監視している

 人間はデジタルに弱い。


 自然界にあるはずのなかったその概念は、生み出した人間でさえ不慣れだ。


 不特定多数の一個人から発信される情報は、正確性を欠きつつも急速に伝播していく。


 人々は高度な情報の取捨選択を強いられている。しかし、誰しもができていない。


 そんな状況下で一度でも炎上してしまえば、永遠に消えることのない汚名がネット上に残ることになる。


 これをデジタルタトゥーと呼ぶ。


 僅かな真実と、無数の虚偽によって彩られた、タトゥーだ。



 *



 夜。オフィスビルの屋上にて、一人の人物が立っている。


 その人物は黒いフードを深く被り、黒いローブで身を包んでいる。


 屋上のフェンスの上に立ち、オフィス街の街並みを見下ろしている。


 やがて、倒れるようにフェンスから飛び降りた。


 その人物は両手を広げ、急速に落下していく。落下しながら、徐々に身体が変化し始めた。


 人間の身体つきから、鳥のような身体つきに変化していく。


 そして、一羽のカラスに変貌した。


 純黒の翼を羽ばたかせると、落下していた身体が勢いよく前進する。


 オフィス街の整理された街並み。その上空を飛びながら、行き交う人々を眺める。


 このカラスには、通信の電波を視認できている。その電波には、人々の様々なネットへの送信に関するデータが含まれている。カラスはそれを精査している。


 電波は道行く人々のスマホから、絶え間なく空の方へ飛んでいく。


 やがてカラスは、一人の男性に目をつけた。歩きスマホに夢中の彼は、中年のサラリーマンだ。彼が弄っているスマホからは、他の人よりも多く電波が飛び交っている。


 カラスは彼に向かって速度を上げた。


 そして、その勢いのまま、彼のスマホを奪った。


 スマホを奪ったカラスは、再度上昇し、オフィスビルの屋上に着地。人間の姿に戻って、スマホを弄り始めた。


「知っているか。カラスは人間を監視している。時に集まって情報交換もしている。多くの生き物を捕食し、生態系のバランスも維持している」


 カラスだったその人物は、ぶつぶつと呟いている。


「既にカラスは、人間社会に大きく干渉しているんだぜ」


 その人物のスマホを操作する指が、強めに動いた。そして、ニヤリと口を歪ませる。


「全員、完了した」



 *



 一方その頃。オフィスビルの屋上にて、一人の女性が街並みを眺めていた。


 スーツ姿の彼女は、虚な表情で涙を流している。


 彼女はテレビ関係の仕事についていた。番組への出演も多く、彼女の知名度は高い。


 彼女は自分の仕事に誇りを持っていた。彼女自身、学生の頃から夢見ていた職業であった。


 仕方なく寄り道もしながら、ようやく就くことのできた仕事に、彼女は満足していた。


 しかし彼女は、その寄り道の過程でAV女優を経験していた。それが大胆にバレてしまい、辞めることになってしまった。


 彼女は顔も本名もバレており、再就職どころか普通の生活まで、ままならない状況であった。


「どいつもこいつも、適当なことを言いやがって」


 彼女は泣きながら悪態をついた。彼女の名前を検索すれば、候補としてAV女優やら淫売やらが挙げられてくる。多くのユーザーが、それらのキーワードを彼女の名前と併せて検索しているということだ。


 そんな彼女の上空に、一羽のカラスが飛んでいる。


 カラスは彼女を見つけると、観察をし始めた。


「おうおう、ギラギラと輝いてやがる」


 カラスは彼女の背中を見て呟いた。カラスには見えているのだ。


 彼女の背中に刻まれた、真実と虚偽のデジタルタトゥーが。


 カラスは彼女が寄り掛かっているフェンスに降り立った。


「自殺なんか、する必要ねぇんだぜ」


 カラスは彼女に言った。彼女は振り向くと、声の主がカラスだということに気付いた。彼女は目を見開き、動揺する。


 しかし、すぐにどうでも良くなった。彼女は再び、オフィス街の夜の街並みを、ぼんやりと眺める。


「カラスに何が分かるって言うのよ」


 そして彼女は、不貞腐れたように言った。


「分かるさ。俺たちは、あらゆる情報を検閲している」


 カラスが言った。


「検閲、ですって?」

「ああ、そうだ。人間は情報の取捨選択が下手くそだからな。俺たちがフィルターバブルに介入して、さらに情報のフィルタリングをしてやってるのさ」

「フィルターバブルって何よ。カラスのくせに、カタカナ語を多用しちゃって」


 カラスはフィルターバブルを説明した。アルゴリズムが利用者個人の検索履歴などを元に、その人が好むであろう結果を返す仕組みのことだ。


 例えば利用者がアイドルの情報ばかり検索していると、広告でアイドル関連の商品が優先されるようになったりする。


 政治的思想で右翼的な情報ばかり追っていると、左翼的な情報が表示されなくなっていく。


 これによって利用者は常に自分好みの情報を多く目にすることになる。またそのせいで、自分の好みが多数派だと勘違いするケースもある。


 そしてカラスは、その仕組みに介入しているという。フィルタリングされた情報群に対して、さらに独自のフィルタリングをしていると言うのだ。


「まあ、本当かどうかはともかく。面白いわね」


 彼女は不器用に笑った。しかしすぐに真顔になって、手のひらを口に押える。


「随分と、笑い方が下手になったわ」


 彼女は呟いた。テレビ番組に出演する仕事上、作り笑いを浮かべるのは得意なはずだった。


「なんて、惨めなのかしら」


 彼女はフェンスに両手を掛けた。そして、悔しそうに力んだ。


「こんな下らないことのせいで、私はこんなにも苦しんで、こんなにも弱っちゃうなんて」


 ギリギリと、握られたフェンスが音を立てる。まるで、声を押し殺してもなお漏れる、悲鳴のようだ。


「俺たちなら、救ってやれるんだぜ」


 そんな彼女に、カラスは言った。


「冗談でしょ。一体どうやって救うと言うの」


 見てみなさいよ、と彼女は指を刺した。その先には、オフィス街の街並みが広がっている。


 整備された車道。そこを通る無数の車。その脇には歩道があって、その道を無数の人々が行き交っている。


 東京は狭い。オフィス街なら尚更だ。しかしここは屋上。ビルで遮られる景色も、ここなら遮られることなく一望できる。


 だから彼女は、思い知った。人間はこれ程までに、沢山いるということを。


「これだけの人たちに、私の汚名は広がっているわ。きっと今もなお、広がり続けているのよ」


 彼女はフェンスに額を押しつけて、俯いた。そして悔しそうに、身体を震わせる。


「正直、舐めてた。ネットに、全世界に公開するって、こういうことだったのよ。私の過去はもう消せない。一緒に広まった嘘でさえも、本当のことのように浸透していく」


 そしてまた、涙を流した。自身がもはや、どうしようもない状態に陥っていることを、再度実感しているのだろう。


「こんなことになるまで、どうして気付かなかったんだろう。どうして、もっと慎重に仕事を選ばなかったんだろう。私には、あまりに世界が見えてなかった」


 彼女は、涙声で呟いた。彼女は見えていなかった。世界にはこんなにも人間がいて、そのほぼ全員がネットから情報を得ている。彼女だってその一人だ。しかしスマホには、それほど多くの人々は映らない。文字列と画像の集合体では、どうしても少なく見えてしまう。ディスプレイ内の世界ばかり追っていたら、現実が全く見えていなかった。


「なあ、知っているか。炎上っていうのは、大抵主犯がいる。そいつらがしつこくネットへの投稿を行うことによって、炎上は成り立っているんだ。そしてその主犯っていうのは、ネットに投稿された内の約1%程度しかいないらしい」


 カラスは言った。そして丁度その時、彼女のスマホが鳴った。匿名のメッセージが届いたのだ。


「全員、完了した……?」


 彼女はそのメッセージの内容を呟いた。


「俺の仲間からの報告だよ」


 カラスは言った。


「炎上の主犯は全体の1%のみ。俺の仲間たちが、その1%の主犯全員のスマホを押収。履歴を辿って、全ての投稿を削除した」


 それを聞いた彼女は、目を見開く。


「そして同時に、フィルターバブルへの介入も行う。君に関する全ての情報を、このアルゴリズムを利用して遮断させる。君の情報はもう得られない」


 カラスのその言葉を聞いた彼女は、スマホで自身を検索した。すると驚くべきことに、彼女に関する一切の情報がヒットしなかった。


「でも。それでも。皆が私の汚名を記憶してるわ」


 彼女はカラスに言った。


「大丈夫だ。それでも、数週間後には問題なくなる。だから安心しろよ」


 彼女は再び、自身が握っているスマホを見つめる。カラスの言っていることは本当なのだと、自身の経験から悟ったのだ。


「ああ、今回の分の報酬は、それで充分だ」


 カラスは言った。彼女は不思議そうに、カラスを見つめる。カラスはその表情をまじまじと見つめている。


 彼女の目には、涙が流れている。彼女の頬を伝うその涙は、街の光を乱反射させて、まるで宝石のように煌めいている。


「カラスは光る物が好きなんだ。まいどあり」


 カラスにそう言われて、彼女は頬に触れた。自分が泣いていることに、ようやく気付いた。


「あなたは一体、何者なの」


 彼女はカラスに問う。


 カラスは止まっていたフェンスから飛び降りた。屋上の床に足が着くまでに、姿が変わっていく。


 先程までカラスだった。それが着地した時点では人間の姿に変わっていた。


 黒いフードとローブを纏った、男か女かも判断付かないような人物。


 そんな人物の変貌ぶりに、彼女は絶句している。


「俺たちは、クロウズ。東京を縄張りとした、ハッカー集団だ」



 *



 クロウズの言った通り、彼女の炎上は数週間後には解決となった。


 現時点で彼女を知る者は、極僅かにしか存在しない。


「そりゃそうさ。人間ってのは、デジタルに頼りきりの生き物だからな」


 カラスが呟いた。カラスはオフィスビルの屋上のフェンスに止まっている。


 人間は、こと記憶に関しては特に自信のない生き物だ。


 今日やる仕事はメモ帳やアプリに記憶させて、それを元に行う。


 親族や友人の連絡先はスマホに記憶させる。


 報道されなくなったニュースは忘れるし、テレビに映らなくなった芸能人がいても気付かない。


 だからデジタルの示したことに関しては、絶対の信頼を置いている。現代の人間とはそういう生き物だ。


 そのデジタルが、彼女は存在しない、とした。


 人々はそれを、信じたのだ。


 そしてあの時。彼女自身、スマホをじっと見つめて、それを悟った。自身がいかに、この端末に依存しているのか。それを実感し、そこからカラスの言っていることが真実であるという結論に辿りついた。


 今回の出来事がもし物語として語り継がれるとするなら、きっとそれさえもデジタルによるものだろう。


 そして恐らく、彼女の名前は伏せられたままなのだ。


 何故なら、その情報はクロウズによってフィルタリングされている。


 彼女の、忘れられる権利を、守るために。

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