第二図書室のシンデレラ
なんて、今どき三文芝居の台本にもならないような状況で私は簡単に初恋を知ってしまった。
私だけが秘密を知っている学年の王子様に、窮地を救われた。優しく抱きとめてくれた。
未だに運命の出会いを信じている私にとって、それは運命の出会いとしてあまりに十分だった。これ以上の展開なんて私の人生にはもう無いだろう。
恋に落ちるのはひどく簡単で、突然で、どうしようもなく幸せなことだと私は知った。
同時に実らぬ恋の虚しさと叶わぬ片想いの苦しさが強く深く心に刻まれた。
もも君は紛うことなき王子様だ。頭が良くて、運動ができて、人をまとめることができて、誰もが憧れる、そんな完全無欠の王子様だ。
でも、私の運命の王子様ではない。もも君は私たちの、みんなの王子様なのだ。
恋に落ちてから私はもも君の情報をできる限り集めた。誰かに聞くなんて出来ないけど、そんなことをしなくても女の子たちの近くにいれば簡単に入手することができた。
恋バナになると誰のどんな話題でも必ずもも君の名前が出てくる。
もも君が○○に告白された、もも君は✕✕とイイ感じらしい、もも君の好みはこんな人らしい、もも君の、もも君は、もも君もも君―――
盗み聞きをするまでもなかった。もも君の話題は、最早何もしなくても私の耳に自然と入ってきた。
初めは私の名前が出るかもしれないという淡い期待を抱いて、限りなく薄い糸を探すような気持ちで話を聞いていた。
でも、私の運命の糸は探しても見つからない癖に、私の首をゆっくりと絞めていった。
私より魅力的な女の子たちはたくさんいる。そして私より仲の良い女の子たちもたくさんいる。そんな女の子たちが必死にもも君にアピールしているのだ。
対して私なんか、名前すら知られていない。いや、もしかしたら顔すら覚えられていないかも。第二図書室で会うと挨拶してくれるが、それが教室や廊下だったら認識すらされない気がする。
それが怖くて私は逃げた。
もも君のクラスの前は通らず、廊下でもも君を見つけたら違う階の廊下を通る。第二図書室以外でもも君に遭遇することが無いように徹底した。
それをする度に、もも君から逃げる度に私のこころはズキリと軋んだ。
でも、その方が私はよほど良い。もも君が話しかけた私に気付かずに他の女の子に話しかける。そんな現実を、私は受け入れることが出来ないだろうから。
そんなことを考えてまたこころがズキリと軋む。
苦しい痛みから逃げるように覗いていた棚から離れる。
ガンッ
「っ〜〜〜〜!?」
立ち去る瞬間、勢いよく足の小指を棚の角にぶつける。痛みに声をあげそうになるが、必死に耐えた自分を褒めてあげたい。
もしここで覗いていたことをもも君に気付かれてしまったら、必死で守っている第二図書室の司書さんのポジションまで失ってしまう。
必死に気配を消して、足の痛みを忘れるように変な動きで反対の壁際まで撤退する。
荒くなった息を整えながら、私はこころの痛みも紛れていくのを感じる。
早く治まってくれてよかった、これで私はもも君をいつも通り見送れるから。
ほとんど掃除も出来ずに時間だけが過ぎていき、気づけばお昼休みもあと20分になっていた。
私は慌てて、それでも足音は立てないようにしながら受付の席へと戻る。狭いカウンターの上にはもも君が今日返却したばかりの本が1冊だけ置かれている。
そんな小さな受付の席で私は背筋を伸ばし、微笑をたたえ、今日も第二図書室の召使になる。
キーンコーンカーンコーン
昼休みの終了を告げるチャイムが校舎から聞こえてくる。
今から15分後に5限目が始まるからのんびりしてはいられない。そのため、もも君はチャイムの音が聞こえるといつも小走りで借りる本を持って来る。
今日も少し慌てたもも君が本棚の陰から現れる。
「この本、借ります」
「はい、わかりました」
もも君から本を受け取り、題名を確認する。
「返却期限は一週間になります」
「ありがとうございます………」
「………?」
本を受け取ったもも君は何か気になることがあるのか、数秒ほど静止していた。
それを見て首を傾げるが、もも君は軽い会釈だけ残して第二図書室を足早に出ていった。
最後のもも君が少し気にかかるが、私も早く教室へ戻らなければ授業に遅れてしまう。
受付においてあるシャーペンでもも君が借りていった「ペルデル」という本のタイトルと玉城百介の名前を分厚い貸し出し冊子に書き込む。今月のページの中にはたった二人の名前しか書かれていない。
この本は読んだことが無いから、もも君が返却したら私も借りよう。
もも君の読書スピードならあの本は一日で読み終わるはずだ。
私はページの貸出欄に新しく今日もも君が返したばかりの本のタイトルと自分の名前を書き込む。
そう、今月のページの中には私ともも君の名前しか書かれていないのだ。
今月というか、もはや私が司書になってからこの図書室から本を借りているのは2人だけである。
職権乱用だとか、ストーカーじみているとか色々文句を言われるかもしれないけど、辺境の図書室で司書をやっている特別報酬だと言わせてほしい。
もも君と読んだ本の感想を言い合うことが私の今の目標なのだ。そのためには同じ本を読んでいることは必須なのだ。
今日は、もも君が髪を切ってきたり、私が覗いていたのがばれそうになったりと、心臓に悪い一日だった。午後の授業はのんびりと受けよう。
そう心に決め、私は本と弁当箱をもって受付を後にする。
開けていた窓を閉め、白熱灯のスイッチをオフにする。
これで今日の魔法の時間もおしまい。明日は土曜日なので次もも君に会えるのは来週の月曜日だ。
まさか週末が来るのが憂鬱になる日が来るとは。恋とはいかに恐ろしいものかと一人で勝手にため息をつく。
第二図書室を出て、カラカラと重いドアを閉める。
制服のポケットからカギを取り出し…
「あれ?」
ここで私は違和感に気付く。
ポケットの中には何も入っていなかったのだ。
反対側のポケットも探すが、パフパフと空気が抜けていく音しかならない。
ぴょんぴょんと跳ねて全身を揺らしてみるが、布のこすれる感覚しかない。
念のため両方に手を突っ込んでポケットをひっくり返す。
…やっぱり、ない。
サーッと血の気が引いていくのが分かる。
先ほどまでとは違う意味で心拍数が上昇する。
やばいやばいやばい。
5時間目まで時間もないので、探している暇はない。でも、カギをかけずに立ち去るわけにもいかない。人が来ないとはいっても、この部屋の戸締りの責任は私にあるのだ。
図書室の先生は私のことを信頼してくれているからカギを預けてくれている。
それなのに、失くしてしまったとあれば、怒られるのはもちろん、もしかしたらカギを預けてもらえなくなるかもしれない。
「っあの!」
「はっ、はい!!」
突然響いてきた大きな声に私は文字通り飛び上がる。
なんでこんなところに人がいるの!?
すぐさま振り向くと、そこには
「ももくん!?」
数分前に立ち去っていたはずのもも君が階段の踊り場から私を見上げていた。
私の声を聞いて、大きく目を見開いたもも君は一段飛ばしで階段を駆け上ってくる。
まって、まってどういうこと?なんでもも君がここにいるの?
脳内が落ち着く暇もなく、もも君は一瞬で私の前にたどり着いた。
短い階段のはずだが、階段を登りきったもも君の呼吸は少し浅くなっている。膝に手を当てて私の前で前屈みになっている。
恐る恐る声をかける。
「も、もも君?」
私の呼びかけにピクリと反応したもも君は顔をあげると一歩距離を詰めてきた。
えぇぇぇ???
私はただ、近づいてくるもも君の顔を目線で追いかけることしか出来なかった。
息遣いもわかるほどの近さで私たちは向かい合っている。
ち、ちかくないですか???
「なまえ」
「え?」
「僕のこと知ってたの?」
「……あ」
しまった、わたし、名前呼んじゃった!?
なにか、なにか言い訳を――――そうだ、貸出名だ!
「いや、それは、その、貸出しているときに覚えて…」
「でも、さっきもも君って」
「はぅ…」
いつも頭の中で勝手に呼んでてごめんなさいいいいい!
もはや何も言えなくなった私は、せめて目線だけは外さないと、もも君を見上げるだけの装置になる。
「………」
「………ご、ごめんなさい」
沈黙に耐えられなくなって私の口から自然と謝罪の言葉が漏れていた。
というか、ちかいですーーーーーーーーーー!!!!
「謝らなくていいよ」
ずっと私を見ているだけだったもも君は、私の謝罪を聞いて砕けるように笑った。
そしてポケットから何かを取り出して私の目の前に掲げた。
「これ、君の?」
それは、外の光を反射してキラキラ輝いている小さなガラスの靴のストラップだった。
「あっ…!」
そして、もも君の指からのぞいている錆びた金属は、紛れもなく私が失くしていた第二図書室のカギだった。
「やっぱり、ここのカギ?」
「うん…。でも、なんで?」
「昼休みに本棚の下に落ちてたから拾ったんだけど」
「………」
もも君を覗き見してた時か…!このポンコツ!
とにかく、このカギを受け取って早いところこの場から撤退しなくては――
「ありがとう」
慌てて私が伸ばした手はカギを掴むことは無かった。
「え?」
もも君が私の手の届かない高さに掲げたのだ。
「これ渡す代わりに1つだけお願いがあるんだけど」
「お、おねがいですか?」
「うん、そんなに難しくはないから」
もも君のお願いならなんだって、と言いたいところだけど、今は状況的にどんなことを言われるのかと不安で仕方ない。
もも君は初めて見せるいたずらな表情で
「もも君って、もう一回呼んで?」
と、閻魔様もかくやというお願いをしてきた。
「むりむりむり、むりです!?」
「さっき呼んでたじゃん」
「いや、それは、びっくりしたからで……」
「だめかな?」
もも君ってドSなの!?
何を考えているのか全く分からないが、私の反応を見てウキウキしていることだけは伝わってくる。
一人でもも君と口に出すだけでも顔が赤くなるのに、本人に向かって言えるわけないじゃないか。
でも、高々と掲げられたカギは降りてくる気配もなく、掲げているもも君はいまかいまかと期待の眼差しを私に向けている。
せめて、これなら…
「た、玉城君」
「もも君じゃないとだめ」
「ぐぅ」
もも君は目を細めてダメ出しをだしてきた。
こ、この好きな人め…!
私はうつむいて目を閉じて心を決める。
言えばいいんでしょ!
「……も」
「も?」
「も、……もも君………」
絞り出すように声を出した。
いった、言ったぞ私は!
「…?」
またしても場を沈黙が支配する。
小さな声だったけど、決死の「もも君」だったのだ。それなのになんのリアクションもしないのは失礼だと思うんですけど。
不服だと少しぶー垂れながら私は顔をあげる。
すると、私を覗き込んでいたもも君が左上を見上げて口元に手を当てていた。
「え?」
もしかして、言わせたくせに照れてるの?
私の「もも君」呼びに?
「…っ、はい、どうぞ」
私の視線に気付いたもも君は私の視線を覆うようにカギを出してきた。
私はカギを受け取るより、何より、もも君の真意が知りたかった。
「…照れてる?」
「…別に」
そういうもも君は決して私に目線を合わせようとはせず、その頬には汗すら覗いていた。
あの、ずっと片思いだと、意識しているのは私だけだと、認識すらされていないかもしれないと思っていたもも君が。
「わぁ…」
私の「もも君」という呼びかけで照れた。
キーンコーン…
遠くから5時間目の始まりを告げる鐘の音が聞こえる。
「ほら、授業はじまっちゃったじゃん」
「…うん」
グイと押し出されたガラスの靴のストラップに震える手を伸ばす。
第二図書室の召使とか、王子様とか、時間とか、名前すら知らないとか、ガラスの靴のストラップとか。
小さい頃からずっと好きな物語の単語が頭の中でグルグルする。
「早く閉めなよ」
王子様は想像していたより少しだけぶっきらぼうに、私に命じてくる。
これって、これって…!
「
私の名前を呼ぶ、王子様から特別なカギを受け取る。
ずっと妄想していた、私の名前と似たお姫様の物語。
まるでシンデレラみたいじゃない?
―― 第二図書室のシンデレナ ――
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