第829話 「春」と「さくら」~今日のNHKラジオ「サタデーエッセイ」から

土曜日の出勤時に、カーラジオから流れてくるのは、大体ラジオ体操と、その後続く番組「My!アサ」のニュース、そして「サタデーエッセイ」のコーナーである。それが終わって、少しリスナーさんのお手紙が読まれ、6:55からはローカルニュースが流れ、そして7:00のニュースが始まるが、大抵、ローカルニュースが始まるころには職場の駐車場に到着しているのがほとんどである。


さて、今日の「サタデーエッセイ」は指揮者の西本 智美さんが担当だった。話題は「春」そして「桜」の話だった。


クラシック音楽に限らず、西洋の「何か歴史的流れのあるもの」を学ぼうとすると、どうしても「ラテン語」が出てくることが多い。当然「医学」もしかりで、特に解剖学的用語は私が医学生当時は「日本語名」「ラテン語名」の両方で覚えることを要求された。私の次の学年からは「日本語」と「英語」になったが、「英語」になっても所詮は「ラテン語」の派生。「骨」が「Os」から「bone」になったり、「関節」が「Articlation」が「joint」になっても、例えば首を左右に動かす筋肉(横を向くときには首に浮き出ます)である「胸鎖乳突筋(胸骨・鎖骨から始まり、頭蓋骨の乳様突起に終わる筋肉なのでその名前)」は、ラテン語で”Musculs Sternocleidmasutoideus”だったのが、”Sternocleidomastoid muscle”になるだけなので、それほど楽になったわけではない。


閑話休題。もちろんクラシック音楽も同様で、西本氏曰く、「さくら」→”sacra”はラテン語で「聖なる」という意味だそうだ。確かに“sacrament”((神聖な)儀式)や”sacrifice”(生贄、犠牲)もそこから来ているのだろうなぁ、と容易に推測できた。「聖なる」という意味の”sacra”と「さくら」につながりを感じるのは、日本人だからなのだろうか?


さて、「春」と「クラシック音楽」と聞けば、多くの人が、A.Vivaldiの「四季」より「春」を思い浮かべるだろう。卒業式や入学式と言えば、ほとんどの場合、「春」の第一楽章が流れているような印象である。


もう、若い人たちには「アルバム」という概念が無くなっているのかもしれないが、レコード時代、そしてCD時代は、アーティストが複数の楽曲を1枚に、何らかのコンセプトを持ってまとめ上げたものを「アルバム」として販売していた。バロック時代には当然レコードもCDもなかったのだが、作曲家は何らかの「コンセプト」を持った楽曲を「楽譜集」という形でまとめて発表していた。特定の作曲家では、それぞれ独自の表現(例えばJ.S.バッハであれば”BWV”、モーツァルトなら”K”)があるが、一般的には“Op.〇―△”と表記することが多い。


Vivaldiも同じく、あるコンセプトを持って作曲した楽曲の楽譜を、12曲(バロック時代は1曲に第一~第三楽章の3つの曲がセットとなっている)ほど集めて、楽譜集を作っている。有名なものは3番の「調和の霊感」、4番の「ラ・ストラバガンツァ」、そして8番の「和声と創意の試み」などがある。有名な「四季」はこの「和声と創意の試み」に入っている曲である。Vivaldiはベネツィアの人だが、この「和声と創意の試み」は、フランスの「定型詩」である「ソネット」が各曲についていて、そのイメージをもとに作曲されているそうである。「春」につけられたソネット、詳細は忘れてしまったが、華やかな春の歓び、そして、天気が変わって雷雨、そして雷雨が終わってまた春の明るさ、というような詩だったと記憶している。確かに「春」の第一楽章もそのような構成になっていた。


なるほどなぁ、と思いならがラジオを聴き、車を走らせていた。


ただ私は、Vivaldiの「春」は有名な第一楽章よりも、第三楽章の方が、より「春」を感じさせてくれるように思えて、こちらの方が好きである。私たちの結婚式の時、入場曲は私の希望でこの曲にしたことを覚えている。

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