第3話

 中学卒業後無事に丘段高校へと進学した鉄百は菊とともにバスケットボール部に入部した。そこに小学校の時から連れ添っていた一鷹はいない。卒業後一鷹とは一切の連絡は途絶えていた。


 かつての友人の状況を心配する一方で中学時代と変わらず鉄百は菊の自主練習を手伝いを続けている。高校でも躍進する菊の姿を見る度に鉄百は心踊っていた。そのため更なる菊の活躍を目にするために鉄百の自主練習を手伝う熱意は中学時代よりも格段に高まっていた。


 その菊は強豪校で一年からレギュラーにのし上がると、年代別の日本代表に選抜されるなどバスケ界では須川菊の名は全国に行き渡っていた。


 二人が三年に進級すると菊は中学時代と同様、部の主将を務めていた。丘段高校は前年度の夏のインターハイに出場し、この年のインターハイの出場も有力候補とされていた。


「これにて今日の練習を終了とする。各自明日に向けて休息をきちんと取るように」


 インターハイ予選を翌日に控えた丘段高校のバスケ部は監督が締めの挨拶をした。予選前最後の練習だけあり、多くの部員が普段以上に真剣に練習に励んでいた。


「菊、練習お疲れ様」


「鉄百か。お疲れ。なんかもう少し練習したい気分だよ」


 菊は不服そうに息を吐いた。試合直前のため疲労防止のため軽いメニューが中心であった。そのため菊としてはもう少しボールに触れていたかったようだ。


「明日は試合なんだから勘弁してよ。過度な練習でもして怪我でもされたらチームに迷惑かかるよ」


 鉄百は白い歯を見せながら菊をたしなめる。万が一菊に故障をした場合チームは多大な損失を被ることになる。もっとも長い付き合いから菊の発言が冗談だろうと理解している鉄百も内心では聞き流している。


「分かってるさ。それにしても最後のインターハイか。時間の流れは早いな。何だか名残惜しいよ。今年こそは全国制覇したい」


 菊はしんみりと最後のインターハイにかける熱意を語る。三年はこのインターハイを最後に部を引退する。それだけにインターハイに向ける気持ちの入れようは一二年と比べて比較にならないほど熱いのだろう。


「去年は決勝にすら手に届かなかったけど、菊もあれから成長したから大丈夫だと思うよ」


「そういってくれると助かるよ。そういえば鉄百はこの大会終わったら進路どうするんだ? 頭良いから大学にでも進学するのか?


「一応志望校はある程度決めてるけど、はっきりとは決めていないよ」


「そうか、大学でもバスケは続けるつもりか?」


「バスケもまだ何とも言えないかな。まあ趣味では続けるだろうけど……」


 鉄百は将来を話すにつれ声がこもっていく。菊を追いかけて同じ高校に進学したが、菊は大学の強豪校に進学を希望している。自らの実力だと菊とバスケをプレーできるのは高校までだと痛感していた。だからといって卒業後の将来を明確に固められずにいた。


「そうか、まあ大会終わってからゆっくり決めればいいさ。それよりも帰宅の準備でもしよぜ。いつまでも体育館で油売ってたら監督に怒られるしな」


 菊は先に体育館の出口へと進んでいく。鉄百は菊の背中をぼんやりと眺めながら将来について物思いにふけると菊の後を追った。


 翌日、インターハイ予選一回戦に臨んだ丘段高校は力量の差を見せつけながら対戦相手をダブルスコアで下し、二回戦への進出を決める。それから数日後、丘段高校バスケ部は二回戦の日を向かえていた。


 鉄百や菊を含めた丘段高校は会場前に辿り着くと既に二回戦に進出したチームやその関係者やバスケファンが集っていた。


 菊の隣を歩いていた鉄百は菊と共に二回戦の情報を整理していた。


「菊、今日の二回戦の相手、粒集高校だけどあまり聞き慣れない高校だけどどう見る?」


「偵察は相手チームの身体能力はさほど高くはないって報告してたから必要以上に警戒する必要はないと思う。ただチームプレイが優れているって話だからそこは注意するよ」


「まあ菊なら大丈夫だよ。相手は去年も二回戦で敗れているし、自然にプレーできれば今日も勝てるよ」

 二回戦の対戦相手は粒集高校といい、インターハイ予選は万年早期敗退を繰り返しており、バスケ部の実力は芳しくない。


「話をしていたら粒集高校のバスケ部を見つけた」


 菊は西側を指差す。鉄百は指先の方角を一瞬覗き見ると、西側には粒集高校と刺繍されたジャージを着用している集団が固まっていた。部員を多数有している丘段高校と比べると粒集高校の人数は明らかに少なかった。粒集高校を目にした鉄百は菊に視線を戻そうとするが、その瞬間瞳に見覚えのある人物が映る。


「菊、あれって一鷹じゃないか……」


 鉄百は粒集高校のとある生徒を指差しながら菊に確認を取る。


「どれどれ……確かにあれは一鷹だな」


「だよな……一鷹バスケ続けていたんだな」


 菊から一鷹だとお墨付きが出た鉄百は久々の友との再会に感極まって、チームの輪を離れ「おーい一鷹久々!」と叫びながら一鷹の元へと駆け寄っていく。


「鉄百、いきなりチームから離れるなよ。てか待て」


 菊も突如、チームの輪を飛び出しことに注意を促してくるが、駆け足で鉄百に付いてくる。鉄百の呼び掛けに気が付いたのか、一鷹の目線が鉄百に注がれる。 


「一鷹! 元気にしてた? 高校入学してから連絡付かなかったから心配したよ」


 一鷹の前に辿り着いた鉄百は強張った表情の粒集高校の部員達から見詰められていた。


「見ての通り元気にしてたよ。それと鉄百くん……悪いけど場所変えない? 菊くんも一緒に」


「うん、別いいけど」


「俺もいいぜ。この場所だと若干気まずい」


 鉄百達三人は一鷹の提案で粒集高校部員達から少し距離を取った場所に移る。移動中、菊は疲れ果てたように小さく項垂れていた。


「このあたりならいいかな。ごめんね、わざわざ場所を移ってもらって。試合前にチームの皆の前で対戦相手の人と会話するのは雰囲気的に良くないと思って。皆試合前で緊張してるから他のチームの選手が目の前にいると試合前から相手のことを意識して余計に緊張することがあるから」


「一鷹の言う通りだ。これからは自らの行動に自覚を持ってくれ」


「本当に申し訳ない。普段から公式戦の舞台に立つことがなかったから、プレーする選手の気持ちを考えてなかった」


 移動した事情を聞かされた鉄百は頭を下げる。「えっ、頭を下げることはないよ」と狼狽気味の口調で語りかけてくる一鷹の声が耳に入り、鉄百は頭を上げる。そうすると一鷹は安堵したかのように小さく息を吐いた。


「鉄百くん、そこまで謝ることないよ。それにしても三人が揃うなんて中学生以来だね」


「本当に今日会えて良かったよ。しかし粒集高校に入学していたとは驚きだよ」


「まあね。僕としては早い段階で丘段高校と対戦できてよかった。二人と会いたかったし」


 鉄百と一鷹から再会を祝福するかのような和やかな雰囲気が生まれる。久々に会った一鷹は中学生の頃からあまり代り映えしていなかった。その印象の要因を占めていたのが殆ど成長していない身長だった。高校に入学してある程度身長が伸びた一鷹と比較すると一鷹が運動部員にしては身長が小さかった。


二人を静観していた菊は「再開は喜ばしいことだけど、疎遠になった原因を作ったのは誰だよ」と皮肉じみた言葉を投げかける。


「そうだね、三年間も連絡を寄こさなかった、僕のせいだよね」

 一鷹は引きずった笑いを作りながら自責の念を述べる。このままでは菊と一鷹の関係性が気まずくなると憂いた鉄百は状況を好転させようと「今は一鷹を責める必要はないだろう」と菊と軽く咎めつつ「一鷹気にすることないよ。色々と理由があったのだろう?」と優しく励ます。


「そうだな。試合前にそんなこと確認している場合じゃないよな。それより今日の試合一鷹も出場するんだろ。勝負できるの楽しみにしてるぜ」


 菊は一鷹に試合での奮闘を期待するような言葉を掛けるが、一鷹は「マネージャーだから試合には出ないよ」とあっさりとした様子で菊の言葉を否定する。一鷹の発言に度肝を抜かれた鉄百は頭が真っ白になった。菊も同等の気持ちを抱いたのか、表情筋が固まっていた。


「一体何があった? 一鷹の実力ならレギュラーは取れただろう」


 菊は声を荒げながら一鷹に問いかけると、一鷹は「それが目的を達するには一番効率が良かったからだよ。まあ試合前だからあまり多くは語れないけどね」と隠し事を彷彿させるような答え方をした。


「それとそろそろ会場に入らないといけない時間だから、チームに戻るね。それと今日の試合楽しみにしているよ」


 一鷹は別れと告げると、チームの元へと戻っていく。それを見送っていた菊は「俺らも戻るぞ」と張りのない声で吐くと歩き出した。一鷹は中学三年でレギュラー落ちを経験したとはいえ、技術力が優れているところを小学生の頃から目に入っていた菊にとって選手を辞したことは予想外の事態だったのだろう。

 

 丘段高校は会場に入場するとベンチ入りの選手達は試合の準備を行う。ベンチ外である鉄百はコートを見下ろせる観客席から試合の開始を待っていた。


「一鷹の話、本当だったんだ」


 鉄百はコート外に設けられた粒集高校側のベンチに腰掛ける一鷹を観察していた。一鷹は手に試合内容を記録するスコアシートを携帯していた。スコアシートはマネージャーが記録することが大半のため一鷹がマネージャである何よりの証拠であった。


 鉄百には何故マネージャー転向を決断したのかが理解できずにいた。転向の際には壮絶な葛藤を有していたのかもしれない。もっとも今の一鷹は紛れもない敵である。転向の真相が胸に引っかかるが、今は丘段高校、そして菊の応援に全力を注ぐつもりでいた。


 やがて両校の準備が整うと両校のスタメンがコートに並び挨拶を交わす。センターラインに両校一人ずつ残し他の選手は持ち場に付く。審判がボールを真上に上げる。ボールは特定の高さまで上昇すると、センターラインの二人が見守る中、寂静に落下する。センターラインの二人は一斉に手を伸ばしながらボールに飛び掛かる。そして丘段の選手がボールへ触れた瞬間、コート中が慌ただしくなる。


 丘段高校側のコートに弾き入れられたボールを丘段の選手を取り、ドリブリを付きながら敵陣へと攻め込む。粒集の選手が前に塞がるが磨き上げられたボール捌きで抜き去る。そして前方右斜めを走っていた菊へとパスが渡される。パスを受け取った菊は止めに来た粒集の選手を抜き去るとスリーポイントエリアからボールを前に構えシュートの体勢に入る。しなやかにコートを蹴って跳ぶ。跳んだ菊はボールを力みなく放つ。ボールは精密な放物線軌道で宙を流れる。ボールはゴールに接近しそのままゴールネットを揺らした。


 丘段高校のスコアボードに三点が表示されると、丘段高校関係者の歓声が会場を覆う。鉄百も当然のようにゴールに歓喜するが、その一方で粒集高校の選手たちに声を飛ばす一鷹の姿が鉄百の注意を引いた。


 試合は粒集高校側のボールで再開される。だが試合再開して間もない頃に粒集の選手がボールを奪取してしまう。奪取されたボールは菊へと繋がれ、またしても丘段高校が得点を重ねる展開になるかと思われた。ボールを貰った菊はドリブルで相手ゴールに向かって前進しようとするが、粒集の選手に周囲を固められてしまう。

 

 もっとも菊もこれまでの試合で相手の厳しい守備に体験しており、その度に相手の守備を打開してきたが、鉄百には今の菊のプレーが明らかに封じられている印象を受けた。


 菊がいくら守備を突破しようとしても動きが予測されているように相手に進路を塞がれた。菊はやがてドリブルを止め、丘段の選手にパスを出す。高速で手から弾かれたボールはパス先の選手に受け渡されようとしていた。しかしそのパスが通ることはなかった。


 パスは途中で粒集の選手に阻止され、そのままパスを奪った粒集の選手は丘段高校ゴールに迫る。丘段の選手が止めにかかるが粒集の選手は進路を塞がれる前に他の選手にパスを繋げていく。パスを受け取った粒集の選手もすぐさま他の選手にパスを渡す。

 

 粒集高校のパスは熾烈な戦いにおいても強固な守りを保ち続けてきた丘段高校守備陣の隙間を発見したかのように華麗な繋がっていく。そして粒集高校がシュートを放ちゴールネットにボールが沈んだ。


 この得点は丘段の選手にとって心を捻りつぶすかのような衝撃を与えたことだろう。どの実力の相手と試合をしても得点を奪われる。この得点に至るまでのプレーは丘段高校のプレーを見透した上で行われたような実感が鉄百にはあった。


 波乱の展開で始まった試合は前半が終わるまでに丘段高校側は得点を重ねるものの、粒集高校もほぼ同等の得点を稼いでいた。昨年の全国大会出場校が無名の高校に肩を並べられる展開に丘段高校の関係者の多くが浮き腰になっていた。何より問題だったのが菊の働きが徹底的に粒集高校に阻害されていることだった。チームの主軸である菊が機能しないとチームの総合戦力は低下する。結果的に粒集高校に苦戦する状況に至った。


 ただ能力面で他を突き放している菊を抑え込むのは至難の業だ。恐らく粒集高校は菊の動きを隈なく研究して、菊を抑える策を身につけたのだろう。


 やがて後半が開始されるが案の定、菊の向かう先々で粒集の選手達の妨害を受け、殆ど活躍できずにいた。監督もチームの歯車を正すためか、一旦菊をベンチを下げる。だが菊がベンチに座っている間でも丘段高校に余裕が生まれることはなかった。点差はほぼ僅差のままで進み、後半も半分を切った時点で粒集高校がこの試合で始めて得点で上回ってしまう。再度菊がコートへと戻るが、試合終了まで丘段高校が逆転することはなかった。


 勝者が決定すると粒集の選手達は歓喜するように大きく口を広げたり、選手同士で手を重ねあう。

一方で敗者となった丘段の選手達の様子は愕然していた。菊はコートの中で立ち尽くし瞳を震わせていた。

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