第855話 似たような名前は要注意。

先月、滋賀県の市立病院小児科で、6カ月未満の乳児に対して、検査の際に鎮静に使う「トリクロリールシロップ」と、「尋常性疣贅(イボ)」の焼灼に使う「トリクロロ酢酸」を取り違えて使用してしまい、乳児の口腔内がひどくただれ、10日間の入院加療を要した、というニュースが報じられていた。


京都新聞 4/25付の記事では、


<以下引用>

センターによると、乳児は聴覚障害の疑いがあり、聴力検査のために3月11日、母親と耳鼻咽喉科を受診。眠らせるため、鎮静剤の「トリクロリールシロップ」を飲ませるべきところ、外来所属の50代の女性准看護師が同科の冷蔵庫にあった「80%トリクロロ酢酸液」を注射器で口から飲ませた。乳児は泣いて吐き出したが、約1ミリリットルを投与したと推測される。


<引用ここまで>


私は使用経験がないのだが、小児の検査では小児が泣いて暴れるため、正しく検査が行えない場合が頻繁にありうる。ある程度時間のかかる検査では「鎮静」をかけて検査をせざるを得ないものがある。おそらく今回の検査は「聴性脳幹反応」を見る検査だったのだろうと推測するが、ほかにも、MRIであったり、脳波の検査であったりなど、鎮静せざるを得ないものはいくつかある。聴性脳幹反応や脳波などは、ある程度鎮静剤の影響も出るかと思われるので、鎮静下の検査がどれだけの有用性があるだろうか?と思わなくもないが、それは横に置いておいて、頻繁に使われる薬なので、「トリクロ」と略されることが多いそうだ。


「薬名」を略すことはしばしばあり、時にはそれが「商品名」となっているものもある。例えば、便を柔らかくする目的で使う「酸化マグネシウム」、正式な名称は「重質酸化マグネシウム」なのだが、「重カマ」「カマ」「カマグ」と略されることが多く、私の知る範囲では、「カマグ」は商品名となっている。「イソジン消毒液」とセットで使われる「ハイポエタノール(チオ硫酸ナトリウム5水和物・エタノール混和液)」も現場では「ハイポ」と略されることが多い。


“hypo-“は接頭語なので、”hypotension”(低血圧)、”hypoxia”(低酸素血症)、“hypoperfusion”(還流低下)などなど、たくさんの言葉に着き、しかも「ハイポ」と略されることも多いので、文脈を聞かないと勘違いすることがありうる。「ハイポエタノール」については基本的には「イソジン消毒液」とセット、というのがある種「常識」なので、「処置をするから、イソジンとハイポ、用意してください」と伝えて、勘違いされることはまずない。ただ、これも「危ない」と言えば危ない、勘違いを誘発させやすい言葉であろう。


「薬剤名」として似たような名前のものもあるので、これまた危険である。今は電子カルテが主流であり、電子カルテであれば、薬剤名を最初の数文字入力すれば、候補薬が出てくる、という機能がついていることがほとんどである。私が研修医となったばかりのころは、研修病院には電子カルテが導入されていたが、2文字検索で、最初の2文字を入力すれば、候補薬のリストが上がってくるような仕様のものが多かった。


ただ、2文字検索とするとあまりにも誤薬が多い、という事がわかり、途中から3文字検索が標準、となった。私の「医師としての年次」が上がるほど、電子カルテからは離れていってしまっているので、現在の電子カルテがどのようなものなのかは(もちろんメーカーによっても若干仕様が違うので)ピンとこないのだが、やはり3文字検索は残っているのではないだろうか?


ただ、3文字検索にも落とし穴があって、「3文字目までは同じ」でも、全く別の薬、というものが存在するのが厄介である。例えば、「バイアスピリン(抗血小板薬)」と「バイアグラ」。普通の3文字検索なら、どちらも出てくる。「バイアスピリン」は抗血小板薬として、心筋梗塞、狭心症の人には普通に処方される薬である。「バイアグラ」は有名な薬であるが、心筋梗塞、狭心症の人に良く使われている「ニトロ」製剤(舌下で使う「ニトロペン」だけではない)と併用すると場合によっては致死的ともなりうる低血圧を来たすため、バイアグラとニトロ製剤の併用は「禁忌」である。心筋梗塞や狭心症で治療中の方で、ニトロ製剤を使用中の方に「バイア」で検索をかけ、「バイアスピリン」のつもりで「バイアグラ」を処方してしまうと、えらいことになる。


電子カルテに関連していたかどうかは不明だが、「サクシゾン(ステロイド)」と「サクシン(筋弛緩薬)」の指示間違いで、死亡事故が起きた、ステロイドの点滴投与は喘息重積発作で行なわれる治療の一つであるが、本来「サクシゾン」と書くべき注射箋を「サクシン」と書いてしまい、薬剤課も、本来は手術室でしか使わない薬剤である「サクシン」が「外来」からの処方箋に記載されていることをスルーしてしまい、誤投与となってしまったのである。喘息発作で頑張って呼吸をしているところに「筋弛緩薬」が入ってしまったのでたまったものではない。確か投与開始後少し医療スタッフ全員の眼がその患者さんから離れてしまい、患者さんの様子を見に行ったら呼吸停止していた、という事故だったように記憶している。


尿酸を下げる薬「アロプリノール」の先発品は「ザイロリック」という名前であった。また、胃酸の分泌を強力に抑えることで胃潰瘍の発生、増悪を防ぎ、発売当初は「胃潰瘍を『消化器外科』の病気から『消化器内科』の病気に変えた」と言われたほどインパクトを与えたH2 blockerである「シメチジン」。この市販薬の商品名が「カイロック」であった。


某どこかの診療所で、月に1回、泌尿器科の先生が応援で診察に来られていたのだが、泌尿器科の患者さんだけでなく、内科の患者さんもそれなりに見てくださっていたそうだ。ただ、おなかの痛い患者さんに処方する薬を「カイロリック」と記載するのが癖なのか、薬の名前をしっかり覚えていないのか、とにかく薬剤師さん泣かせだったそうだ。この処方箋では「ザイロリック」を処方したいのか、「カイロック」を処方したいのか、どちらかわからない!と薬剤師さんが困っていた、という話も聞いたことがある。そのほか、「アマリール(血糖降下薬)」と「アルマール(β-blocker)」も誤薬のリスクが高い、とのことで、アルマール→アロチノロールと薬名変更となったこともある。


今回の出来事については「薬の名前が似ていたこと」と同時に「保管場所」にも考慮をする必要があったのであろう。


記事では「トリクロル酢酸」を「外来の冷蔵庫」から取り出したと記載している。不適切な管理かもしれないが、よく使う薬剤は「外来」あるいは「病棟」の冷蔵庫にストックを置いておくことで、本来なら使用時に「処方箋」を書いて、それを薬剤課に持って行って、薬剤課が確認(もちろんダブルチェック)、薬剤を調合(これもダブルチェック)して、薬剤科が外来に持って行って、薬剤師と薬を受け取ったスタッフでダブルチェックして、ようやく使える、という手間を省いていたのかもしれない。トリクロリールシロップもトリクロロ酢酸と同じ冷蔵庫に入っていたのかもしれない。


という事を考えると、ヒューマンエラーとシステムミス、あるいはルール違反がこの問題には存在するのだろう、などと考えた。


高次の医療機関で、システムを固めれば固めるほど、柔軟性のなさにイライラすることがある一方で、あまりフレキシブルなシステムとしてしまうと、却ってヒューマンエラーの頻度が増えるのかもしれない。


簡単に「断罪」できない様々な問題が隠れているのだろう、と思う次第である。

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