第807話 「文章を書く」という事についての自身の回想

以前にも書いたことがあるが、現在の私は「メタボのおっさん」そのものであるが、子供時代は病弱で、痩せてヒョロヒョロ、いや、背が低かったから「ヒョロヒョロ」ではないな、「ガリガリ」というのが適切なのだろう、そんな子供だった。


物心ついたころから、私は頻繁に急性扁桃炎で高熱を出していた。幼稚園くらいになると記憶は残っているので、しょっちゅう幼稚園をお休みし、お医者さんに連れていかれたことを記憶している。熱を出して寝込んでいるが、幼稚園くらいの子供、基本的には「ガサガサ」するのが普通である。おとなしく寝ている、なんてヒマでしょうがない。


私の寝かされていた部屋には当然テレビがなかった(私が子供のころは、テレビは家族が集まる居間に1台、という時代だった)ので、本を読んで暇をつぶしていた。子供向けの絵本もあったが、それに飽き足らず、「家庭の医学」まで読んでしまう幼稚園児だった。


ひらがな、カタカナは習わずとも読み書きができ、ある程度の漢字は読めるような、ある種「ヘンテコ」な幼稚園児であった。


それだけ本を読むのが好きなら、さぞ文章を書くのが得意だろう、と思われるかもしれないが、幼稚園時代も小学校時代も、6年生のある時点までは「作文」は「大嫌い」だった。


それはひとえに、私の好きな本の「偏り」にも問題があったのは否めないと思う。医学書であったり、鉄道の本や自動車の本、いわゆる「科学系」の本が好きで、「小説、物語系」の本は好きではなかった。もちろん今もこの傾向は続いているのだが、小さいころはそれが顕著で、作文を課せられても、単純に「事実の羅列」から脱することができなかったわけである。例えば、そのころに書いていた文章を思い出し、再現するならこんな感じである。


「今日は、お父さんと一緒に、弁天町にある交通科学館に行きました。弁天町へは大阪駅から大阪環状線の内回り線でいきました。交通科学館に入ると、まず最初にEF65系電気機関車がありました。EF65系電気機関車は主に貨物をけん引するグループと客車をけん引するグループに分けられ・・・」


みたいな形で、まるっきり「解説文」であった。大人になった今、振り返ると、学校の先生は「交通科学館で見たEF65系の解説」ではなく、「交通科学館でEF65系を見た時の私の心の動き」を描いてほしかったのだろうと思うのだ。ただ、そういった文章を書くことができなかった。「そのような『心象』を表す文章を書きなさい」と教わったこともなかった。


なので当然ながら、文章は無味乾燥、「心打つ文章」なんてものとは縁遠いものだった。私の書く文章が、そういった傾向のものだったので、一番つらいのは「読書感想文」だった。これは長じてからも苦手で、「心打たれたもの」にはいっぱい書くことがあるのだが、当然「名作」と呼ばれるものでも自分の心に響かないものもある。「作文」と言えば「解説文」だった私にとっては、「感想」を言葉にする、という事が極めて困難な作業であった。


苦手だった理由の一つは、自分の中の「感情・感想」を、まるで「微分」のようにその瞬間、瞬間での思いをとらえる、という事ができないほど内面が幼かったことと、自分の感情を「言語化する」という作業のために必要な「言葉」を十分に持たなかったことも影響しているのだろうと、今振り返ると思うわけである。


だから、感想文と言えば、「面白かったです」と書いて、そのあとが続かない。誰も、「どこが、どのように『面白かった』の?」なんて聞いてはくれなかった。そんな時代だった。


そして小学校6年生になり、学校の宿題として、「毎日日記を書くこと」が課せられた。これは非常に厳しかった。「事実」だけを書けば、当然のことながら行き詰る。とうとう困って、ある日、「今日は書くことなし」と書いて、先生に提出した。


先生は赤ペンで、「それなら、「書くことがない」という事について書いてみたら?」と返事を下さった。その時の私にとって、一番必要だった言葉、「思い」を乗せた文章を書く、という事について、最も適切なアドバイスだったのではないか、と40年たった今でも覚えている。


その翌日は、「書くことがなくて煩悶している自分、その心の中のボヤキ」を日記として書くことができた。先生は「良い作文」の見本として、私の許可を得て、みんなの前で呼んでくれた。みんなは大笑い。冷笑ではない。腹を抱えて大笑いしてくれていた。


それで、「文章を書く」という事の一端を捕まえたような気がした。その後は「作文」で苦労することは極端に少なくなった。「読書感想文」は鬼門ではあったが、自分の心が動いたことを「文章」にすることが楽しくなった。もう作文の時間は「地獄の時間」では無くなってしまった。


今、こうやって文章をつづっているが、学生時代、得意科目に理系ながら「国語」が入ったこと、何度も小論文を書いて、入学試験や大学院の試験をクリアしてきたことなど、あの時の「先生のアドバイス」がなければ、できなかったのかもしれない。


必要な時に、適切にアドバイスを与えること、本当に大切だと思う。特に教育の現場であれば、ちょっとした一言が子供の殻を破り、大きな芽が伸びていくことになるのかもしれない、と自分の体験を通して思う。


先生への感謝を込めて、この文章を書いた次第である。

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