第874話 それは本当に「幸せなこと」か?

今日の読売新聞朝刊。特集記事「ニッポン2050」では、人生100年時代を取り上げていた。老化の一因とされる細胞分裂をしなくなった老化細胞を生き延びさせている酵素を同定し、その酵素を阻害することで、マウスを用いた実験では「筋力の回復」や「臓器機能の改善」が確認されたそうである。その研究をリードする教授は「2050年頃には100歳まで働き、120歳まで余生を楽しめる世の中になっている可能性がある」と話しているそうだ。


寿命が100歳を超える人を「センテナリアン」というそうだが、2000年から2020年にかけての増加率が維持されるなら、2050年には2023年の5倍ほどになるそうだ。


寿命が延びることで、生産年齢層を拡大すれば、労働力不足は解消されるのでは、などという議論もされていた。


釈尊は何人も避けることのできない根源的な苦しみを「生老病死」の四苦として取り上げている。釈尊の言う通り、「生きる」ということは「苦しみ」なのではないだろうか、と疑問に思わなくもない。人間は「年を取って」死んでいくだけではない。若くして不治の病で命を落とす人もいれば、事故で命を落とす人もいる。心から愛しい人を若くして失い、その心の傷を抱えながら、70年も80年も生きていかなければならないとしたら、それはとてもつらいことである。


そのようなセンチメンタリズムだけではなく、医学的に考えても、先ほどの論理では解決できない問題を人体は抱えている。例えば、脳の神経細胞は新陳代謝はすれど、分化した神経細胞は本質的に細胞分裂を行なえない。「細胞分裂できない細胞」を維持させている酵素を阻害したならば、「本質的に細胞分裂をしない細胞」から成り立つ「脳」であったり、「軟骨組織」などはどうなるるのだろうか?


私は高齢者を中心に診療を行なっているが、お元気な高齢者でも、調べれば、加齢に伴う変形性椎体症で背中が曲がったり、側弯が起きたりしている方、加齢のために「軟骨組織」がすり減って発症する「変形性股関節症」や「変形性膝関節症」で、「動くのもままならない」とおっしゃりながら受診に来られる方はたくさんおられる。


「認知症」についても、アルツハイマー型認知症であれ、レビー小体型認知症であれ、神経細胞内に「厄介な物質」が沈着している。それが「発症」につながっているのか、「発症」の結果なのかはまだ分からないが、このような問題は、当初の議論では解決できない話である。


「老眼」は、内部の容積が決まっている水晶体の中で、水晶体を構成している細胞が分裂をつづけ、ギューギューに押し込められてしまうことで、水晶体が硬化してしまうことで起きる。さらに細胞分裂が続けば、水晶体は白く濁り始め、「白内障」を引き起こす。


「生命維持に必要な臓器」は機能を維持していても、筋肉は維持できても、骨格には問題があり、視力は低下していて、脳細胞には訳の分からない物質が沈着して、認知機能の低下を来している、とすれば、それは「ハッピー」なのだろうか?


この記事の通奏低音となっている「長生きはいいこと」という考えに私は強い拒否感を感じてしまう。


「寿命」を規定している遺伝的要素は確かに存在しているようで、一族が「ほとんど90歳以上」生きている家系もあれば、「ほとんど75歳くらいで亡くなってしまう」という短命な家系もある。残念なことにどうも私の家系は「短命」のようで、そういう点ではどこかで私も「早死に」するんだろうなぁ、と思いながら今を生きている。


「老化」を研究し、そこから「健康長寿」をどのようにもたらすか、ということは有益な研究であることは十分に理解している。ただ、「健康長寿」であれば「ハッピー」か?という単純な疑問に対しても、私は肯定的には答えられない。


という点で、新聞記事を見てモヤモヤする今日の私であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る