最終話

「バスケを辞める? もしかして怪我が関係しているのか?」


 鉄百は心拍数が上昇させながらテーブルの向かい側に座っている菊の顔に凝視していた。二回戦から数日後、鉄百は菊から連絡を貰い近所のカフェで顔を合わせていた。最初は菊の目的が単なる雑談だと思い込んでカフェに足を踏み入れたが、菊が語り始めると鉄百は平常心を取り乱していた。菊が語った内容はバスケを辞めるであった。


 二回戦の翌日後、足の故障が判明した菊の横には松生杖がある。鉄百は始め菊から辞めることを耳にした際、怪我が関係しているかと一応推測したが、怪我程度で選手生命を諦める性格ではないことは長い付き合いで把握していた。ただ念のため、組み上げた推測を菊に問いかけていた。その問に対し菊は険しい表情をしながら理由について話す。


「怪我も関係はしている。半年はバスケは無理だし、その間のブランクで体が鈍る心配もある。だけど主な原因は一鷹だよ。俺は一鷹の執念に心が負けて身が持たない。家に帰ってバスケの書類に目を通そうとしても、一鷹の顔が浮かんで全く見れないんだ。バスケのニュースもそうだ。今こうやってバスケの話をするだけでも心が沈みそうで怖い。単なる人の思いを恐れているのは情けないがこれが俺の現状だ」


 菊の眼、頬など顔全体から血気を全く捉えることができない。鉄百は菊が本気でコートから去る決意が強固なものであると痛切に思わされる。鉄百は菊の引退の事実を素直に受け入れるか悩むが、自らの憧れである菊の引退を簡単には諦めれなかった。


「菊そんなにすぐに決断しなくてもいいと思うよ。一鷹のことだって時間が立てば心から消えてなくなるよ。だからこの先もバスケ続けようよ」


 鉄百は必死になって説得に乗り出す。菊はしばらく沈黙を続けた後、遅い速度で首を横に振った。菊の決断を信じたくない鉄百は立て続けに「菊はこのまま行けば国内はもちろん日本代表でも活躍できる。それだけの実力を有しているのだから、まだ続けようよ」と勇気づけて決断を撤回させようと試みる。

 

 だが菊は「俺にはもう無理だよ。」と沈痛じみた言葉を呟くと席を立ちあがり、「一人で勝手に辞めようとしたけど、これまで練習に付き添ってくれた鉄百だけには事実を告げておきたかった。今までありがとう。飲食代は俺が払っておくよ」と席から去っていった。


 鉄百は菊が本当に引退するという事実に思考が混乱してしまう。鉄百は緩やかに項垂れると注文したドリンクと目が合う。ドリンクにはまだ口をつけていない。鉄百はコップを荒く掴むと喉にドリンクを流し込む。ドリンクで胃が冷えていく。それと連動するように思考も落ち着きを取り戻していく。

 

 鉄百は菊を失った喪失感で心の大地は枯れ切っていた。それに追い打ちをかけるように小学生の頃から築き上げてきたバスケの熱意が崩れ去る。


 鉄百は一鷹にかけられた言葉の意味をようやく思い知ったのだ。鉄百はバスケが好きだ。だがバスケの腕前が未熟な鉄百では自分を描く卓越したプレーを実現できない。そこで鉄百は菊という理想の選手に自らの願望を重ね合わせ、菊が活躍することによって願望を充実させていた。いつしか鉄百は菊と一緒に居るためだけに練習に臨んでいた。つまり鉄百は練習によって自らの実力を磨くことを放棄していたのだ。


 バスケを始めた当初は運動神経が不足していたとはいえ、鉄百は長年バスケに続けてきた。菊の後を追わずもし本気でバスケに打ち込んでいれば自らがコートに立つという違った景色が体感できていたかもしれない。

もっともその選択肢の可能性に今更気づいていても既に意義は生まれない。何より理想を叶えてくれる菊が消えた今、鉄百のバスケ人生は途絶えたのも同然だった。


 高校を卒業して七年が経った。菊はあの日以降、バスケ部に立ち寄ることもなく卒業式の日まで会話が殆ど途絶えていた。卒業後もバスケのニュースで須川菊の名を目撃する日はなかった。それどころか中学の同窓会ですら出席せず現在の行方は分からない。一鷹は大学進学後部活ではなく趣味程度ではあるがとあるチームで選手に復帰し大学卒業もバスケを嗜んでいる。

 

 その一方で鉄百は弁護士の職に就くべく法学部のある大学に進学し、在学中に司法試験を突破し卒業から数年後には弁護士として熱心に仕事に取り組んでいた。全ては他者を追い掛け自らの手で夢を叶えることを捨ててしまった自分を覆すために。

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実力のない僕は親友に自らの願望を託している 陸沢宝史 @rizokipeke

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