第806話 「自分自身を考えてみてはどうだろうか?」

前話で「神戸徳洲会病院の闇」について書いたが、その記事に対して、Yahooでは、たくさんのコメントがついていた。批判的なコメントが多かったが、その中で一つ目を引いたものがあった。


曰く、「医療事故や医療ミスのあった病院名をすべて公表すればよい」とのこと。


私はぜひその人に教えてあげたい。


「すべての病院が大ごとになるかならないかは別にして、常に医療ミスが発生している。医療事故、医療ミスの全くない病院は存在しない」と。


To err is human. To forgive is devine.(過つは人の常、それを許すは神の業)


と、以前にも書いたことがあるが、人は誰でも一日の中で小さなミスをいくつもしているのである。


例えば、このように文章を入力していても、一文字ミスタッチをしたり、変換を誤ったりすることは頻繁に起きている。最近は電話をかけるときに、ダイヤルを回したり、数字ボタンを押したりすることは稀であるが、押し間違えることも珍しくはなかろう。手書きで文字を書けば、一文字くらい書き損じがあってもおかしくはない。汚い字を読み間違えることもあるだろう。


そういうレベルまで追求すれば、それらすべてを過たず行なうことはできないのが普通である。という意味で”To err is human.”なのである。こういうミスは”Human error”と言って、人間が「人間」である限りなくすことができないものである。


薬の処方箋を書いているときに、「ア」と書いたつもりが「マ」と読まれたり、「ソ」と「ン」、「ツ」と「シ」を間違えて読まれたり、なんてことは珍しくない。


薬の量で、桁を間違えると大変なことになるが、日常会話の中で、誰かが「桁」を間違えて数字を読んでいる、なんてことは珍しいことではない。


医療ミスの中で「圧倒的に多い」のは、このような“Human Error”である。「知識不足、技量不足」が原因となることは稀である。医療に携わる人間なら、基本的には「自分の力量」を把握している。自分の力量以上のことをすると、患者さんを傷つけてしまうことは分かっているので、そのようなことをしないのが普通である。


以前にも書いたことがあるが、「医療ミス」がなくても「医療事故」は起きる。


健康な人でも、年に一度くらいは躓いたり、足を滑らせて転倒することはあろう。リハビリ評価で「安全に歩行可能」と判断された人が、たまたま転倒したら「医療事故」として扱われる。床が濡れていたり、などという外因的なこともあれば、たまたま足の上りが悪かった、という「患者さん側の要因」が原因ということもあるのだ。


「医療」を提供するのが「人間」である以上、そういう意味で「医療事故」「医療ミス」は無くせないのだ。なので、「医療安全」を考えるということは、「人は必ずミスをする」ということを前提に、「ミスをしても、患者さんに害が及ばないシステムを作る」ということである。小さなミス、ヒヤリハットが全くない、なんていう医療機関も、工場も、鉄道も存在しないのである。ただそれが、命にかかわることにつながるかそうでないかの違いだけであり、それは「偶然」に左右されるのである。


そんなわけで、「医療事故や医療ミスを起こした病院はすべて公表すればよい」と書いた人は、「自分が一日の中で、どれだけ小さなミスをしているのか気づいていないんだろうなぁ」と思った次第である。

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