第827話 ふと、桜の木を見て考えた。

入学式のシーズンである。ちょうども桜もいい塩梅に咲いており、「桜の花とともに新たな1年を」という気分にもさせてくれる。


なんてことを思いながら、今日も出勤のために車を走らせていた。職員用の駐車場に車を止め、周囲のお宅の庭先に咲く桜の花を見て、ふと考えてしまった。


「桜の花は「始まり」なのだろうか?」と。


シャケの遡上でよく知られているが、シャケは子孫を残す繁殖行動を終えるとその寿命を終える。しばらく前に「鉄腕DASH」で見たが、「ミズダコ」も、産卵し、卵がかえるまでメスダコは頑張るが、その後寿命を迎えてしまう。


私たち哺乳類は子孫を育てるために「哺乳」をするので、子供ができたからという事で寿命を迎える、というライフサイクルにはなっていないが、生物種の中には、その寿命のゴールが「繁殖行動」というものも珍しくはない。


日本の桜の多くが「ソメイヨシノ」であり、「桜」の多くは、「自家受粉」では種を作らないこと、基本的に「ソメイヨシノ」が単一のクローン種であることがわかっている。なので、「ソメイヨシノ」同士が受粉しても、次世代に命をつなぐ「種」はできないことがわかっている。


「花」はなぜ咲くのか、と言えば、やはりこれも「繁殖」のためである。花を咲かせ、めしべに花粉が受粉することで、次世代へ命をつなげることである。先ほどのシャケやタコの例から類推すれば、「花を咲かせる」ことは、その個体にとって「始まり」ではなく、そのライフサイクルの「終わり」のイベントではないか、と思った。


私は「桜の花びらが散り始め、若々しい緑の葉が少し混じり始めた『葉桜』の時期」が最もきれいだ、と思っている。あまり自分自身では意識したことがなかったが、無意識の中で、桜のライフサイクルの「終わり」から「始まり」へと移り行くときの生命力を感じていたのかもしれない。


葉が生えると、毛虫がくっついたりして厄介な季節になるのだが、「葉」は太陽のエネルギーを用いて「二酸化炭素と水」から「糖と酸素」を生み出し、その過程で細胞が生きるためのエネルギー、ATPを産生する、という欠かすことのできないものであり、有酸素下で生きている動物たちにとっても、その植物にとっても欠かすことのできないものである。青々と茂った葉に太陽の光が当たり、植物はエネルギーを生み出し、また翌年のライフサイクルのフィナーレ、「花を咲かせる」準備をしているのだろう。


小学校時代、教科書で読んだ記憶があるが、「布や糸」の桜染、真冬の時期の桜の木の皮からが一番美しい色が取れるそうである。真冬で葉を落とし、寒そうに枝が揺れている桜の木の中では、しっかりと「開花」の準備ができているのだそうだ。


「桜の花」は「始まり」ではなくて「終わり」なのかもしれない、なんて逆説的なことを考えながら、出勤してきた次第である。

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