第805話 闇はそこかしこに

産経新聞の3/17の記事で「糖尿病歴見落とし、カテーテルで多数死亡… 異例の改善命令を受けた神戸徳洲会病院の闇」という記事が載っていたようだ。


カテーテルで多数死亡、という件については、特定の医師の手技にかかわる問題であり、「病院のスタンス」というよりもその「特定の医師」の問題であろうと思われる。もちろん病院として、「監督責任がない」というわけではないが、各診療科とも、行なわれている手技が高度に専門性が高いため、職責としては「院長」であったとしても、その医師の診療行為に対して問題点を明確にし、適切な処分を行なう、というのは難しいことであろう、と私は思っている。このことについては、「内部告発」で発覚し、「現場」で「臨床経験の高いスタッフ」からの告発であったからこそ、より問題の本質にアプローチできたのだろうと思われる。


「糖尿病歴見落とし」については、臨床経過が不明なので、糖尿病の病歴を見落とし、インスリン投与を行なわなかったことが、患者さんの死亡に「深く」関与していたかどうかが分からない。患者さんが、「糖尿病性ケトアシドーシス」あるいは「高血糖・高浸透圧症候群」を呈していたなら、明らかに「インスリン投与を行なわなかったこと」は「死因」と判断してよいと思われる。


集中治療の現場では「血糖値を適切にコントロールする方が、コントロール不良の患者さんに比べて予後が良い」ということもエビデンスはある。だが、病気が重篤であれば、「血糖コントロールが良い」としても(ただ、往々にしてそうはならないが)、亡くなる一方で、多少血糖コントロールが悪い人も、生き残ることは珍しくはない。なので、「この患者さんにインスリンを投与していれば、亡くなることはなかった」と断言することは極めて難しいのである。よしんば、インスリン投与で低血糖を起こせば、高血糖よりもはるかに予後が悪くなる。敗血症性ショックの場合は、高血糖にも低血糖にもなりうるわけで、詳細な経過を見ずに「インスリン投与を行なわなかったから、患者さんが亡くなった」と言い切ることは難しい。この件については主治医の実名報道の問題もあり、モヤモヤしたものが心に残っている。


記事ではその他にも、患者さんのカルテ不記載などの問題点が指摘されており、「神戸徳洲会病院の闇」と表現されていた。


ただ、徳洲会グループで初期研修医、後期研修医として修業を受け、その後も徳洲会グループではない病院の現状を見たうえで述べるならば、本質は「神戸徳洲会病院の闇」ではなく、「医療界全体の闇」というべきかもしれない。


私が医学部6年生の時に、後に修業させていただく病院に「病院見学」させてもらったが、「一般内科・呼吸器内科」を標榜していた師匠の診療科(ちなみに師匠は内科統括部長でもあったが)では、私が見学させてもらったときは、当時3年次の研修医と師匠とで約70人以上の入院患者さんを管理していた。患者さん一人当たり、回診に5分、カルテ記載と指示入力(採血であったり点滴であったり)に10分かかるとすると、15×70=1050分、入院患者さんのルーティーンワークで取られるわけだ。分だと分かりにくいが、16.5時間となるわけである。どう考えても、仕事として破綻している。さらに、外来(師匠は金曜日以外の平日はすべて午前、午後ともに外来枠を持っていた)、検査(気管支鏡)、それに当然急性期病院なので様々な処置が必要であった(chest tube挿入、胸水穿刺、胸膜癒着術、気管支鏡に伴う種々の手技、CTガイド下組織採取、CVカテーテル挿入などなど)。都市部の急性期病院であり、人の募集は常にかけていたが、人が充実しない。しかも地域の中核病院なので、毎日何らかの形で他院からの紹介患者さんもやってくれば、ERは20件/日以上の救急車を受け入れており、ERからの緊急入院も入ってくる。


そうなれば必然的に、診療のクォリティは低下せざるを得ない。まだ「クリニカル・パス/クリティカル・パス(critical path / clinical path)」という概念が医療界になかったころから、「クリニカル・パス」もどきが存在していた。


「クリティカル・パス」はもともと工業の世界からの手法で、頻回に行なう、特定の仕事については、あらかじめ工程表を作成しておいて、工程開始から終了まで、いつ何をするのかを決めておき、プログラム通りに順調に進めば高度な技術者の介入なく、そのルーティーンワークを終わらせる。パスからの逸脱があった時点で技術者が呼ばれ、パスから外れた原因の検索、対応、どの時点でパスに戻すか、という作業を行なう、というものであった。


医療の世界で、頻度の高い病気や手術、侵襲を伴う検査については、同様の工程表を作成し、医師は、患者さんがパスの通りに進んでおれば、日々の観察を行なうのみで、医師でなければ行なえないこと以外は、それぞれの専門職が担当する。パスから逸脱した場合は、同様に患者さんを診察、検査を行ない、パス逸脱の原因検索、治療を行なう、という流れになった。ちょうど私が後期研修医のころに、数多くの病院でパスが採用され、もともとの呼び方通りの「クリティカル・パス」あるいは「医療におけるパス」ということで「クリニカル・パス」と呼ばれている。「パス」という「するべきことがすでに決定している」状態で、それを反復する、ということで「医療ミス」の減少にもつながる、とされている。


さて、そのようなものがない時代であったが、一般内科で頻度の高い誤嚥性肺炎、尿路感染症については、それぞれ「セットA」「セットB」として、使用する抗生物質や使用期間を、「診療科内ルール」として用意しており、診断名によって、患者さんに「セットA」、「セットB」として指示を入力してしのいでいたそうである。


私たちの年次は9人いた。これだけの初期研修医が入ったので、人員的には劇的な改善となった。「初期研修医」とはいえ、貴重な戦力として、「病棟回診」「カルテ記載」「上級医の指導下で簡単な処置(慣れれば初期研修医で対応)」を行ない、感染症治療に対しても、しっかりした熱源検索、経験的治療→培養結果を確認した抗生剤の適切な使用、などとクォリティが明らかに改善した。


東京の高名な病院である「聖路加総合病院」のチーフレジデント(最終学年で最も優秀な研修医、レジデントの教育や日常診療の中心となる)が作成し、出版されている「内科レジデントの鉄則」という教科書がある。私たちが後期研修医時代には、十分そのレベルの内科入院治療を提供していた自負がある(実際にその本を読んで比較した)。それだけ、マンパワーが重要である、ということである。


閑話休題。初期研修医時代に「僻地離島研修」ということで、某病院に2か月間派遣されたが、その病院も、私がお世話になる前年度までは、ひどい状態だったようである。内科医二人で80人の入院患者さんを管理していたそうだ。もちろんここでも、入院患者さんの原因疾患として多い感染症については、同様に「セット対応」をしていたそうだ。私が派遣されたときは、部長先生、3年次の先生一人、私(初期研修医2年次)、関東のグループ病院から来られた先生(初期研修医2年次)、そして、同院で初期研修を受けている1年次研修医の5人、という陣容となっていたため、一人当たり約20人程度と、常識的な範囲に落ち着いたそうだ。


神戸徳洲会病院の問題として、受け入れ患者数に対する医師数の少なさが記事では取り上げられていたが、いろいろな場所で医療を行なったり、医師会などで話を聞く範囲では、「医師が充足していている」という言葉を聞いたことがない。医師の就職支援企業のホームページを見る限りでは、人材不足は一部の有名病院を除いて深刻である。


ということで、「人材不足」に起因する医療事故、ということは「医療界全体の闇」につながっているのであろう、と思った次第である。

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