第883話 一般の人からは、そう見られているのだなぁ。

5/24 読売新聞 夕刊のコラム「よみうり寸評」にこのような内容の文章が記載されていた。テーマとしては「カスタマー・ハラスメント」に関することだが、「新聞の顔」ともいえるコラムにこのような文章が載ったことについて、医療従事者として、悲しい思いをした。


<以下引用>

定期的に通院している大学病院の外来フロアに、緊張が走った。若い男が待ち時間の長さに苛立ち、押し入るように診察室に乗り込む◆別の患者を診察中の医師に男はまくしたてた。「予約時間から2時間が過ぎても見てもらえないのはどういうことだ」。非常識な行動ながら気持ちはわからないでもない。患者に時間厳守を求めながら平気で患者を待たせるのは、大学病院の悪弊だろう


<中略>


◆見過ごされてきた理不尽を、一つの言葉があぶり出す。今の流れを支持しつつ大学病院の一件が気にかかる。あれはカスハラだったのだろうか◆暴力、暴言は論外として平穏を乱す行動に理由がないとも限らない。セクハラなどとの、そこが大きな違いだろう。


<引用ここまで>


私は大学病院での診療経験がないので、何とも言い難いのだが、研修病院では定期外来は予約制、ということになっていたので、このようなトラブルは何度も経験している。巨大病院では、ほぼすべての病院が「電子カルテ」となっている。おそらくPC上では、診療時間を単位時間で枠を確保し、その枠に患者さんを組み込む、という方がシステムとして作りやすいのだろうと思う。枠を作らず、受付順に患者さんを並べて、順番に診察室の空いたところに患者さんを入れていく、ということの方がシステム設定として難しそうである。


予約枠の設定は、一人の患者さんに必要な診察時間を考慮して組まれているだろうか?定期通院の患者さんの診察時間の平均は約6分、というデータを見たことがあるが、患者さんの状態によっては、長い診察時間を要する場合もある。大学病院であれば、治療に長期間かかる疾患もあれば、命を左右する疾患や、高度で複雑な手術を要する場合もある。患者さんに、それらを説明するには結構な時間を要するだろうと思われる。


診察室で抱えきれない感情を吐露される患者さんも少なくないだろう。告知された病名にショックを受け、涙を流し混乱している患者さんを、「時間だから」と言って有無を言わさず診察室から出すのが「正当な医療」の在り方だろうか?患者さんからあふれ出る感情と言葉を受け止め、患者さんの気持ちが落ち着くのをサポートし、ある程度落ち着いてから診察室から出てもらうのが妥当だろう?


また、診察の結果、緊急で処置が必要、と判断されれば、その分医師の手を取られるわけである。そう言ったことが起きれば、当然予定の診察時間で済むわけがないだろう。


私の勤務するごく普通の「街中の小病院」でも上記のようなことは珍しくもない、日常のことである。患者さん一人一人の「抱えている問題」が異なるのである。患者さん一人一人に、必要とする時間はまちまちであり、どれぐらい時間がかかるのか、実際に診察して診ないと分からないのである。そういう点で、日本の臨床現場に「予約時間制度」は合わないと個人的には思っている。


私の研修医時代の病院は先に述べた通り、外来診察枠は「予約時間制」となっていたが、そのシステムはひどいものだった。何となれば、10分間に患者さんの診察枠が6つ用意されているのだ。10分で6人、なんてどう考えても無理である。しかもその6つの診察枠のうち、医師が直接触れるのは2枠だけであった。残りの4枠には、地域連携室や受付が患者さんを入れてくる。


今でも、外来で患者さんとやり合ったことは覚えている。患者さんは10時に来院、外来受付枠の中で、10:20の枠が空いていたので、受付はそこに患者さんを入れたのだ。当然のことながら、患者さんはそれくらいの時間には見てもらえるだろうと思うのが普通である。こちらもその気持ちはよく理解できる。


ところが、その診察枠、私のウェイティングリストでは「24番目」に当たるのだ。1人6分の平均診察時間で考えても24×6=144分≒2時間半となる。早くても診察は11:30頃になるのだ。


予想通り、11時過ぎに患者さんを呼び込むと、患者さんは大怒り。お待たせしているのは事実なので、「お待たせしてすみません」と頭を下げる。もちろん患者さんが診察室に入って来て、まず最初に言う言葉も「お待たせしてすみません」という言葉から入るのだが、それでも怒りをぶつけてくる人は少なくはない。


患者さんの怒りを聞いて、数回「すみませんでした」と謝罪すると、多くの場合は患者さんの怒りもある程度落ち着くことがほとんどなのだが、この時は10回近く謝罪しても、患者さんはお怒りモードであった。


そこまで責められると、こちらもいい加減腹に据えかねる。とうとうこちらも「怒りモード」になってしました。


「お待たせしてすみませんでした。お怒りの気持ちはよくわかりました。僕がお茶菓子を食べながら、チンタラ仕事をしていて、診察が遅くなった、というなら、怒ってもらって結構です!この診察机の上に、そんなものが置いてありますか?こちらは一生懸命に患者さんを診察しているんです。この画面を見てください。今日の僕の診察する患者さんリストです。あなたの名前は『24番目』にありますよね。初めて受診する人も含めると、大体一人10分くらい診察にかかるんです!そしたら、あなたは4時間後、13時の診察なわけですわ!それを、今、11:15分でしょ。2時間近く早くしているわけですよね。『いつまで待たせんねん!』ではなくて、『ここまで診察の時間を早くしてくれてありがとう』というべきでしょ!あなたには、このような内情は知らないと思うので、そう言ってもらわなくてもいいですが、もう『いつまで待たせんねん!』とヤイヤイ言うのは止めてもらえませんか!!」


と、かなりきつい口調で言ってしまった。殴り合いになるか、と心の中で覚悟していたが、患者さんの怒りのトーンも下がり、型通りの診察と必要な検査(この人は「おなかが痛い」ということで受診してこられていた)を指示して、検査に回ってもらった。


検査オーダーを書いている間に、近くの外科ブースから先輩が「まぁまぁ」と私を案じて顔を出してくださった。「まぁ、血圧でも測ろう」と私の血圧を測定してもらうと、収縮期血圧が220を超えていた。人は激怒すると、ここまで血圧が上がるのだ、と妙に納得したことを覚えている。


閑話休題。医事課では、診察の終了した方の精算も行なっているので、各診察室とも、どこまで患者さんの診察が進んでいるかは、その気になれば容易に把握できるのである。当然、どれだけの患者さんが受付終了、診察待ちになっているかも把握できる。医事課受付で、それを把握して、10時に来たこの患者さんを11時の診察枠に入れておけば、「いつまで待たせんねん!」ということにはならなかったはずである。


このようなトラブルは当然、どの医師の外来でも起きることである。月に1回、内科医局会が開かれていたが、ほぼ毎回、この「『いつまで待たせんねん!』と怒鳴られる」問題は話題になっていた。内科医の総意として、「当日受付の患者さんは、早い時間の診察枠に入れるのではなく、おおよそこの辺りの診察時間だろう、というところに入れてほしい」と医事課に繰り返し依頼をしたのだが、医事課からは「それは無理」(なんで?)という返事しか返ってこなかったことを覚えている。


研修病院を離れてからは、「診察予約」の無い、「来院順、重症の人は大急ぎで対応」というルールで外来を運用している医療機関で仕事をしているが、それでも、「もう1時間半も待っている!」などと言う人はやはりいるのだ。前述の通り、「お待たせしてすみませんでした」と謝罪して対応している。「待たされた!」と言われても、その人の前にたくさんの人が受付をしていれば、当然待ち時間は長くなるし、大急ぎで対応が必要な重症な人がやってくることも珍しくはない。


話が脱線してばかりで申し訳ない。診察の速度が、「予約時間」と一致しないのは、「患者さんの状態」が一定ではないこと、定期通院で医師が、「ではこの時間に」と予約時刻を渡すとき以外は、医師とは関係のないところで予約時間が決定されていること、そもそも、「外来」の「予約診療システム」が診察の実情と合っていないことなどが理由で、「医師」側の問題ではないことがほとんどである。


「いつまで待たせんねん!」と医師に怒鳴ったところで、「医師」とはほとんど関係のないところで起きている問題なので、こちらとしては正直「怒鳴られ損」なのである。


本文中で「患者に時間厳守を求める」というのは、おそらく「受付時間」のことを指しているのだろうと思われる。大きな病院の受付時間は多くの場合、9:00~11:00のことが多い。この受付時間については、病院の受付はかなり厳しい。11:05に受け付けてもらおうとしても「ダメです」と言われるだろう。


ただこれにも理由があって、「受付時間」以外の診療は「時間外診療」となるので、診察料も変われば、薬の処方日数にも制限がかかったり、などと、診療にかかわる様々な決め事が「時間内」と「時間外」で大きく変わるので、医事課は、「受付時間」に対してはとてもシビアである。


大学病院では、「検査」のためだけに受診することも多いと聞いている。この「検査」については、「診療」とは異なり、ほぼ予定通りに進んでいくので、「検査の予約時間」については、厳しい面があるかもしれない。


さて、私がこの寸評で、最も「問題じゃないか」と思ったことは、怒りに任せた患者さんが、他の患者さんの診察中の診察室に割り込んで、「いつまで待たせるんだ!」と怒ったことに対して、筆者が「非常識な行動ながら気持ちはわからないでもない」と書いていることだ。


「対医師」という点においては、「気持ちはわからないでもない」と言ってもいいだろう。しかし、場面は「診察中の診察室」であり、そこに関係のない第三者が割り込んだ、ということだろう。


「患者さんの医療情報」は本来、高度に守られなければならないものだろう。そのやり取りをしている診察室に無理から土足で入り込む、これが「プライバシーの侵害」でなくして何であろうか?それは「非常識」の一言で済ませていいものだろうか?


筆者の書いていることは、非常に一般的な感覚で書かれている。同意も得やすいだろう。私自身も、筆者の心の動きは容易に理解できる。しかし、筆者は「新聞社」の人間であろう。当然「人権意識」や「プライバシーの侵害」に対する感覚は、一般の人よりも敏感でなければならないはずである。


診察室の中での会話は、実は極めてセンシティブな内容だったのかもしれない。そこに他人がいきなり土足で踏み込んでいく、ということに対して、もう少し批判的な目が必要だろう。寸評の終わりの方の一文


「今の流れを支持しつつ大学病院の一件が気にかかる。あれはカスハラだったのだろうか」


とあるが、本文全体を読んでみると、「あれはカスハラだったのだろうか」の部分は「反語表現」と取りたくなる(文の本意は「あれはカスハラではない」ということ)。


医師の管轄外であることに対して、医師に怒りをぶつけること、またその怒りをぶつけるために、他人のプライバシーを思いきり侵害している行為に対して、「非常識な行動ながら、気持ちはわからないでもない」「大学病院の一件が気にかかる。あれはカスハラだったのだろうか」と述べているのである。


きわめて「感覚的」な文章であり、その背後にある様々な問題の原因に思考が届いていない、という点で、一般受けのする文章だと思う反面、慎重に医療を行なっているものとしては、読んでいて、とても残念な思いをした次第である。

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