第861話 「製法」にかかわらず、『塩』を取りすぎれば、血圧は上がる。

今勤務中の病院では、COVID-19の流行と同時に、「医療講演会」を中断してしまったのだが、研修病院でも、以前勤務していた病院でも「医療講演会」として、様々な医療問題に対しての「講演会」を行なっていた。研修病院で行なっていた「医療講演会」はある意味、病院の知名度アップ&患者さんを増やすため、という目的であったが、前職場では、「かかりつけの患者さん」の「健康意識」を向上させるため、という目的であった。


目的はさておき、一般の人に行う「医療講演会」なので、当然扱う疾患も「おなじみ」のものとなる。「高血圧」を取り上げることは多かったので、「一般の人」が、どのような情報に接しているか、ということで、ネットの情報を検索すると、まことしやかに、下記のような情報が、たくさんのサイトで公開されていた。曰く


「精製された塩を使うと高血圧になる。昔ながらの製法で作られた塩を使うと、いくら塩をとっても血圧は上がらない」


とのこと。そして、そのページのリンクをクリックすると「天然製法の塩」の販売サイトに誘導される、というものであった。塩の値段は結構な値段であったことを覚えている。


うむむむ…。ほんまかいな、と思ってしまう。「昔ながらの製法で作られた塩」ということでそのサイトの塩の製法を見ると、これまた、むむむ…、とモヤモヤしてしまうのである。


かつては「塩」は専売公社が取り扱っていたが、今は「塩」も自由化され、「専売公社」の「塩部門」は現在は公益財団法人 塩事業センターが引き継いでいる。


日本では「岩塩」が取れないので、塩はすべて「海水」から作っている。過去から現在に至るまで、日本の塩づくりは「海水」を何らかの形で濃縮して、濃い食塩水(かん水)を作り、それをグツグツと煮て、水分を飛ばし、食塩の結晶を得る、という方法である。海水から塩を作るうえで、時代を画する技術は「イオン透過膜」を用いたかん水製造法が開発されたことである。これで、海水中の塩分を「食塩」として回収する効率が格段に上がったそうだが、この方法が一般化されたのは1960年代に入ってからである。それまでは、前述のようなサイトで売られている塩と同じ製法で「塩」が作られていたのだ。


では、1960年代以前に「高血圧」が問題になっていなかったかというと、決してそういうわけではない。もちろん、戦前、戦時中、戦後ともその時々で「健康問題」の中での重要なものは移り変わっていたわけであるが、日本国内でも特に塩分摂取量が多いとされた東北地方内陸部では、50代後半で「高血圧性脳出血」を発症し、命を落としていく、ということが一般的であったようだ。「そのサイト」で大々的に宣伝している「天然由来の塩」と同じ製法で作られた塩を食べていたのに、である。


「古典的な塩の作り方」はいくつかあるが、一番古くからある、と言われているものは「藻塩」である。藻塩作成に使われることで一番多く使われている海藻は「ホンダワラ」だそうだが、海からホンダワラを取ってきて、海水に浸しては干して、ということを繰り返した後で海水の塩分をまとったホンダワラを焼くそうだ。百人一首でも、


来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ


という藤原定家の歌が取り上げられている。焼いたホンダワラの灰にはたくさんの塩分が含まれているので、その灰を海水に溶かすと、海水よりも塩分濃度の高い「かん水」が作られる。そしてこの液の上澄みを掬い取って煮詰めてできるのが「藻塩」である。


あるいは、天気のいい、暖かい地域であれば、海岸に「塩田」を作り、海水を流し込んで自然乾燥で塩分濃度を上昇させたかん水を作る、あるいは沈殿した「塩」を集める、という方法もあれば、海水を砂の上に撒いて、天日乾燥させた後に、砂を集めてそれに海水をかけて、かん水を作り、それを煮て塩を作る、という方法もある。これらが、そのようなサイトの「天然の塩製法」ということになっているが、1960年代より前は、さすがに「藻塩」はないものの、塩田を用いたり、砂に海水を撒いて、塩分濃度を上昇させる、という方法で、国は塩を作っていたのである。


「健康にいい」と謳っている塩と同じ作り方の塩が、1960年代以前は普通に流通しており、それで「高血圧」などの健康問題が起きていたわけである。何が


「精製された塩を使うと高血圧になる。昔ながらの製法で作られた塩を使うと、いくら塩をとっても血圧は上がらない」


だろうか?とんでもない話である。しかも、結構そのように思っている人は多いようで、外来に来られた患者さんが「孫からそう聞いた」と言って、塩を変え、塩をガシガシ使うようになって、それまで安定していた血圧が不安定になったこともある。


さて、戦前の調査では、一日の塩分摂取量が最も多かったのは、東北地方の内陸部であったそうだ。孫引きになってしまうが、1908年の調査では、「内陸部」と言うほど山奥ではないが、「秋田県由利町(現在の秋田県由利本荘市)」では1日の食塩摂取量が35gを超えていたそうである。


これは如何ともしがたいところで、雪深い地域のため、冬には新鮮な野菜を取ることができない。野菜を保存しようとすれば、「漬物」にせざるを得ない。海沿いの街でなければ、新鮮な魚を食べることもできない。保存期間を伸ばそうとすれば、魚も「塩蔵物」とせざるを得ない。それで「味噌汁」も食べるわけである。


測定方法に若干の変化があったとしても、35g/日の塩分摂取量であれば、やはり「高血圧」それに付随する「高血圧性脳出血」は避けがたかったのだろうと思われる。ちなみに高血圧では腎臓も悪くなり、「腎硬化症」となり、現在では「腎硬化症」が人工透析導入の基礎疾患として増えてきているのだが、戦前の医療であれば、「腎硬化症」をどうにかしよう、という前に「高血圧性脳出血」で命が終わっていたのであろう。


世界レベルで、食塩摂取量と高血圧の関係について注目を浴びたのは、中南米に住む「ヤノマミ族」の存在だった。「ヤノマミ族」はほとんど食塩を取らない生活をしており、高齢者の中に「高血圧」のものはいなかった、ということが明らかになった。そこから、血圧と塩分摂取量の関係が注目されるようになった。もちろん、食塩多量摂取例として、東北地方内陸部に住む人たちも、別の意味で、血圧と食塩摂取量の関連を明確に示唆しているわけである。


ただ、視点を変えると、人間の中には、「塩分摂取量」に敏感に反応して血圧が増減する「食塩感受性」を持つ人と、あまり反応しない「食塩非感受性」の人がいることが分かっている。これは遺伝子によって規定されているようであるが、アジア系の人には「食塩感受性」の高い人の割合が多いようである。ただ、そうであっても、食塩感受性を持つ人の割合は多く見積もっても4割いるかいないか、程度であるそうだ。食塩の量(6~10g前後)では血圧に影響を受けない「食塩非感受性」の人が約50%程度とされている。それ以外の人は、「摂取する食塩量と、何か別の要因」が重なって血圧が上がるようである。


そうであるなら、摂取する食塩量を制限することに意味はあるのか?と問われると、実は「うっ!」と言葉に詰まってしまうところである。現在日本人の平均食塩摂取量は10g/日程度、厚生労働省の推奨は6g/日未満とされているが、文献上では、6g/日未満の方が寿命が長い、という結果は出ているものの、かつての35g→10gとすることで与えたインパクトを超えるほどのものではない。


先ほど、「ヤノマミ族」は塩分摂取量が少なく、高血圧の人がいない、と書いたが、平均寿命は決して長くはない。また、食塩摂取量を2g/日程度に制限した人と、6g/日に制限した人を前向きコホートで見ていくと、2g/日グループの方が、6g/日グループよりも短命であることが明らかとなっている。


食塩の取りすぎは、血圧だけでなく、浮腫の原因になったりもするので、「天然の塩」であろうとなかろうと、明らかに健康に悪影響を与えるのは確かである。その一方で、食塩量が少なすぎても、やはり健康に悪影響を与えるようでもある。週に1回、「検食」当番にあたっていて、「減塩食(塩分6g/日未満)、軟飯」のご飯を食べることがあるのだが、時々、「えっ?これ減塩食でいいの?」と思うほどしっかりした味付けのおいしいご飯の時もある。


そんなわけで、長くなってしまったが、伝えたいことは、「天然製法(古代の作り方をした)塩」だからと言って、決して「血圧が上がらない」わけではなく、その広告は「多分に嘘」だということ」、「高血圧の方で、「減塩がうまくいかない」とそこまで悩まずとも良い、ということ」、「食塩摂取量は、他の臓器疾患がなければ、6~10g程度で管理すればよい(疾患によっては厳格な食塩コントロールを要する方がいるので、そういった方は医師の指示に従ってください)だろう」


ということであった。高血圧は、気づかぬうちに動脈硬化性疾患の進行に悪影響を与えるので、適切に治療を受けたほうがいいだろう、と思う次第である。

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