第869話 「心臓」にまつわるエトセトラ

私がずいぶんと若かったころ、(一応)デュオであるPuffyの「渚にまつわるエトセトラ」という曲が流行したことがあった。前回、完全房室ブロックの件で、いろいろと「心臓」のことを考えたので、なんとなく「心臓」のことを書いてみたい。とはいえ、細かく書きすぎると「教科書」になってしまうので、このエッセイの本旨「こころにうつりゆく よしなしことを そこはかとなく かきつくる」というところに戻って、うだうだ書いてみようと思う。


「心臓」は「生命の維持」には欠かせない臓器であることは論を待たない。古代は「心臓」に魂が宿る、と思われていたが、気持ちの状態によって心拍数が変わったり、胸に痛みが出たりすることもあるので、素直に「身体の声を聴く」と、そう思っても不思議ではない。実際にエジプトでのミイラづくりでは、「心臓」は大切に扱われていたが、「脳」については、鼻から掻き出してポイ、だったそうである。実際に上鼻道と脳との間には「篩骨」という骨があり、においを感じる部分は、大脳の嗅球から鼻粘膜に神経が出ていくため、本当に薄い骨の部分があり、おそらく簡単に頭蓋骨底から脳にアクセスできたのであろう。


閑話休題。「心のよりどころ」と思われていた「心臓」であるが、実際の構造は難しくはない。「4つの弁を持つ、筋肉の塊」と言ってしまえばその通りなのである。一つの卵から、2心房2心室の心臓が作られるまでは、非常に微妙で複雑な変化を遂げるので、心臓の先天奇形はそれほど珍しいものではない。心奇形については、文字通り「年を取って死んでしまう」まで問題にならないものから、生まれるとほぼ同時に治療介入を開始しないと「死んでしまう」ような奇形まである。


なので、小児の心奇形に対して「手術」で治療介入できる医師は「非常に高度な専門性」を要求される。その一方で、症例数そのものはそれほど多くはないので、おそらく平均して、各地方に「小児心臓血管外科チーム」は1~2チームいれば十分だろうと思われる。熟練の技を持った医師が各地方に2,3人、次代を担うために修業中の若手が5,6人、そして、「成人」の心疾患を受け持つ「心臓血管外科医」がトレーニングのために数人、交代でチームに入ればおそらくそれで需要をこなすことはできるだろう。


高度に専門的な治療を提供できる人材は「不可欠」ではあるが、「数」はいらない。逆に、私のような「よくある健康問題」に「専門診療科」を意識せずに適切に介入し、「専門医」の治療が必要かどうかを適切に判断でき、紹介できる医師、という、「プライマリ・ケア医」、悪く言えば何でも屋さんも、やはり質の良い人材は不可欠であると同時に、「数」も求められる。


アメリカでは、必要な「専門医数」を各学会が厳格に算定し、適切な選別を行なって専門医数をコントロールしているが、日本ではその辺りがルース、なのは日本の医療の問題点でもある。


閑話休題。心臓の疾患と言えば、先に述べた「先天奇形」以外を考えると、心臓の構造が先に述べたように、「4つの弁を持つ筋肉の塊」なので、心疾患も比較的容易に分類ができる。


「弁」にトラブルがあれば弁膜症。心臓の筋肉に問題があれば、原因があまりはっきりしなかったり、心筋に変な物質(アミロイド)がくっついて心筋のトラブルを起こす「心筋症」。ウイルスが入り込んで心臓の筋肉の動きを弱めてしまう「ウイルス性心筋炎」。細菌や真菌(カビ)は、心臓の筋肉ではなく、血液と接している内膜(弁も「内膜」の一部)に感染するので、「心内膜炎」、心臓の外側を包んでいる心外膜(心膜ともいう)にトラブルを起こし、心外膜と心臓の間に液が溜まって心臓の動きを制限する「心外膜炎」、そして、心臓の血管に閉塞が起き、心臓の筋肉が壊死してしまう「虚血性心疾患(心筋梗塞/狭心症)」、後は心臓が刻むリズムの異常である「不整脈」、そして、どの臓器にもできることがある「腫瘍(心臓なら良性腫瘍としては心臓粘液腫、悪性のものは『悪性リンパ腫』が多い)」と分けられる。


今、心臓の世界では、内分泌器官(ホルモンを分泌する臓器)としての「心臓」にも注目が当たっているが、どちらかと言えば、前述の病因によって障害された心機能に反応して、内分泌器官としての心臓が様々な物質の分泌を増やしたり減らしたりしている、ということになっているようだ。


前回、「完全房室ブロック」の話を書いたので、心臓の「自動能」の話と、心臓の動きをコントロールする『指揮者』の決定方法などについて書いてみたいと思う。


私たちの例えば両手足の筋肉は、動かそうと考えれば動き、動かさないようにしよう、とすれば、外力を加えてもその外力に反抗するように力が入る。このように、自分の意思で動かせる筋肉を「随意筋」と呼ぶ。「随意筋」は「動かさないでおこう」とすれば動かない。ところが、心臓の筋肉は「心臓を動かさないようにしよう」と固く決意し、念じたとしても、心臓の動きが止まることは基本的にはない。自分の意思に基本的には従わない筋肉を「不随意筋」と呼ぶ。不随意筋の代表としては、「心筋」や「消化管」の筋肉である。心臓は心筋そのものが「自動能」と言って自分自身で収縮と弛緩を繰り返す能力があり、消化管では消化管に張り巡らされた「腸管神経叢」とよぶ神経のネットワークを持っており、脳から心臓、あるいは消化管に出せる指示は「頑張って働いてね」か「リラックスしてゆっくりでいいよ/危険が迫っているから止まっていて」という指示だけである。


「呼吸」については、自律神経のコントロールを受けて、呼吸数や呼吸の深さをコントロールしているが、同時に自分の意思で「深呼吸」や「息止め」ができるようになっている。呼吸に関連する筋肉は横隔膜や肋間筋を含め、「随意筋」であり、呼吸にかかわる自律神経は無意識のうちに「筋肉を動かして」「リラックスして」と直接筋肉の動きを指示している点で、循環や消化とはまた異なったこととなっている。


さて、「心筋」は自動能を持っている、と書いたが、心臓の筋肉がそれぞれ勝手にてんでバラバラに動いてしまえば、必要な血液量を心臓から送り出すことができない。それが続けば死んでしまうことになってしまう。ちなみに、心臓の筋肉がてんでバラバラに動いて、心臓から血液が送り出せない状態を「心室細動」と呼ぶ。AEDなどで心臓に電気ショックをかけるのは、「てんでバラバラ」に動いている心筋を強制的に「リセット」させて心臓を止め、正しい心臓のリズムで動き出すことを期待しているのである。AEDは「救命のための機械」であるが、その仕事は「電気ショック」で強制的に「心臓を電気的に止めてリセットする」ことである。電気ショックは「心臓を強制的に止める」ためであって、「心臓を動かす」ためではないことに注意が必要である。


さて、それではどうして心臓は規則正しく動くのであろうか?心臓の筋肉には面白い性質があり、心臓の筋肉は「一番早くリズムを刻む細胞のリズムに合わせて収縮する」という性質を持っている。


心筋の自動能を決定しているのはカルシウムイオンとカルシウムチャンネルである。細胞外に比べて細胞内のカルシウム濃度は極めて低くなっているので、細胞膜にあるカルシウムチャネルを通じて、細胞外から細胞内にゆっくりとカルシウムイオンが流入する。細胞の膜電位は-70mV程度とされているが、外から陽イオンが流入するので、細胞の膜電位は徐々に上昇していく。そしてある一定の値(閾値)を超えると「電位依存性Naチャネル」が開き、一気に細胞膜電位が上昇(脱分極)し、心筋が収縮する。少しタイミングがずれて、「電位依存性Kチャネル」と「電位依存性Caポンプ」が働き、細胞内のKとCaを排泄し、膜電位が低下し、細胞の興奮が落ち着く。その後、流入したNaと流出したKはATP依存性Na-KポンプでNaが細胞内からくみ出され、Kは細胞内に取り込まれ、元の状態に戻る。電位依存性Caポンプも止まり、細胞内のCaイオン濃度も元に戻る、ということを繰り返している。


このCaイオンの流入速度が心筋の自動能の速さを決めているのだが、それが最も早いのが、右心房の後壁にある「洞結節」という領域にある心筋細胞である。なので、洞結節が一番最初に脱分極をするので、他の心筋もそれに続いて脱分極(興奮)し、収縮することになる。イメージとしては、最初に「洞結節」の細胞が「はいっ!」と手を挙げて、周りの細胞がそれにつられて順々に「はいっ!」「はいっ!」と手を挙げる人が広がっていくイメージである。


人間の心臓は2心房2心室であるが、「心房」と「心室」の間は「線維輪」という構造物で、原則として、一か所を除いて電気的に絶縁されている(絶縁が不十分な状態を「早期脱分極症候群」と呼び、その中にはWPW症候群などが含まれる)。なので、本来は心房の電気的興奮がそのまま心室に伝わることはない。というのも理由があるのだ。


前回の文章で、心電図では心房の収縮を表すP波から、0.16~0.20秒遅れて心室の収縮を示すQRS波が出る、と記載した。心臓の筋肉が収縮すると、心室の入り口の弁が閉じ、出口の弁が開いて心臓から血液が出ていく。そして収縮が終わり、心筋が弛緩すると、その勢いで心室に血液が流れ込んでくる。このようにして流れ込む血液量は、心拍出量の80%を占めると言われている。心筋が弛緩して、血液の吸い込みが一旦落ち着いたところで、心房が収縮し、心房内の血液を心室に押し込むようになっている。Atirial Kickとも呼ばれているが、心房の収縮で、残り20%の血流が押し込まれ、そして心室が収縮し、血液を拍出するのである。なので、先に心房が収縮し、少し遅れて心室が収縮する、ということには意味があるのである。


それを実現させるために、左右を分ける心房隔壁のところに「房室結節(田村の結節)」という構造物がある。日本の病理学者である田村先生が発見されたので、「田村の結節」という名前がついているが、今では圧倒的に「房室結節」と言われることが多い。心房を刺激した活動電位は「房室結節」を興奮させ、そこから心房と心室を隔てる線維輪を貫いた「His束」という構造(電線みたいなもの)を通る。房室結節~His束の刺激伝導速度は非常にゆっくりで、ここで時間稼ぎをする。


His束の後ろには3本の「プルキンエ線維」と呼ばれるいわば「電線」の役割をする構造物があり、速やかに心室全体に電気刺激を広げる。そして、心室全体に広がった電気刺激で、心室の心筋が収縮する、ということになっている。


この3本のプルキンエ線維は右心の方に行くのが1本、左前に行くのが1本、左後方に行くのが1本となっている。そして、年齢だったり、虚血性心疾患などで、この電線が切れてしまうことが珍しくない。右側へ向かう線維が切れてしまうことはしばしば起こり、QRS波の幅が広くなってしまう(正常なら0.12秒以内)。また心電図も特徴的な変化を起こす。QRS幅によって「不完全」あるいは「完全」と名前が付けられるが、右側に行く線維が切れた状態を「右脚ブロック」と呼ぶ。同様に「左脚前肢ブロック」「左脚後肢ブロック」、左脚の2本とも切れた場合は「左脚ブロック」と呼ぶ。


右脚ブロックであれば、それが「完全右脚ブロック」であっても、心エコーで明らかな異常がなければ、「経過観察」とすることがほとんどであるが、「左脚側」のブロックは何らかの器質的問題を抱えていることが多いので「注意が必要」とされている。


前回記載した人は、QRS幅は正常(narrow QRSということが多い)だったので、おそらく房室解離で、心室のリズムは「房室結節」~「His束」で作られたものだと分かる。3本に分かれた後にリズムを作り出す場所があれば、narrowQRSとはならないからである。


先ほども述べたように、心筋はほとんどすべて「自動能」を持っているので、完全房室ブロックで、心室の筋肉が収縮のリズムを作っていることもある。この時にはQRS幅は広くなっており(電線を通らずに刺激が広がっていくので、刺激の移動がゆっくりである)、この状況での心室の収縮は「補充調律」と言われることもある。


会社に例えてしまえば、社長からも部長からも全く指示が降りてこず、目の前で起こっている問題に対して、「平社員」が四苦八苦して対応している状態、と言えばわかりやすいだろうか?


補充調律すら止まってしまえば、完全に心停止である。なので、完全房室ブロックでは、大急ぎで一時的ペースメーカーを挿入する必要がある、ということである。


とりとめもなく、「完全房室ブロック」から思い浮かんだ、心臓の情報あれこれを綴ってみた。

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