第879話 よく考えたら、私が低学年のころに退職されているのだなぁ。

日曜日、午前7時のちょっと前に職場から渡されている携帯電話が突然に鳴った。いつもは5:50に起きていること、私も「おっさん」になって早寝早起きが習慣化してきたせいか、6時30分頃から布団の中でモゴモゴとYouTubeを見てウダウダしていたので、すぐに電話に出ることができた。


「もしもし、保谷です」

「先生、安田です。お休みのところすみません」


電話は在宅部・訪問看護ステーションの安田看護師長からだった。ということは私が訪問診療を担当している患者さんに何かがあった、ということだろう。


「大丈夫です。もう起きていました。」

「岩田さん、先ほど呼吸が止まった、という連絡が看護師の方に入ったようです。今日は先生は「看取り当番」ではないですが、「お看取り」どうされますか?」

「わかりました。僕が行きます。ご家族さんも、知らない医者よりも、いつも診察している私が行く方が安心でしょう」

「わかりました。それでは、岩田さんのところに訪問している看護師には、先生が向かわれること、伝えておきますね」

「よろしくお願いします」


とやり取りをして、電話を切った。隣の部屋で寝ている妻に声をかけた。


「おはよう。今呼び出しがあった。今から仕事に行くわ」

「うん、聞こえてた。気を付けて、行ってらっしゃい」


ということで、急いで着替えて、職場に向かった。職場でいつもの白衣を着て聴診器を持ち、「お医者さんモード」になり、岩田さんの自宅にタクシーで向かった。


先日の新聞で、100歳以上の方は「1世紀(センチュリー)」を生きておられるので「センテネリアン」と呼ぶ、ということを知ったが、岩田さんも103歳、立派な「センテネリアン」であった。私が岩田さんの訪問診療を始めた時点で、もう「センテネリアン」でおられたが、お元気な方であった。自宅内を動くのは問題ないが、病院に通院するのが辛くなってきた、ということで訪問診療を開始した方である。


残念なことに、2か月ほど前に、高熱でぐったりしている、ということで土曜日の午後に当院に救急搬送となった。搬送の時点で血圧も低下しており、これまでの病歴を踏まえ、「尿路感染症による敗血症性ショック」と診断した。土曜日の午後なので、検査も十分にはできず、ご家族も延命のための治療は希望しない、とのことだったので、失礼ながら「週末のうちにお亡くなりになるだろう」と思いながら、いわゆる「普通」の点滴、「抗生剤」の点滴メニューを指示し、入院とした。


「超高齢」の方は、やはり何か「普通の人」とは違って、「予想を超えて回復」することが多い。岩田さんも、週明けに出勤してくると、血圧は低めであるものの、発熱は改善しており、少し元気を取り戻されていた。今回の入院を契機に、経口摂取がほとんどできなくなったが、「低空飛行」の状態で3週間ほど安定した状態で入院を続けられた。入院した時から比べると状態が改善しており、「検査は可能だろう」ということで各種検査を行なうと、左の腎臓が完全に破壊され、「膿の塊(膿瘍)」となっている「腎膿瘍」という状態であることが分かった。


「膿瘍」は「細菌」と、「細菌を貪食して死んでしまった白血球」の塊である。膿瘍の治療の原則は「切開」「排膿」「ドレナージ」であるが、年齢を考えると、それを行なおうとすれば、そのための「麻酔」で命を落とすかもしれないこと、ご家族も、「積極的」に治療するよりも、本人が苦痛なく過ごされることを優先したい、ということだったので、「細菌」がまた暴れ出さないように抗生剤を続けて診ていく、という方針で進んでいくこととなった。


「低空飛行」「低め安定」の状態が続いていたので、ご家族より、「自宅で看取りたい」という希望が出た。ご家族、ケアマネージャー、訪問看護師さんなどを交えてカンファレンスを行ない、薬は「内服の抗生物質」のみ、「経口での栄養摂取」ができなくなったので、500ml/日の点滴を皮下に行なって経過を見る、という形で自宅に戻ってもらう段取りを行ない、1か月ほどで、自宅退院、自宅で療養ということにした。


毎週訪問診療を行なっていたが、ご本人は苦痛を訴えることなく、穏やかにお過ごしで、ご家族も、介護保険で様々なサポートが入っていたので、介護疲れでへばってしまうこともなく過ごされていた。1カ月の入院、1か月の在宅療養、合わせて2か月間、穏やかに過ごされたが、旅立ちの時を迎えられたのであった。


岩田さんは、音楽教師として定年を迎えるまで働いていたそうだ。タクシーに乗りながら、少しぼんやりと考えていた。おそらく、岩田さんが定年退職されたころは、一般的には「定年は55歳」の時代だったと思われる。と考えると、退職されたのはおよそ45年前のころだ。今から45年前、と考えると私がまだ小学校低学年のころだ。そのころに「定年退職される先生」は、子供心に「それなりにおじいさん、おばあさん先生」だと思っていた。「音楽教師」ということだそうだから、おそらく中学や高校で教鞭をとっておられたのだろう、と思うのだが、「私が小学校低学年のころに定年退職された方」だということに思いが至って、「100歳」という年齢、100年という時間の長さを改めて感じた。


ご自宅で休まれていた岩田さんは、穏やかな表情であった。本当に「眠っている」ようだった。型通りの身体診察を行ない、「死亡」と診断した。死亡と診断した患者さんには、ご家族に「死亡」の診断を伝えた後、必ず、患者さんの手に私の手を重ねて「お疲れさまでした」と声をかけている。そのあとで、少し長めに合掌をしている。心からご冥福を祈っている。ご家族の方も、自宅で最期をみとることができて良かった、とおっしゃっておられた。


入院された当初は、「この週末のうちに旅立たれるのでは」と思っていたが、それから2カ月。岩田さんはよく頑張られたと思う。長い人生、本当にお疲れさまでした。


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