第2話
七月下旬の地区予選に向け部は練習試合などを通じて戦力向上を行っていた。だがその練習試合で小さいな異変が起き始めていた。
大会まで一か月に迫った六月下旬のある日。翌日に練習試合を控えた部員は監督に集められた。翌日のメンバー発表とユニフォームを手渡すためだ。メンバーに選ばれるかの運命の瞬間に部員達は緊張の雰囲気に包まれる。もっとも実力が部内で下位に位置しておりベンチ入りですら無縁であった鉄百は気楽な気分でメンバー発表に耳を傾けていた。
「明日のメンバーを発表する。まずスタメンからスモールフォワード須川――」
まずキャプテンである菊が呼ばれその後も部員の名が呼ばれる。そして四人の名前が呼ばれスタメン入りできる最後の五人目の名が呼ばれる。
「シューティングガード杉原。以上が明日のスタメンだ。続いてベンチ入りメンバーを発表する」
「シューティングガード杉原」と監督から告げられた後、シューティングガードのレギュラーである一鷹はスタメン落ちした現実から気を落とすこともなく、ベンチ入りメンバーの発表を坦々と聞いていた。
もっともスタメンの名に後輩である杉原の名が連ねるのはこれが初めてではない。六月入ってから実施された練習試合でスタメンに杉原が選ばれる機会はいくつかあった。
初めて杉原の名が呼ばれたスタメン発表では一鷹の唖然とした姿が鉄百にとって印象に残っていた。もっとも一鷹のスタメン落ちを重ねるにつれ、感情が表面化するような事態を目にする機会は皆無となっていた。
メンバー発表を終え練習が一段落付き、体育館の壁に持たれ休憩していた鉄百の付近で一鷹が菊に呼び出されていた。
「一鷹、予選が始まるまでこれから練習時間が空いた時は優先的に杉原に技術指導してくれないか? 同じポジションで
ある一鷹なら杉原をより上達させることができるだろうし」
「……えっ?」
菊の頼み事に一鷹は少しの間が空いてからやっと掠れた声が出た。だが端的な一言は返答からかけ離れていた。
「もう一度言うけど予選までの期間杉原に技術指導頼むな」
「――わかった」
一鷹の承諾を得た菊は「サンキュー」と柔らかな笑みで軽く謝意を述べるとその場を去る。一鷹の心情を懸念した鉄百は一鷹の様子を伺う。一人残された一鷹は鋭い見幕で菊を睨みつけていた。一鷹が菊に対し憤っていると察した鉄百は頭を抱える。菊が言い渡しのは一鷹の立場を考慮すれば酷な宣告だった。
先輩が後輩に対して技術指導を行うのは部の将来を考えればそれがレギュラー争いの相手でも特に違和感はない。それを監督ではなく主将である菊が告げるとなれば、ある思惑が見えてくる。
主将である菊自身が一鷹に技術指導を頼み込んだのは杉原を予選のスタメンとして期待している可能性があった。仮にそうだとすれば一鷹の技術指導で予選本番までに杉原を少しでも成長させたい思惑が見当できる。監督と菊の間でスタメンに関する取り交わしがあったかは不透明だが、一鷹からすれば主将からスタメンとしては勘定していないと宣告されたようなものだ。
鉄百は励ましの言葉を掛けようとするが、自然に問題が解決することを祈り見て見ぬ振りをした。鉄百にとって菊が大会で活躍できるよう練習の手助けが何よりも優先すべき事柄であり、それと併せて一鷹を励ましている心の余裕など鉄百には残されていなかった。
これ以降予選開始まで一鷹は杉原に技術指導を行うようになったが一鷹の指導への態度にやる気は見受けられなかったのは言うまでもない。
そして迎えたメンバー発表当日。案の定一鷹はレギュラー落ちし、新たにレギュラーに昇格したのは杉原だった。監督からすれば一鷹よりも遥かに身長が高く技術力もある程度兼ね備えていた杉原の方が活躍できると見込んだのだろう。
予選が始まるとバスケットボール部は菊が起点となり新戦力の杉原の活躍もあり試合で着々と得点を重ねていき、勝利
を重ね続けた。決勝も危なげなく勝利し全国大会への切符も手にした。全国大会では途中で敗れ去ったものの部創立以来最高の成績を残した。
部を引退した鉄百達の次の関心事は卒業後の進路に向いていた。菊は大会での活躍が目に留まり地元の強豪校・丘段高校への推薦が決まっていた。鉄百も菊を追いかけるべく丘段高校への進学を目指していた。鉄百は勉学では学年上位であったため一般入試での入学を目指していた。
「鉄百この前の模試試験の結果良かったんだろう。これなら同じ高校に通えそうだな」
「まだ模試試験だから油断禁物だよ。まだまだ勉強を積み重ねないと」
「まあ頑張ってくれよ。それより一鷹のやつどこに進学するか聞いていないか? 尋ねてもはぐらかされるし、一鷹も勉強できるからてっきり丘段高校へ進学するかと思ってたけど」
部を引退後、菊との仲には僅かな溝が生じていた。それに菊が気づいていない。菊の中では今でも一鷹は欠かせない友人なのだろう。 一鷹は鉄百との仲は良好だったが卒業後の進路については全く知らせれていなかった。一鷹も学業が優秀で地元の高校ならどこでも合格圏内だ。そのため進路はある程度選び放題といえる。選択肢が多いため悩んでいる可能性もあった。
そして時は流れ卒業式を終えた鉄百は名残惜しそうに中学校を後にし、帰宅の道へと着いていた。その最中偶然一鷹と遭遇する。
「あっ、一鷹」
「鉄百くん……」
思いがけない遭遇であったため、鉄百は言葉を詰まらせた。卒業式で顔を合わせていたため特に話すネタが思い浮かばなかった。鉄百は唯一聞きそびれた卒業の進路を尋ねる。
「今更だけど一鷹、卒業の後の進路のどこ?」
「それは内緒」
適当にはぐらかされた鉄百はこれ以上会話を続けても仕方ないと「夜から菊の自主練習に付き合うからその準備があるから帰るね」と一鷹の元を去ろうとする。
「菊くん……少しは自分のためにバスケを楽しんだ方いいと思うよ。そうでないといつか後悔すると思う」
「えっ?」
唐突な一言に鉄百は耳を疑う。菊に誘われて以降バスケに没頭してきた。確かに腕前は下手だが菊を手助けしプレーを追い掛けることでバスケの魅力に触れられている
一鷹は鉄百の表情を物静かに覗くと「唐突に変なこと話してごめんね。それじゃまた会おうね」と離れていく。鉄百の頭には一鷹の一言が頑なに頭から消えず、一鷹が視界から消え去った後も歩き出せずにいた。
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