第828話 プロトロンビン時間(PT)をみて、「屋上屋を架す」の意味を痛感する

血液検査の中でも、血液の凝固系を評価する項目の一つに「プロトロンビン時間(PT)」という検査がある。


血液には相反する2つの性質が要求されており、その性質を満たすために、複雑かつ巧妙なシステムが存在する。その二つの性質とは、「血管内では絶対固まってはいけない」と「血管から漏れ出たらすぐに固まらなければならない」という性質である。血管内で固まってしまうと、その塊が「血栓・塞栓」となって、詰まっているより先の血管に血液が流れなくなってしまう。脳の血管で起これば脳梗塞、あるいは脳塞栓症、心臓を栄養する冠動脈で起きれば心筋梗塞、腸管を栄養する血管で起きれば、腸管壊死、手足の血管で起きれば、その部位より遠位の阻血性壊死(Volkman拘縮)となってしまう。逆に、血管から漏れ出ても固まらなければ、いつまでも出血が止まらず、小さな傷でも出血性ショック、失血死につながってしまう。


血液疾患ではしばしばこのシステムが崩れてしまう事がある。私が後期研修医時代に経験した60代男性の患者さん。主訴は「吐血」という事で搬送されてきた。それぞれの病態で、ある程度行うべきことは決まっている。「吐血」の患者さんであれば、上部消化管出血として、内視鏡室に「吐血の患者さんの緊急内視鏡お願いします」と一報を入れ、一般採血と輸血用の採血(輸血用に用意した血液と、患者さんのお身体の間で不具合が起きないかどうかの確認用)を検査室に提出し、輸液でバイタルサインを安定させ、輸血が用意できれば内視鏡室で内視鏡的止血術を行なってもらう、という流れである。


ルーティーンで採血を検査室に提出するとしばらくして、検査室から連絡が入った。


「患者さん、白血球の著増、高度の貧血、血小板の著明な減少、検鏡では芽球(未成熟の血球、普通は末梢血には出てこない)が多数見え、急性骨髄性白血病を疑います」


とのことだった。バイタルが落ち着いた時点で、上部消化管内視鏡を行なったが、特定の出血点があるわけではなく、胃粘膜全体からにじむようにじんわりと出血が続いていた(にじむような出血を”oozing”という)。このような状態では「内視鏡的」には止血ができない。当然のことながら、血液を固める「凝固系」が狂っている証拠である(この状態をDIC:播種性血管内凝固症候群と言う)。ちなみに最初の相反する性質は、この「凝固系」と、固まった血栓(二次止血状態の血栓)を溶解する「線溶系」という二つの相反するシステムがバランスよく働くことで実現されている。


この患者さんについては、内視鏡後、ICUで管理。貧血に対しては赤血球輸血、易出血状態については、足りなくなった「血小板」の輸血、血液を固める「凝固因子」が含まれている新鮮凍結血漿(FFP)を緊急で輸血し、貧血の進行は一時停止。それと同時に白血病の治療を行なうことができる病院への転院調整を行ない、何とか命をつないだ状態で、2日後に無事に血液内科につなぐことができた。


閑話休題。血管から出血した場合には、まず「出血を止める」働きのある「血小板」が出血点に凝集して止血(一次止血)、と同時に「凝固系」と言われるシステムが働き、最終的に「フィブリン」という糊のようなたんぱく質で止血のために働いた血小板もろとも固めてしまって止血(二次止血)する、という形で出血を止めている。


この「凝固系」というのがまたややこしく、出てくる役者(凝固因子)は13個、これが、「凝固系」の反応の流れの順ではなく、発見された順に名前がついているので、どの凝固因子がどの凝固因子を活性化して、という事が非常に覚えにくく、毎年たくさんの医学生を「追試験」に陥れているシステムである。


凝固系は「内因系」と呼ばれるシステムと「外因系」と呼ばれる二つのシステムから構成されているが、どちらも最終的には「共通系」と呼ばれる部分、プロトロンビンというたんぱく質を活性化してトロンビン、というタンパクにし、トロンビンが「フィブリノーゲン」を「フィブリン」にする、というメカニズムに合流する。「外因系」は、血液が血管外に漏れたとき(だから「外因系」)にスイッチが入る。「内因系」のスイッチが何か、という事ははっきりしていないのだが、それでも内因系に属する第Ⅶ因子、あるいは第Ⅷ因子の欠損、あるいは高度の酵素活性低下でそれぞれ「血友病B」、「血友病A」を引き起こすことがわかっており、「内因系」も非常に重要なシステムであるのは間違いがない。


前置きが長くなったが、この「プロトロンビン時間(PT)」は「外因系→共通系」の流れを評価する検査である。「内因系→共通系」の流れを評価する検査「活性化部分トロンボプラスチン時間(APTT)」とセットで行なうことが多く、PT正常、APTT異常なら内因系の異常、PT異常、APTT正常なら「外因系の異常」、両方おかしければ「共通系の異常」と分かるのである。また、PTは、現在は使用頻度が少なくなった、血液凝固を抑える薬「ワーファリン」の効果判定にも用いられている。ちなみにほとんどの凝固因子は肝臓で作られること、新陳代謝が速いたんぱく質なので、肝臓が物質を合成する「合成能」の評価のために凝固系の検査を行なう事も一般的である。


PTの悩ましいところは、その歴史背景から、その結果を表すのに3つの形があることである。一つは、名前の通り、反応を始めてから血液が固まるまでの時間を結果として返す場合、一つは、基準となる血漿のPTの何%の活性があるか、という「パーセント」で返す場合、そして、国際標準として定められた「PT-INR」の値を返してくる場合があるのだ。


医学は歴史が長く、どうしても「屋上屋を架す」の言葉通り、結構つぎはぎになっていて、肝臓の状態を表すとある分類では「パーセント」を用い、また別の分類では「時間」を用い、またある分類ではPT-INRを用いる、という形でPTの使い方については、統一がなされていないのである。


今の職場でお願いしている検査会社では、PTをオーダーすると、時間、パーセント、PT-INRの3つを返してくれるので大変ありがたいのだが、前職場の診療所が使っていた検査会社、そして研修病院では、時間とPT-INRしか結果が返ってこず、「パーセント」を用いて肝機能の評価をする指標を用いるのに非常に困ることがあった。


「時間」と「パーセント」を換算できる「換算式」があれば便利なのだが、残念なことにそのようなものは存在しないようである。


本日入院された患者さん、肝機能障害があるようなので、以前から悩まされていた「PT」について、色々と調べてみた。


「時間」については、本当に試薬を入れてから固まるまでの時間を見ているようである。「パーセント」表記は、「基準となる血漿」を原液から順に希釈して、反応の速度の「検量線」を作成し、検査検体の時間が何パーセントのところに来るか、という事で測定するようである。


PT-INRも基準となる血漿の凝固時間と検体の凝固時間を比較し、基準血漿につけられている補正係数を用いて算出する。


という事を学んだ。そう考えると、概算ではPT-INRの逆数がおおよその「パーセント値」に近づきそうだ、という事が分かった。


20年来の謎が今日、ようやく少し解決した。とはいえ、このPTにかかわる取っ散らかりようは、逆に「医学がどのように進歩してきたか」の反映でもあるなぁ、とも思うわけである。


生物の進化を学んだり、今回のPTのようなことで悩んだりすると、「屋上屋を架す」という言葉の意味が切実に伝わってくる。なるほどー、と思った次第である。

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