第868話 時々やってくる「落とし穴」

当院での外来は、「通常の診察」と同時に「健診」を目的とされた患者さんもお見えになる。「健診」での診察と、「通常」の診察では、行なうことや、頭の使い方が少し異なるので、少々面倒だし、「健診」の方が、多くの場合、「定期受診」で診察に来られた方より時間がかかる。診察にかかる時間を考えれば、「初診で一筋縄ではいかない訴えの患者さん」>「体調不良で来られた『かかりつけ』の患者さん」>「健診の方」>「典型的な訴えで来られた初診の患者さん」>「体調の安定した『かかりつけ』の患者さん」という順番になるだろうか?


「健診」で来られた方の多くは、「ほとんど」の方が「深刻な問題」を抱えてはいないのだが、時に思わぬことが見つかる。本人がお元気そうであれば、心雑音や呼吸時の副雑音があったとしても、バイタルサインに問題なければ、「健診の結果を待ってください」でしのぐことができるのだが、本人が「元気そう」でもごくまれに「緊急で対応が必要」な病態が見つかることがある。


70代の男性で、当院には全く初めての受診。もちろん「特定健診」を目的で来院された方だった。当院では、特定健診の血液検査は外注となるため、当日には結果が出ない。なので、外来のルーティーンとしては、問診票にかかれている既往歴、現在治療中の疾患、体調不良を感じているところ、について「記載漏れ」が無いか問診を行ない、身体診察を行ない、当日行なった検査のうち、胸部レントゲンと心電図については結果を説明する、ということとなっている。


「健診」で手間なのは、「胸部レントゲンと心電図の結果説明」がある、ということである。「健診」ということは、「病気がないかどうか」を見てもらうために来られているのである。なので、これまでに当院で胸部レントゲンや心電図を取ったことがある人については、必ず「前回」のものと比較している。「比較」と言っても、チラチラっと見て「ああ、おんなじやなぁ」というレベルではなく、「胸部レントゲン」、「心電図」のどちらも、見落としの無いように、一定の順番で確認をしていく。ということで、胸部レントゲン、心電図ともそれぞれ2つの検査を丁寧に確認し、そのあとで写真や波形をディスプレイに並べて、本当に「新たな病変が無いかどうか」を確認している。なので、患者さんを呼び込む前に時間がかかる。


この患者さんは、以前の情報がないので、「比較」にかかる時間がないのは助かった。今後は胸部レントゲン写真についても「AI」で事前に所見がついていて、それが正しいかどうかを確認するという流れになるのだろうが、心電図では、私が研修医のころから、心電図計が、測定した心電図を解析して「病名」「所見」をつけてくれる機能がついていた。ただ、少なくとも現在まで、私が勤務した職場では「優秀なAI」が所見をつけてくれる心電図計にはお会いしたことがなく、初期研修医時代に師匠から教えていただいた「『心電図計の診断』は信用せず、自分自身で心電図を読みなさい」の教えを守っている。


この患者さんでは、胸部レントゲンでは心陰影の拡大を、心電図計の所見では、心拍 41回/分、心房細動となっていた。


以前に詳しく書いたので割愛するが、心機能が低下すると、心陰影は「拡大」する。レントゲンを見る限りでは「心臓が悪いんだろうなぁ」と想像した。そして心電図である。心拍数が「41」というのは明らかに脈がゆっくり(徐脈)である。もちろん師匠の教えの通り、心電図計診断を信用せずに心電図を確認した。


ちなみに心電図では、1回の心臓の収縮~弛緩までの1サイクルで起きる波形の変化について、それぞれ波の頂点(あるいは波そのもの)にアルファベットで名前がついている。ごくまれにみられるJ波は別として、正常の波形であれば、心房の収縮に対応するP波、心室の収縮に対応するQRS波、心筋の弛緩に対応するT波、電解質異常などではその後ろにU波が来る。このように名前がついている。P波とQRS波の間は0.16秒前後、Q波とT波の間は、心拍数で補正するのだが、補正QT時間は0.44秒程度と基準値が定まっている。


「心房細動」は「心房」が「規則正しく収縮」ではなく、「けいれん」を起こしている状態なので、P波が見つからない、あるいはQRS波の前が直線ではなく、不規則な波の形を取っている(これを「基線の揺れ」と呼ぶ)。しかしこの患者さんでは「これは『P波』だろう」と言うほどきれいなP波があり、基線の揺れもなかった。


そして、QRS波にも注目する。QRS波も深刻な問題はなさそうで、一定のリズムでQRS波が出現していた。ところが、先ほど、P波とQRS波の間は0.16秒程度、と書いたのだが、この患者さんではこの間隔(P-Q間隔)がとんでもないことになっていた。0.08秒の時もあれば、0.40秒の時もある。


今の循環器内科医が常に持っているのかどうか、というのは分からないが、私が医学生、あるいは初期研修医のころは、「循環器内科医」の胸ポケットには「ディバイダ」という器具が入っていることが多かった。


「ディバイダ」は「コンパス」の両方ともが「針」になったもの、とイメージしてもらえばよい。工学系の「製図」では、一定の長さを「図」に書き込む場合は、直接「図」に定規で長さを図って書き込むことはしない。「ディバイダ」で長さを計り取り、目的の場所に、その長さを写し取る、という作業を行なう。「ディバイダ」は「一定の長さ」を計り取ることができるので、心電図を見るときには、「リズム」がきっちりしているかどうか、ということが大事になる(時にはそれで診断名が変わることもある)ので、「変だ」と思うときはディバイダでリズムがきっちりしているかどうか、を確認するのだ。ちなみに私の胸ポケットにも研修医時代にいただいた「ディバイダ」が今でも入っている。


ディバイダで、P波の間隔を見てみた。隣り合うP波をディバイダで長さを計り取り、隣のP波と一致するかを順々に見ていく。時にQRS波やT波の中に紛れ込んでいることもあるが、T波では普通のT波とは異なる、明らかにP波が紛れ込んでいる波形となる。QRS波に紛れ込むと分からないのだが、仮にそこにP波があると仮定して、ディバイダを動かすと、針は次のP波に一致していた。


つまり、P波とQRS波は全く異なるリズムで、独立して収縮していた。この状態を「房室解離」と呼んだり、「三度房室ブロック」と呼んだり、「完全房室ブロック」と呼んだりする。この状態は、ご本人が元気そうにしていても、突然の心停止のリスクが極めて高いので、大急ぎで循環器内科に紹介。速やかに「一時的ペースメーカー」を挿入し、房室解離の原因検索と、「埋め込み型ペースメーカー」を埋め込む必要がある。


もちろん、上記のことは、「あれ?P波あるやん?」「P波とQRS波、リズムがおかしくないか?」と考えて素早くディバイダで評価し、「マジかぁ?完全房室ブロックやん!緊急で転送やがな!」と診断するまで5秒程度のことであるが、この5秒に、これだけのことを考えているわけである。


細かいことを書くと、心臓の教科書になってしまうので、この程度で留めておく。


患者さんを診察室に呼び込む。基礎疾患は不明だが、どうも施設に入所中、とのことだ。待合室から診察室に来るだけで、ゼーゼーと息を切らしている。前述のようにいろいろ確認するが、既往歴を聞いても、用を得ない。身体診察を行なったが、肺水腫を疑う副雑音や頚静脈の怒張、下腿浮腫は認めない。ただ、診察用の椅子から、腹部診察のために診察用ベッドに移ってもらうだけでもまたゼーゼーしている。この労作時の呼吸苦だけでも「緊急で高次医療機関に紹介」が必要だと分かる。


ご本人に聞くと、弟さんが当院に連れて来てくれたのだと。待合室におられる弟さんにも診察室に入ってもらい、結果説明。


「心電図を取ると、『完全房室ブロック』という緊急で対応が必要な疾患が見つかりました。今から急いで、緊急対応ができる病院を紹介します」


とお話ししたが、お二人とも驚きの、声が出ない状態だった。


「健診」は自費扱いで、この方は「市民健診」で来られたため、お金はかからない。その一方で、「転院」となると「診察」の上で転院、と「保険診療」となるので、医事課としてはたて分けが異なることになる。もちろん「健診」は「自費カルテ」に内容を記載し、「完全房室ブロックで緊急で紹介状作成」については「保険診療カルテ」に記載しなければならない。


バタバタとしながら、紹介状を作成、近くの総合病院に転院してもらった。


「健診」だからと言って、決して気楽なわけではないのである。時に大きな落とし穴がやってくるのである。

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