第二図書室のシンデレラ
庭月穂稀
ホコリかぶりの少女
ガチャリと細長い錆びたカギで錠を開ける。
カラカラと音のなる古びた引き戸を開けて部屋に入り、パチリと白熱灯の電気をつける。
特別棟二階、第二図書室は今日も今日とて私がいなければ開かない。
もはや私専用となっている、ガラスの靴のストラップがついた(勝手につけた)カギをポケットに入れる。
私は手に持ったお弁当箱を机に置くより先に入り口近くの窓を全開にする。スッと外から入ってくる空気はさっきまでと同じはずなのにずっと爽やかなものに思える。
毎日掃除しても埃っぽさや
入り口の向かいにある駅の窓口のような狭い受付に腰を下ろす。
こうして私は、今日も学校の隅っこにある狭くて埃っぽくて黴臭い第二図書室の司書(仮)となるのだ。
私はこの中学校の一般生徒だけど、この部屋に一人でいるお昼休みの間だけ、私は第二図書室を図書室の先生から預かっている校内唯一の学生司書だ。
私は小学生の時から本の虫と言われるほどに読書が好きだ。そして小学校の友達が誰もいない心細い私立中学校に進学してからは、もはや本が身体の一部みたいな学校生活を送っていた。
入学してから話したクラスメイトよりも読んだ本の数が多いという、とんでもなく寂しい1週間だったせいで5月に予定されていた図書室の説明よりも先に図書室が唯一の癒しの場所となった。
そんな背景もあって、たくさんの本に囲まれた部屋に1人だけ、という状況がとても魅力的だったのだ。
限られた時間だけ違う私(学生司書)になれる。それはまるで、今でも一番好きな物語、シンデレラの魔法みたいだと私の中の夢見がちな乙女心が浮足立ったこともあった。
というか最初の図書委員会での仕事決めで、この「毎日昼休みに第二図書室の受付をする」という一番面倒くさい仕事に立候補した一番の理由はそれだった。
でもそんな私に言ってあげたい。それはシンデレラになれる魔法なんかじゃない、むしろ友達と楽しく過ごしているはずのお昼休みに、一人で埃っぽい部屋の掃除をする召使のようになる、逆シンデレラの魔法なんだよと。
まぁ、昼休みが自由になったところで結局一人でお弁当を食べて図書室に行く毎日だろうけど。
でも、そんな愚痴だらけの仕事でも、私が毎日欠かさず続けていけるだけの理由もあるのだ。
隙間だらけの入り口の奥からトントンと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「きたっ…!」
足音を聞き逃すまいとしていた私の耳が反射のように全身に指示を出す。頬杖をついて外を眺めていた私はすぐに佇まいを直し、前髪を手櫛でサッと整える。
今日一の綺麗な姿勢と機嫌のよさそうな表情をつくり、まるで本物の図書館の受付嬢のような雰囲気を醸し出す。
カラカラと引かれたドアから一人の男子生徒が入ってきた。
ドアを閉めるよりも先に正面受付に座っている私に軽く会釈をしてくれる。
私もあくまでお淑やかにスッと目線を下げる。
目線を上げると、昨日とは明らかに違う様子に気が付く。
――髪を切ってる!
「本の返却をお願いします」
目にかかるくらいだった前髪が眉より上で切られており、綺麗な額が覗いている。
男子の髪型には疎いため、どういう名前の髪型なのかはさっぱりだが、校則の範囲内で短く整えられていることは分かる。
なんだか雑誌のモデルさんみたいだ。
「……」
「あの、返却を…」
「あっ、失礼しました!」
慌てて本を受け取り、そのままの姿勢で頭を下げる。
やってしまった。
急に髪を切ってきた彼をまじまじと見つめてしまって(見惚れて)完全に無視する形になってしまった。
「えっと、髪、変ですか…?」
「いやっ、そんなっ…!」
にやけそうになっていた口角を抑えつつ、可能な限り自然な笑顔で首をコテンと傾げながら返答する。
「…えと、お似合い、ですよ?」
なんて質問をさせてしまったのだろう。
顔から血の気が引いていくのを感じながら必死に似合っていることを伝えたかったのだが、さすが私。挙動不審に仕方なく同意したような言い方しか出来なかった。
もはや傑作すぎて涙すら出てきそうだ。もう埃になって飛んでいきたい。
そんな最低で失礼な私を見ても、彼は笑いながら「よかった」と言ってのける。
その屈託の無い笑顔に、私は言葉も出せずに、図書室の奥の方へ進んでいく彼をただただ眺めることしか出来なかった。
彼が完全に本棚の陰に隠れたのを確認して、私は受け取った本を顔に押し当て、そのままゆっくりと机に突っ伏した。
あんなの反則ではないだろうか。
髪を切ってきて、不安そうな顔をして、もはや皮肉のような誉め言葉に満面の笑顔を返す彼の方がおかしい。
なんて、そんなわけはないし、これまた失礼なことを言っているのは自覚しているけど感情が頭を掻き回している。
ぐるぐるとした頭の中で結局最後に浮かんできた言葉は「かっこいいなぁ」だったのだからもう始末に負えない。
そう、彼こそ私がこの図書室に毎日来る理由であり、シンデレラの夢を忘れられない原因なのだ。
彼は
私がそう呼んでいるわけではもちろん無いが、入学して1カ月、百介の名前ともも君というあだ名は私の学年では常識となっている。
彼は入学式では入試成績トップの新入生代表として壇上に上がり、玉城百介という名前に全く負けない堂々としたスピーチを披露した。
入学式の数日後にあったクラス対抗のサッカー大会では、出来たばかりのクラスの中心で円陣を組み、決勝戦でハットトリックを決めてMVPに。
たった1週間で第二図書室に幽閉された私とは対照的に、彼は私たちの学年の頂点に君臨した。
そんな学年の王子様のはずの彼はなぜかお昼休みに毎日この薄暗い図書室を訪れている。
そのことは誰も知らないらしく、隣の私のクラスでも「もも君は昼休みに何をしているのか」という議論が行われるほどだ。
そんな彼の秘密を私だけが知っている、関わらせてもらっている、それだけでとてもとても嬉しいのだ。
ただそこまでして秘密にしている彼の特別な時間を私が邪魔するわけにもいかない。
だから私は誰にもこのことを話すつもりもないし、なんなら他の人を第二図書室に入らせないようにしなければいけないとまで思っている。
初めて彼がこの図書室を訪れた時は衝撃と困惑のあまり、何か企みがあるのではないかと図書室内の彼の挙動を常に監視し続けていた。
だけど、1週間もしないうちにその疑いはなくなった。
彼は純粋に読書を楽しんでいるのだ。ただし、異常な速度で。
彼のページをめくるスピードはとても速い。本がお友達の私と変わらない、もしくはそれよりも速いペースだ。
彼は一日一冊、ジャンルは問わずに気になったであろう本を借りていき、ほとんど翌日にはその本を返却してる。
それを1カ月毎日繰り返していた。
彼は読書家である。それもとびきりの。
それが、王子様と自己的に幽閉された召使のたった一つの接点なのだ。
彼がどれほど手の届かない存在なのかを改めて自分に言い聞かせて、ようやく私は再起動する。昼休みは短いのだ。さっさと動かなければ。
今日返却された本は有名な海外のミステリー作品だった。
作品のレビューでは登場人物のほとんどが命を落としてしまうと書いてあったため、バッドエンドだろうと決めつけて避けていたのだが、結局読むことになった。
名作なのは間違い無いため、楽しめたはずと一人納得した表情をしながらいつもの作業に移る。
本の背表紙を開き、取り付けられている黄ばんだ紙を取り出す。今回はやけに日焼けしており相当年数ここの図書室で保管されていたものだとわかる。
第二図書室は校舎から少し離れた学校の角にある特別棟の二階に位置している。
特別棟は少なくとも50年は昔に建てられたようで、利用する人がいないせいか、設備がほとんど整えられていない。
そのため第二図書室にはパソコンは無く、蔵書にはもちろんバーコードなどある訳ない。
現代の学校で手書きの貸出カードを利用しているのなんて、この街ではこの図書室くらいだ。
そんな、時代に取り残された貸出カードを何年ぶりかに取り出し、最新の利用者情報を書き入れる。
記入するのは学年・名前・日付の3つなのだが、私はこの作業をしているとよくない感情になる。
1年 玉城百介 6/19
このなんでもない情報でも、忘れられた貸出カードに書かれているのは、私だけが知っている学年の王子様の秘密なのだ。
私だけに許されたこの仕事は、なんだか彼を少しだけ借りているような気持ちになる。
これで我が物顔出来る胆力があればと思うのだが、私は羞恥心に耐えられなくなってパタリと本を閉じる。
ほんとに何を考えているのだ、このへっぽこ!
邪な気持ちを取り払うようにお弁当箱を手元に持ってくる。
返却された本を少し避け、お弁当を開く。私の昼食は片手サイズの正方形のタッパーに入ったおかずとおにぎり一つだ。
小食な私にはこれでも多いくらいなのだが、母親に食べろと圧をかけられているのでありがたく頂戴する。
パクパクと食べ進め、私は呆けていた時間を取り戻すようにいつもより短い時間で完食する。お腹が苦しいが仕方ない。
ここまでして私は受付の横につけられている古いはたきを手に取り、図書室内の清掃に向かう。
まずは彼の場所を確認する。掃除のせいで彼の読書を邪魔するわけにはいかないのだ。決して彼を見たいのでは無い。断じて違う。
昨日はミステリーだったから、今回はこっちかな?とミステリーの棚とは反対の方に気配を消して近づいて行く。すると一番奥の壁に面した棚の前で彼は立ち読みをしていた。
長身でスタイルの良い彼は立ち姿がとても絵になる。こんな場所でも何かの撮影かと思うほどだからよっぽどだ。
すると丁度奥の窓から陽の光が入り込んできた。彼の影とのぼり台の影がこちらに伸びてくる。
その光景はひどく既視感のあるもので、自然と心臓の鼓動が早くなる。
あっ、とあの日のことを思い出す。忘れられない、彼が私の中で特別になった日のことだ。
彼がこの図書室に通い始めて2週間程がたった頃には、私はもうすっかり警戒心が無くなっていた。
なんなら学年の注目を浴びている人間の秘密を知っているのだと少し得意気な気持ちでいた。
さらに彼が必ず一人で来るのを良いことに「あなたも本当の友達は本だけなのね、私もよ」と真の理解者のような顔をしていた。
その日は私の好きな作家さんの新刊が出る日だったので、いつもより上機嫌に図書室の掃除をしていた。
そのため普段はしないような、手が届かない上の方の埃まで落としてやろうという気持ちになり、のぼり台に立って本棚の埃を落としていた。
鼻歌交じりに新刊はどんな話なのだろうということばかり気になって注意が散漫になっていた私は、あろうことか台の上に乗っていたことを忘れ、脚を踏み外してしまったのだ。
そしてはたきが運悪く本の角に引っかかってしまい、緩やかに落ちていく私の体と共に上から大量の本が私目掛けて落ちてきた。
運動神経も身体能力も運もない私は、後ろ向きに倒れながら、降ってくる本を見上げることしか出来なかった。
焦燥感や絶望感よりも「あぁ、またバカしたなぁ」という失望感だけを強く感じながら、浮遊感の中で悲鳴もあげられずに落ちていく。
迫り来る本と遠のく天井、私はどうしようもない状況を視界に捉えて初めて、怖いと思った。そして忘れることが出来ない痛みはその直後に襲ってきた。
「あぶないっ!?」
聞いたことのない叫び声と共に私の視界が急に暗くなる。
バタバタバタン、とくぐもった音が遠くからする。
ぶつけるはずだった頭と身体は熱く弾力のあるものに包まれ、それが久しぶりに感じる人肌の感触だとすぐに理解することは、私には難しかった。
数秒間、硬直していた私は何が起こったのかと錯乱しつつ、首を動かそうとする。
しかし私の頭は何かに押さえつけられており、身動きはとれなかった。
何に押さえつけられているのかという疑問は、ドクドクと早く、力強く打たれ続ける鼓動の音によって解決する。
ここでようやく、私は抱きしめられていることを自覚する。
2人しかいない図書室で私以外の人。そう、玉城百介しかありえない。
ありえない現実にまたしても体が固まりそうになるが、私はこのままの状況に耐えられそうもなく、喉から声を絞り出す。
「っあの」
私の声に反応して頭に添えられた手のひらがどけられる。
そしてようやく見上げることが出来た顔は、ひどく不安そうに私を見つめていた。
「大丈夫ですか?」
「はい、あなたのおかげで」と笑って言えればどれほど良かっただろう。
彼のおかげで無事だったはずの私の体は、とんでもない激痛に襲われていた。
心臓が痛い。耐えられないほどに。
私は生まれて初めて感じる鼓動の速度と熱量に強烈な痛みを錯覚する。
痛い。それなのに不快じゃない。苦しいのに、ずっとこのままでいい。そんな矛盾した私の脳を私の心が理解する。
あぁ、これが恋なんだと。
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