第834話 本当に5~10年後に「医師過剰」時代は来るのか?

私が登録している医療関係のスマホアプリや、ネット記事などで、「5~10年後には医師の数が飽和し、医師過剰の時代が来る」という記事が掲載されているのをしばしば目にする。毎年8000人前後が医師国家試験に合格しているので、医師が増加しているのは確かであるが、本当に医師数は「充足」したり、「過剰」になったりするのだろうか?


私がスマホに入れているアプリからの記事では、元となるデータは、H28年の厚生労働省分科会資料を基にしていた。この資料では、日本国内での医師数は30~32万人程度で充足、という事としているようである。もちろんこの数字の根拠としては、医師の労働時間、日本の人口、病床の区分、男性医師、女性医師、研修医、高齢医師の労働貢献割合をそれぞれ異なるものとして微調整したうえでの数字である。少なくとも、H28年度の時点では、マクロ(診療科や、医師の分布などを考えず、数字上で、という意味)では、その程度の医師数で十分賄える、との解釈だったのだと推測される。


医師法第六条第3項には、「医師は、厚生労働省令で定める二年ごとの年の十二月三十一日現在における氏名、住所(医業に従事する者については、更にその場所)その他厚生労働省令で定める事項を、当該年の翌年一月十五日までに、その住所地の都道府県知事を経由して厚生労働大臣に届け出なければならない。」との規定がある。もっとも直近のものは令和4年の統計があるが、その統計では、令和4年12月31日現在で、医師は34万3725人と厚生労働省では把握されており、マクロの視点からすれば、「医師数は充足された」とみてもよさそうなものである。


ただ、この統計で興味深いのは、前回の令和2年度と比較して、医師数は3652人増加、と記載されていることである。毎年8000人前後の医師を生み出しているので、2年で1万6000~1万7000人程度の医師が新たに含まれているはずであるが、増加数が3652人、という事は、1万3000人前後の医師が廃業あるいは亡くなっていることを示しているのであろう。


もちろん、この統計で示された34万人を超える医師がすべて診療業務に従事しているわけではない。起業したり、行政職についていたり、基礎系の教育職や、製薬会社、保険会社などで「医師の資格」を用いて業務している人も含まれているので、実勢としては、やはり32万人程度、となるのだろうか?


「医師の充足」という点で考えると、「総数」だけではなく、「診療科」や「勤務場所(地域、勤務する病院の種類)」なども考慮する必要がある。そういうことを考えると、やはり、診療科の偏在、地域の偏在、勤務する病院の偏在など、「充実した医療体制」の実現には、クリアすべき問題が横たわっている。


厚生労働省など主要な官庁には、当然のことながら優秀な人材が、難しい試験を乗り越えて入省するわけである。新規医師数をもっとも簡単に調整しようとするなら、「医師国家試験」の合格者を調整するのが一番であることは、厚生労働省自身がよくわかっていることである。現在の医師国家試験の「合否」にかかわる規定が私たちのころと変わった、という話は聞いたことがないので、私のころの話をすると、「合格」についての規定は存在しなかった。合否にかかわる「公開された」要件は2つだけだった。


一つは「必修」科目で得点率8割未満であれば、他の成績にかかわらず「不合格」、もう一つは「禁忌肢」を選択すると、他の成績にかかわらず「不合格」、という二つだけであった。あとはすべて「厚生労働省」の裁量である。「不合格」の規定はあれど、「合格」の規定なんてものは存在しなかった。


長期ビジョンを持てば、「医学科の定員」をどうするか、などの議論になるが、新規に医師になる人を調整しようとすれば、「厚生労働省」側が、合格ラインをどこに設定するかで数百人程度はすぐに調整できるわけである。


新規の医学科開設を許可したり、「地域枠」を設けたり、医学科の定員を増やしたり(ここは文部科学省との折衝が必要だと思うが)しているわけで、今の医療政策を考えるならば、「厚生労働省」は「医師過剰」とは考えていない、あるいは「医師過剰」を容認する方向にあると推測される。


本当に「医師過剰」となっているなら、「医師にとっては『害悪』でしかない」労働時間規制を撤廃すべきであるし、撤廃できるであろうと思われる。「働き方改革」などと言われているが、他の業種についての状況はわからないものの、「医師の労働時間規制」は却って「医師の過重労働」を覆い隠すものでしかない。


最近拙文でも取り上げたが、クモ膜下出血で永眠されてしまった医師。亡くなる前の労働時間を見ると、明確に「過労死ライン」を越えていたのだが、勤務先の病院が、深夜帯の業務について、労働基準監督局に「宿日直許可」を申請し、許可を得ていたのだ。


「宿直」の定義は、「基本的には休憩時間で、時に軽い作業のために起こされることがある程度のもの」とされている。深夜帯の仕事量は、ある程度日によって波があるため、業務量の少ない日を寄せ集めて「宿日直許可」をいったん取ってしまえば、宿直帯にどれだけ仕事をしようとも、上記の「宿直」の定義に合わせて、「休憩時間」とされてしまうのだ。


前述の医師は、「深夜帯」に「宿直」とはとても言えないような業務量をこなし、遺族はカルテなどで、その労働実態を明確にしていたが、裁判では「宿日直許可」が出ているから、その時間帯は「休憩」として、その労働実態を認めなかった。なので、認定された労働時間は「過労死ライン」を越えず、「適切に休憩を与えていた」として「過労死認定が下りなかった」という結果になってしまった。どう考えても「おかしな話」なのだが、ルールに従うとそうなるらしい。


本来は過労死する医師を減らすために考えられた「労働時間規制」だったはずなのだが、「宿日直許可」という抜け穴のために、却って「建前」で実害を被る、という事になってしまった。しかも恐ろしいことに、数多くの、夜間帯にもたくさんの救急患者さんに対応している「急性期病院」が「極めてトリッキー」なことをして「宿日直許可」を取って4月からの医療体制を維持している。


急性期病院が、従前の医療体制を維持しようとするなら、「宿日直許可」を得ることが不可欠、という状態なのである(都市圏で、かなり医療体制としては充実しているこの地でさえ、である)。医師会の会合では某急性期病院が「宿日直許可」を得るために、何度も何度も申請をし直し、とうとう、「医者が診察室、処置室」にいる時間のみを「労働時間」とし、それ以外(部屋を移動中であったり、検査結果が出るまでの間、医局で書類書きをしていたり)の時間は、すべて「休憩時間」とみなすことでようやく「宿日直許可」の申請が通った、という話を聞いている。こんなの、どう考えても「こじつけ」であり「理不尽」でもある。


ニュースでも、とある県の急性期病院。「宿日直許可」を取るために、医師全員に「発信機」を持たせ、どこにいるのかを明確にし、「医局」にいるときは休憩時間、病室、診察室、処置室にいる時間のみ「労働時間」とすることとしたそうだ。それまでは医局に「電子カルテ入力用」のPCが複数台置いていたそうだが、それでは「医局滞在時間」を「休憩」とできないため、わざわざ医局の電子カルテを移動させ、「電子カルテ室」なるものを作って、そこでカルテを入力するようにした、という徹底っぷりで、ようやく「宿日直許可」が取れた、という話だった。


個人的には、そこまで医師の居場所を絞り込めるのなら、「当直室、トイレ、シャワー室」にいるときは「休憩時間」、その他の場所なら労働時間、とすれば良さそうなのだが、おそらくそれでは「宿日直許可」を取れなかったのだろう、と推測される。


現実に、「宿日直許可」が適切な病院も多々あるので、そういうところは「宿日直許可」でよいと思うのだが、本来不適切なところまで「宿日直許可」を申請しなければ医療が回らない、という時点で、「医師が充足、飽和」とは程遠いと思うのだが。


色々と変な話である。

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