第4話

 試合終了後、丘段高校は試合の片づけを終え会場を出ていく。鉄百は口を閉ざし続ける菊の隣に黙りながら付いていた。鉄百は菊が敗戦の全原因を自らの責任として抱え込んでいるのではないかと、不安になっていた。


 会場の外で出ると鉄百と菊は粒集高校の集団から離れた場所で無言のまま時間を持て余していた。菊に気を配って話を振らないようにしている面もあるが、鉄百自身、敗北の余韻と菊の活躍を当分は拝めない辛さから会話する余力はなかった。静けさが包む鉄百と菊とは対照的に会場の外は人々の声で賑やかであった。やがて鉄百と菊の前を見慣れた集団を横切っていく。


「粒集高校……」


 丘段高校を打ち破った粒集高校部員達の眩い笑顔が鉄百の瞳に入り込む。その光景を目の当たりにして鉄百は敗北したと再認識させられた。


「菊くんと鉄百くん、こんなところに居たんだ」


 粒集高校の集団を眺めていた鉄百は他の粒集高校部員達と歩んでいた一鷹と対面する。一鷹は今日の勝利を味わっているかのように頬にはえくぼが浮かんでいた。


「一鷹……今日はおめでとう……凄かったよ一鷹のチーム」


 鉄百は必死に喉から声を絞り出し一鷹を祝福する。敗北の苦痛で心が圧迫されそうな状況で原因をもたらしたチームの一員である一鷹と顔を合わせるのは煩わしい。


「ありがとう。だけど流石丘段高校だね。菊くんの対策研究を念入りにしてなかったら、こっちが打つ手なしで予選が去っていただろうし。それぐらいプレーが磨かれていたよ」


 鉄百の推測通り、粒集高校は菊の対策を練っていた。世代別の日本代表でもある菊を機能停止まで追い込んだため、粒集高校側としては誇らしい気分だろう。


「やっぱりそうだったか。俺は一鷹たちの手のひらで踊らされていたわけか」


 沈黙していた菊は唇に縫われていた糸を抜き取る。おぼつかない視線で一鷹を菊は右手でしわで溢れるぐらいボトムスを握っていた。


「菊くんに作戦が通用するかは本番まで半信半疑の面もあったけどね。まあ、わざわざマネージャーに転向してまで一年の頃から菊くんを偵察してきた意味はあったよ」


「まてよ、その内容だと俺を偵察するためだけにマネージャーに転向したみたいになってるぞ」


 菊は強い語気で一鷹の話した内容に疑問を一鷹に飛ばと、一鷹は頬を引き締め、口を開く。


「大体当たりかな。正確には菊くんを倒すためマネージャーに転向したんだ。選手だと菊くんを勝てないからね。マネージャーだと部活以外の時間は肉体強化や技術を磨くことに時間を費やせなくていいから、その分の時間を菊くんの研究に充てられたよ」


「研究って、俺一人だけを研究しても団体競技のバスケじゃ意味ないだろう。それにマネージャーの仕事だってあるから無暗に偵察する暇なんてないだろう。


「部の皆にも協力してもらって部活がある日でも自分一人だけ、丘段高校の試合を偵察しに行ってたんだ。それを二年半近く繰り返してたから菊くん以外の選手のデータも入手してるよ。その結果、丘段高校全体を抑え込める作戦を立案できた。特に丘段高校は菊くんを中心に戦術を組み上げていたから、菊くんを抑えれば勝機もあった。菊くんの癖や動きについても中学までに把握してるから、対策も立てやすかったし」


「二年半も一チームを徹底的に偵察するなんて、普通じゃあり得ない……。そこまでして勝つことに執着する必要はないはずだ……」


 菊の声は震え、気色が瞬く間に悪化していく。黙って話を傾聴していた鉄百も斜め上の事実に面を食らう。


「執着というか菊くんに逆襲したかった。中学三年のときに監督ではなく主将である菊くんからレギュラー争いをしている相手の技術指導を頼まれたとき心が悶えた。そのとき俺は菊くんにスタメンとしては必要されていないと痛感した。友人であり主将でもある菊くんからの頼み事だったから心を殺して従った。だからこそ俺は菊くんを何としても逆襲すると決意した」


「中学三年?……杉原の件か。当時チームが全国に行くには杉原の力が必要だと思った。だから一鷹に技術指導を頼んだ。確かに一鷹より杉原の方が戦力として上だと認識していた。けど悪気はないんだ……それにしても選手としての道を捨てる必要はなかっただろう……」


「主将としてチーム全体を観察していた菊くんに悪気がなかったことを理解してる。それに選手としては技術力があってもこの小柄な体格だと選手として大成するのは厳しいと実感していたから、悔いはなかった。けど俺としてはライバルとして見ていた菊くんを選手として上回りたかったよ」


 一鷹の発言を受けて鉄百は一鷹が菊から指示を受けた中学三年の頃を嫌でも思い返してしまう。あの時、あの場におり、一鷹の表情から気持ちを汲み取っていた鉄百からすれば一鷹が逆襲を誓った決断を否定できない。技術指導の指示はスタメンとして期待されていないことを示すだけはなく、一鷹からすればライバルから実力を否定されたとも受け取れてしまうだろう。もしそう受け取れば一鷹が逆襲の道を歩んでも無理はない。


「そう思っていたのか。一鷹の技術には参考にできる部分は多かった。だからこそ選手を続けていてほしかった」


「菊くんに勝ちたくて練習に励んでいたからそう言ってくれると有難いよ」


 一鷹は小さく笑う。その表情は一見すると不透明の窓で本心を隠し通しているようで微かに爽やかさを醸し出していた。逆襲を終えて心が平穏が戻ったのだろうか。


「あまり長話しすぎるとチームに迷惑かけるからそろそろ戻るね。最後に鉄百くんに質問だけど、自分だけのバスケを見出せた?」


「自分だけのバスケ?」


 鉄百は投げかけられた質問の意味が一瞬理解できず無意識に質問の一部を復唱してしまう。高校三年間、鉄百は菊のバスケを追い掛けてきた。菊のバスケこそ自分が求めるバスケだったからだ。しかし鉄百は一鷹の質問を胸に受けてから自分の道のりに対して戸惑いが咲こうとしていた。それでも鉄百は揺れる心を押さえつけ自らの行動を正解だと必死に再認識しようとした。


「一鷹、何おかしなこと言ってるんだ? 真面目に練習に出ている鉄百がいい加減にバスケに取り組んでいたとでも言いたいのか!」


 菊は顔色を急激に曇らせ、一鷹の発言に抗議する。


「確かに鉄百くんは部活を無断で休むような人ではないことを知ってるよ。だけどそれって自分のための練習? まあ答えがすぐに出ないようじゃ、違うみたいだね」


 菊の抗議に対する一鷹の返答に鉄百は一音すら発せられない。一鷹は鉄百が菊の傍に居たいがために厳しい練習でも耐えてきた、と言いたいのだろう。


「それじゃ俺は戻るね」


 一鷹は短い別れの挨拶を言い残すと鉄百との視界から消え去った。鉄百は菊にか弱い声で「戻ろうか」とだけ声を外に流すと、菊の歩みだすのを待たず一人で先にチーム元へと帰っていた。

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