第839話 カルテはしっかり書いたほうがいい(長文)

まとめサイトから見つけた記事。URLは以下の通り。いつまで残っているかはわからないが。


https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1103860?display=1


RKB毎日放送のニュース記事で、”TBS NEWS DIG powered by JNN”のサイトに記載されていた記事である。


佐賀県で起きた事件で、概略は以下のとおりである。


急に大泣きをし始め、右手を「だらん」と垂らした状態になった生後5か月のbabyちゃん。ご両親が「佐賀県医療センター 好生館」に緊急での受診を依頼し、同院に連れて行った。大泣きしてから病院につくまでの約1時間、babyちゃんの腕には腫脹も熱感もなかったそうだ。


同院の医療スタッフにbabyちゃんを渡し、ご両親は待合室で待っていたところ、20分後にレントゲンで「右上腕骨骨幹部らせん骨折」を指摘された。


受傷した骨折が「虐待」によって発生することがほとんどであることから、児童相談所が介入したり、babyちゃんの父が2年9カ月、「虐待」の疑いで拘禁されたが、福岡地裁、福岡高裁とも、父親の無罪、と判決。ようやく父親が釈放された、というものである。


福岡地裁、福岡高裁とも、「子供が大泣きして、右手がだらんとなった」原因は「右肘内障」の可能性が高く、「佐賀県医療センター 好生館」で対応した、2年目、および1年目の研修医が過度の整復処置で医原的に上腕骨らせん骨折を起こしてしまったと推測される、との判断であった。


と大まかにはこんな流れであるが、記事を読むと、色々と「あれ?」と思うところが少なくはない。


ただ、私個人も、この記事を読んで、babyちゃんの右手が動かなくなった原因は「右肘内障」だと思うし、ご両親の証言よりも、「好生館」の医療者側の証言の方が「信頼できない」印象を持つ。福岡地裁も、福岡高裁も、「公平な判決」を出したと思っている。


発症前後のことを、父親側の弁護団が時系列にまとめているので、以下に引用する。


<以下引用>

弁護団の説明をもとに事件当日を時系列で振り返る。

【午前2時】森口さんが仕事から帰宅。

【午前6時31分】森口さんが長男を膝にのせてあやしている様子を妻が写真に収める。この写真には長男が右手でおもちゃを持っている様子が映っており、この時点では骨は折れていなかったとみられる。

【午前6時40分】寝室で長男が大泣きし始める。別室で洗濯物を干していた妻がすぐに駆け付けた。妻は森口さんが長男へ駆け寄っていく瞬間を目撃している。両親は長男が腕を動かさないことに気づいた。「ぶらんとしていた」と証言。

【午前7時11分】佐賀県医療センター好生館に電話

【午前7時30分】病棟へ入る

【午前7時51分~8時1分】レントゲン撮影で「上腕骨骨幹部骨折」が発覚。

【午前8時2分】長男の写真撮影開始(カルテ伝送)

<引用ここまで>


ご両親が「嘘」をついていなければ、この経過で「上腕骨骨幹部のらせん骨折」というのは極めて不自然である。


<以下引用>

弁護側の証人として法廷にたった医師は、「ら旋骨折」について「肩も肘も固定された状態で前腕が回旋した場合」に生じると述べ、「医療関係者により過度な整復作業(骨を正常な位置に戻すこと)が行われることによって生じる可能性がある」と証言した。

<引用ここまで>


弁護側の証人となった医師の「らせん骨折」の機序については正確ではない。これは取材者側の無理解が影響しているのかもしれない。医師の言う通り、「肩も肘も固定」されていれば、上腕骨にどうして捻じれる力が加わるのだろうか?


たぶん正しくは「肩関節を固定して、肘関節を中心軸として、前腕を回旋する」というものだろう。肩関節が固定されていなければ、前腕を内旋、外旋しても上腕骨そのものが動くので上腕骨にねじる力は加わらない。ただ、肩関節、上腕骨近位端が固定されていれば、てこの原理で、前腕を回旋させることで、骨折を起こすに十分な力を上腕骨に与えるのは可能だろう。


生後5か月の児なので、「寝返りはできるが、ハイハイはできない」月齢である。「寝返り運動」をイメージして、腕をどのような位置に持ってきても、「肩関節/上腕骨近位端」を全く動かないように固定することはできないので、児自身の身体の動きで「上腕骨らせん骨折」を生じるのは無理である。弁護団のまとめた時系列では、「泣き声」を聞いて、父親が寝室に駆け込んでいる姿を母親が見た、となっているので、「父親が故意に加害した」というのは、「両親が嘘をついている」のでなければ、否定的と考えるのが妥当だろう。


受傷から、病院につくまで、1時間程度かかっているが、その間、ご両親は「右腕は腫れていなかった」と証言している。これは「本当」か「嘘」かにかかわらず、重要な証言である。


急性期患者を受け入れる病院の多くは、「トリアージナース」として、まず看護師が初期評価を行ない、「順番を飛ばしてでも早く診察しなければならない患者さん」と「順番通りの診察で待つことができる患者さん」を振り分けている。「好生館」もトリアージナースが先に評価をしていたようだ。トリアージナースは「トリアージ」だけでなく、様々な情報を問診で確認し、記録しているので、仮に両親が嘘をついていて「腫れていた」のに「腫れていない」と言って、トリアージナースが「腫れていない」と判断したのであれば、トリアージナースの能力が問われる、しいては病院側の問題となり、逆に両親が正直に「腫れていない」状態で「腫れていない」と伝え、トリアージナースも「腫れていない」と判断していたなら、「医師」と「トリアージナース」の間に「齟齬」が生じる。記事には明記されていないが、内容を読む限りでは、トリアージナースも「腫れていない」と判断したようである。


「好生館」で診察に当たったのは、「2年目と1年目の研修医」だったようだ。ただここが解釈が難しい。「『医師免許を取って』1年目と2年目」の研修医であれば「初期研修医」である。「初期研修医」の単独診療は認められていない。必ず「上級医」のもとでの診察が義務付けられている(有名無実化しているのかもしれないが)。なので、もし「初期研修医」二人が診察をしていた、とするならばそこにsuperviseするはずの上級医が不在なのは「おかしい」ことになる。


「初期研修」を終えて1年目、2年目の「後期研修医」であれば、彼らの専門診療科がどこになるのか、というところで話は揺らいでくるところだと思うが、ここについては、情報がないため何とも言えない。


そして、問題はここである。対応に当たった医師たちは、「上腕は腫れていた」と証言しているが、カルテには、「上腕が腫れていた」という記載がなかった、という事である。


「上腕骨骨折」がbabyちゃんに起きるのは、明らかに外部から不自然な力が、意図をもってかかったという事であり、「虐待」の大きなサインである。なので、上腕骨骨折を示唆する上腕の腫脹がもしあったとすれば、それを記載しない、という事は極めて考えにくいわけである。


逆に「記載が何もない」とすれば、「本当は腫れていなかったのかもしれない」「そこを診ていなかったのかもしれない」「そこに重要な所見はなかったのだろう」と推測されるわけである。「症状がない」という「陰性所見」は書き落とすことが多いが、「症状がある」という「陽性所見」を書き落とす、という事はまずない。そう考えると、診察担当医が「腕は腫れていた」といくら言っても、「ほんまかな~?」と考えるのが妥当である。


裁判所の判断も、結局はそういったことが決め手になっている。


<以下引用>

2審では、長男を診た当時2年目と1年目の研修医2人が、「救急外来を受診した当初から、長男の右腕に(肘内障の場合にはみられない)腫れを確認した」と証言している。


しかし、福岡高裁は判決で、「腫れが認められ骨折を疑っていたのであれば両親への対応も含め慎重な対応も求められる特殊な事案であることは容易に認識できたはず。にもかかわらず、当直の小児科医等に一報することもないまま、独断で長男の両親と隔絶してレントゲン検査が終わるまで研修医だけで診察等の対応を行ったことになるから不自然との感は否めない」とした。


さらに研修医ふたりの証言は、「カルテにもその(腫れの)記載がなく、看護師によるトリアージ結果とも整合しない」とした。


<中略>


福岡高裁判決より:「(両親に問診したとする研修医2人の証言は)細部に相当の食い違いがある。看護師も曖昧な証言をしており、証言の信用性に疑問を生じさせる。問診等が行われないまま長男を両親から隔絶して診察が行われた可能性が否定できない。研修医らが、事実と異なる証言をしているとすれば、隔絶して診察を行った際に医療事故を含め何らかの不都合な出来事が生じたのを隠そうとしているためではないかという疑念も完全には否定しきれない」


<中略>


福岡高裁判決より:「(長男の骨折は)経験の浅い研修医らが長男の右腕に明らかな腫れ等がなかったこともあって、肘内障の疑いがあると判断してその整復作業(正常な位置に戻すこと)を試みたが、実際にはそれまでのいずれかの段階で自然に整復していたため(正常な位置に戻っていたため)整復感が得られず、整複感を得ようとして過度な整復作業を行ってしまったため、骨折を生じさせたという可能性も完全には否定できない」


<引用ここまで>


ただ一つ気になるのは、「肘内障整復」でなぜ上腕骨らせん骨折が生じたのか、である。


説明のために使う「前腕の回内」「前腕の回外」について、簡単に説明しておきたい。「前腕」は肘と手首の間の部分を指す。手のひらを上に向けて、まっすぐ手を前に伸ばしてほしい。肘が伸びた状態で、上を向いている手のひらを下に向ける回転運動、これを「回内」と言い、逆に下向きの手のひらを上向きに戻す向きの回転運動を「回外」と呼ぶ。


私が教科書で見たことのある「肘内障徒手整復法」は2つある。


一つは、たぶんこれが正式なものなのだろうと思うが、基本的には保護者の膝の上に患児を医師に向けて正面に座らせる。医師は患児と向き合って、患側の肘を医師の「患側側」の手で持ち、母指を橈骨頭のあたりに当てる(患肢が右腕なら、医師の右腕で、左腕なら医師の左腕で持つ。そうすると、母指がちょうど病変部位の橈骨頭に自然に触ることができる)。患肢はだらーんと伸びた状態なので、医師の反対側の腕で、患肢の手首の下あたりを持ち、ゆっくり肘を曲げながらゆっくり回内、もう一度まっすぐ腕を伸ばして、今度はゆっくり肘を曲げながらゆっくり回外する。整復されれば母指にクリっとした感覚があるので、整復は終了、という方法が一つ。


もう一つは、やはり保護者の膝の上に、患児を医師に向けて真正面に座らせ、医師は患肢をゆっくり動かし、志村けん氏の「アイーン」の状態に持ってくる。この状態で優しく手首をつかんで2回ほど回内、回外をクリクリっと優しく行う、という方法である。整復の成功率はどちらも変わらない。


ただ、どちらの方法も、肘関節をしっかり固定しているので、上腕骨には全く力がかからないはずである。なので、もし「診察室」で「上腕骨らせん骨折」を受傷したとするなら、いったいどのようなことをしたのだろうか?というのが不思議でならない。


私が初めて肘内障の徒手整復を、指導医のもとで行なったときには、その後指導医から


「ほーちゃん、今から大事なことを伝えるで。もし『肘内障』やなぁ、と思ても、必ず両側の鎖骨、肩関節、上腕骨外科頸、上腕骨骨幹部、肘関節、前腕、手関節(つまり、鎖骨~腕全体)を必ず触診して、「痛みがないか」「変形してないか」「腫れてないか」を確認し、それから徒手整復をせなあかんで。診察の所見、結果もちゃんとカルテに書いとくんやで」


と言われたことを覚えている。また、生後6カ月の子供で「さっきから右手がブラーンとしている」という主訴で子供がERに受診した時には、私は後期研修医であったが、「肘内障」の自信がなく、整形外科当直医の先生にERに来ていただいて、指導を受けながら徒手整復したことも覚えている。


「先生、この年齢の『肘内障』、ありますから」


とアドバイスを受けたことも覚えている。


記事では、「検察官」と「児童相談所」の対応についても取り上げられていた。「検察官」の屁理屈論理で有罪に導こうとする姿勢は、厳しく非難すべき態度、対応だと思われる。


「児童相談所」の対応については、どうしても「病院からの虐待事例通告」となれば、厳しくならざるを得ないところがあるのは致し方ないようにも思われる。「虐待の事実がある」のに「ない」と答えることは日常茶飯事であろうことから、子供ファーストとなることは仕方のないことだろうと思う。


そのような姿勢で挑んでいても、子供の虐待死は起きているわけであり、そのような高圧的な対応が、実際に子供を助けていることも多いのだろうと思われる。真相は明確ではないが、「医師のウソ」がきっかけとなっていたのなら、医師は猛省すべきであろうと思うのと同時に、民事訴訟の被告となってもやむなし、ではなかろうか、とも思われる。


裁判官の推測通りに、「診察室内で起きた骨折」だとしたら、「医師のウソ」が周りを大きく振り回したことになる。


ただ、「骨折」したら必ず「腫れる」か?という事についても難しいところがある。私が前職場の診療所時代の話になるので、たぶん医師になって10年目くらいの時の話である。


土曜日の午前診に、「走っていてこけてから右手を動かさなくなった」という主訴で3歳の男の子がお父さんに連れられて受診した。診察室でお話を聞いた時点で、違和感と、何かが引っかかったような気分になった。


「肘内障」は「手を引っ張った時に発症」することが圧倒的に多い。「手をつないで歩いていて子供が転倒したけど、つないでいた手は離さなかった」、とか、「手をつないでいたが、子供が気にくわないことがあり、地面にへたり込もうとしたけど親が手をはなさなかった」とか、「お父さんが、子供の両手首をつかんでブランブランと遊んでいたら、急に手を動かさなくなった」なんてことで来ることが多いのだ。


なので肘内障の原因として「こけた」というのはしっくりこなかったし、何か大事なことを忘れているような気分になった。


指導医の言いつけを忠実に守り、子供の鎖骨~手首までを「腫れていないか」「押さえて痛みはないか」「触診でわかるような変形はないか」を注意しながらきっちり触診したが、痛みも腫れも変形も触れなかった。


何となくモヤモヤしながら、肘内障の徒手整復を行なうと、確かに「クリッ」と整復感があった。


「肘内障かなぁ?」


と思いながら、10分間待合室で過ごしてもらい、その後もう一度診察室に入ってもらった。


「肘内障の徒手整復」が上手くいったかどうかは、この「10分後の診察」で判断する。徒手整復直後はまだ痛みが残っているからだ。10分後の診察では、まず子供さんを私の膝の上に座らせる。そして、少し離れた位置に保護者の方に立っていただき、「抱っこ」をするように保護者の肩に手を伸ばしてもらう。子供も自然に両手とも同じように手を伸ばせば「徒手整復成功」と判断するのだ。


ただ、このお子さん、やはり右手をあまり伸ばそうとしない。


「手がだらんとして動かない、という訴えで来られる方の多くは『肘内障』という状態であることが多いのです。ただ、今回『肘内障』の整復処置を行ないましたが、やはり右手の動きは不自然です。これは整形外科の先生に診てもらいましょう」


とお父さんに伝え、近くの整形外科クリニックにすぐに紹介状を書いて受診してもらった。


数日後、そのクリニックから返信が届き、診断は「右上腕骨顆上骨折(ひじのすぐ上の骨折)」とのことだった。その時に心に引っかかっていた何かがようやくすっきりとした。


「国家試験の勉強の時、「子供がこけて手をついた」なら、上腕骨顆上骨折が多い」って勉強したやん!」


と思い出したのだった。ただ、あの時の子供、注意深く診察し、患側の肘関節も触診して変形や圧痛、腫脹がないかどうかを丁寧に見たのだが、無所見だった。


なので、「腫れてなくても骨折」は可能性としてある、という事は認識する必要があるだろうと思う。ただ、今回のことについては、裁判官は正しい判断を下したと私は思っている。

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