第823話 「医療従事者」も「生活者」だからねぇ。

今日の読売新聞3面、奥能登の医療問題について、大きく取り上げていた。見出しとしては「奥能登 医療復旧見えず」と大きくついていた。


記事を読むと、病院の医療を支えていた、看護師さんをはじめとするスタッフの退職が目立って増加している、とのことだ。「震災で職を失った夫が、他地域で仕事を見つけたため」とか、「重介護の家族がおり、しっかりした介護を受けようとすると遠方への非難をせざるを得ない」などなどの理由から、「家族そろって能登を離れるので」という理由での退職が多い、とのことだ。


こればかりは如何ともしがたい。「医療従事者」も「被災者」であり、その地域の「生活者」でもある。その地域で暮らしていけない、となれば、そこを離れざるを得ず、そうなれば離職せざるを得ない。


どんどん人が減っていく職場に、「自分も辞めます」と申し出るのはとても心苦しいことだと思う。残っている人の仕事が増えていくことが目に見えているからだ。


そんなこんなで、現在「奥能登」と呼ばれる地域の公立病院では、震災前の36%しか病棟を使えない状況になっているそうだ。おそらくこの数字も、かなり無理をしている数字だろうと思われる。


現代の医療水準を維持するためには、大量の電気、清潔な水が必要であるが、破壊されたインフラストラクチャーもまだまだ改善には程遠い現状である。


おそらくこの地域、震災前から高齢化のため、「地域の医療をどうするか」という議論があったのだろうと思う。今回の震災を契機に、その問いに対して、より早急に答えを出す必要が出てきた。と同時に、大きくシステムが破壊されたため、より大胆な「変更」も可能ではある。


記事は、そのような形で終わっていたが、その街を去る人、残る人、それぞれにそれぞれの理由があり、簡単な解決法があるわけでもなく、破壊されたインフラストラクチャーをどの程度まで整備するのか、ということについても困難があると思われる。


このような大きな自然災害に見舞われるたびに、「人間は小さな存在だなぁ」と痛感する。長い間積み上げてきたものが、一瞬で崩れ去ってしまう。もともとが衰退しつつあった地域だけに、そこにどれだけのものを投入し、どこまで復興させるか、というのも明確にしづらい。


COVID-19流行時、多くの医療機関が機能不全に陥った。当時は、家族に感染者が出た時点で、その一家全員が行動制限を受けていたころである。当然ながら職員の多くが「家族」を持っているので、「職員」本人は元気でも出勤できなくなってしまう。もちろんCOVID-19が街中で流行しているときは、クラスターが発生しているときでもある。いつも以上に人手が欲しいが、いつもよりうんと人手が少ない、という状況を何度も経験してきた。


「地域の医療を支えている人たち」は「その地域の住人、生活者」でもある。それゆえに、抱えている問題が大きくなってしまう。仕方がないことではあるが、「難しいなぁ」としか言えない。

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